20/05/23 13:15:32.36 vnhcyxf60.net
>>179
>加藤清正は、文禄の役(1592~93)慶長の役(1597年)で朝鮮に渡った際、
>築城の際に石垣を積み上げるための工兵隊を従軍させており、
>現在でも順天(全羅南道)から蔚山にわたる、南海岸地域に見られる30余りの倭城は、
>このときの日本軍によって造られたものである。(倭城=日本が朝鮮半島に築いた城)
>
>築城には長年の戦国時代に培われた日本の築城技術が用いられたため、
>それまで長らく戦がなくて技術が後れていた、従来の朝鮮半島の城より防御力が高く実戦的であることが特徴。
>和平が結ばれて慶長の役が終わるまで、明・朝鮮の攻撃を受けて落城することは一度も無かった。
(倭城=日本が朝鮮半島に築いた城)
↑これすごいぞ おれ、見に行った 3か月で作ったと 朝鮮人も協力したのは不都合な真実な…