【特集】岡本行夫という生き方 [朝一から閉店までφ★]at NEWSPLUS
【特集】岡本行夫という生き方 [朝一から閉店までφ★] - 暇つぶし2ch1:朝一から閉店までφ ★
20/06/05 04:50:21 Czr5eW8J9.net
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岡本行夫という生き方

2020年6月4日 16時26分おくやみ

4月下旬、1人の元外交官が死んだ。
公表されたのは、2週間後。国の内外から惜しむ声が寄せられた。
いわく「日米同盟の擁護者」「日米関係の巨人で真の愛国者」「知的で品があった」アメリカの要人たちは、こう声をそろえ、功績と人柄をたたえた。
国内でも政界にとどまらず、芸能界、沖縄など各方面から惜別のことばが寄せられた。
岡本行夫。彼のなにが、これほど人を魅了したのか。
(政治部・渡辺信、山本雄太郎、木村有李)





記者たちは知らない

「岡本行夫さんが、新型コロナウイルスで亡くなったようだ」
情報が入ったのは、5月7日だった。外務省を担当する私たちだが、彼が外交評論家としてテレビで活躍する姿は見ているものの、外交官時代に取材したわけではなく、正直、よく知っているとは言えない。彼と関係がありそうな人たちに次々と電話した。

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取材を進めると、2週間ほど前に亡くなっていたと確認が取れた。深夜になって速報を流した。

それにしても取材する人、取材する人が彼をたたえ、「彼のような外交官は二度と現れないだろう」と振り返る人までいた。彼は何者だったのか、その後も取材を続けた。




誕生と死と

岡本行夫は終戦の年、1945年に神奈川県で生まれた。
1968年に外務省に入省後、北米局の北米第一課長など、主要ポストを歴任している。
しかし1991年、外務省を辞め、国際政治を分析するコンサルタント会社「岡本アソシエイツ」を立ち上げ、外交評論家としての活動をスタートさせた。その立場のまま、橋本内閣や小泉内閣では、沖縄問題やイラク復興担当の総理大臣補佐官を務めた。

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関係者への取材で、亡くなる直前の様子がわかった。

4月12日(日)にかぜの症状が出て、その日の民放番組の出演を取りやめた。
14日に入院。16日、新型コロナウイルスの陽性反応が出た。この時までは、病床から仕事に関する電話もかけていたという。

しかし、容体が急激に悪化。翌17日には人工呼吸器を装着しての治療が始まった。

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その後、容体が回復することなく、話をすることもできないまま、24日に息を引き取った。74歳だった。






役人離れした発想
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
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