【ダム】まるでゾンビ、45年間本体未着工のまま生き続けるダム計画。徹底抗戦13世帯、長崎県「実力行使も選択肢」 [記憶たどり。★]at NEWSPLUS
【ダム】まるでゾンビ、45年間本体未着工のまま生き続けるダム計画。徹底抗戦13世帯、長崎県「実力行使も選択肢」 [記憶たどり。★] - 暇つぶし2ch1:記憶たどり。 ★
20/06/01 12:44:36.86 /6p9Z8Bl9.net
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
45年前に建設が決まったが、いまだに本体の着工すらしていないダム計画が長崎県で生き続けている。
まるでゾンビのような公共事業は、石木ダム計画だ。県と佐世保市が川棚町の石木川流域に予定。
ダム建設に伴う移転対象の約8割に当たる54世帯が既に転居した一方、水没予定地の13世帯約60人が残り
「死んでもふるさとを離れない」と徹底抗戦の構えだ。住民は見直しを含めた対話を求めるが、
県側は住民や家屋を撤去して強制的に土地を取り上げる〝実力行使〟の行政代執行を「選択肢の一つ」と言い放つ。
両者の深い溝は埋まりそうにもない。
▽強制測量の記憶
生い茂る木々の間から響く鳥の声。透き通るような清流には、夏になると無数の蛍が舞う。そんな集落にダム建設が決まったのは、
1975年のことだった。「こんなに美しい場所は他にないよ」と笑う松本好央さん(45)は、その年に生まれた。
水没予定地の川棚町川原(こうばる)地区で鉄工所を営む。仕事後に自宅の窓から田園風景を眺め、一杯やるのが最高の楽しみだ。
82年5月、小学2年生だった松本さんは初めてダム問題を意識することになる。県が県警機動隊を動員し、
建設予定地の強制測量に踏み切ったのだ。学校を休んで大人や近所の子どもたちとともに座り込み、
迫る隊員に「帰れ!」と叫んで抵抗したが、あえなく排除された。「本当に家を奪われてしまうのだと思った。
今でもあの時の恐怖は忘れられない」
この出来事が、住民と県側との決裂を決定的なものとした。「見ざる、言わざる、聞かざる」をスローガンに、
住民はダム計画が存在していないかのように「徹底無視」を貫く。ダムの話題はタブーだ。住民は玄関に
「県職員訪問お断り」と書かれたシールを貼り付け、用地買収の交渉は一切受け付けない。感情面の対立が激しさを増した。
▽洪水と大渇水
強制測量後、県側は動きを控える。「ダムのことは忘れて日常生活を送っていた」(松本さん)という92年7月、
豪雨で石木川の本流の川棚川が氾濫し、町中が浸水。94年8月から95年4月にかけては、佐世保市で最大43時間連続断水、
給水制限264日に及ぶ大渇水が起こった。
石木ダムは佐世保市への給水と川棚町の治水対策が目的だ。県関係者は「ダムがあれば氾濫は防げたし、渇水の被害も緩和できた。
行政としては痛恨の出来事だった」。建設計画は息を吹き返す。当初は反対で一致団結していた住民側からも用地買収に応じる人が出始め、
97~2004年度に計54世帯が立ち退きに同意した。
反対運動も再び活発化した。10年3月に水没予定道路の付け替え工事が始まると、反対住民は抗議して連日、重機の周辺に座り込んだ。
「命を懸けた」行動で一時は工事を中断させ、中村法道知事と4回面談したが、決裂。両者が歩み寄ることは無かった。
13年9月、国がダム建設に「お墨付き」を与える事業認定を告示し、翌年から県は土地の強制収用に向けた手続きに入った。
19年9月、ついに県側は全予定地の権利を取得し、松本さんら残る13世帯は、法的には「国有地を不法占拠する元地権者」となった。
▽人口減でも需要増
県側が石木ダム建設の根拠とするのは大きく2点。一つは、佐世保市の水需要がこれから緩やかに増加していくという市水道局の予測だ。
今から18年後の38年には、最大で1日当たり約10万6500トンの水需要を見込み、予備の10%を加味した約11万7000トンが必要と推計。
佐世保市が保有する年間355日以上水を供給できる「安定水源」は、1日当たり約7万7000トンにとどまるため、
ダムで残りの約4万トンを補うつもりだ。
※以下、全文はソースで。
長崎・石木ダム建設予定地
URLリンク(lpt.c.yimg.jp)


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