20/05/04 18:49:40 /DByjVgt0.net
>>590
[ ミャンマーの不幸 ]
ビルマ ( ミャンマー ) は英国の侵略に対して最後まで独立を守ろうとして抵抗したために、
インドよりもはるかに過酷な統治を受けました。
インド人は軍隊に募集され、インド人連隊もありましたが、
ビルマでは イギリス植民地軍は インド出身の パンジャブ族と少数部族が中心となり、 ビルマ族出身者は僅か 2.5 パーセント に過ぎませんでした。
ビルマ族は イギリス植民地軍とはほとんど無縁の生活を送り、武器の使い方を教えられず、刃物の所持さえ規制されていました。
英国の植民地となった後の ビルマ( ミャンマー )は昭和 23 年 ( 1948 年 ) にイギリスから独立しましたが、
その際に誘いを拒否し英国の女王を統合の象徴に頂く イギリス連邦には加盟しませんでした 。
英国がどこよりも過酷な植民地支配をおこない、長年にわたり 分割統治 ( Divide & Rule ) をして、
ビルマ族 ・ シャン族 ・ カレン族などの 135 の部族を互いに反目させてきたからでした。
例えば仏教国にもかかわらず第 2 の人口勢力を持つ カレン族には キリスト教を布教し、
ヒンズー教徒である インド人を ビルマに移住させては 一時的にその地方を インドの州にしました。
支配階級の最上位を イギリス人が占め、その下の中間支配層に インド人や中国人華僑を置き、
更にその下の郵便局員や巡査などの下級官吏には ビルマの少数部族の者を採用しました。
人口の 69 パーセント を占める ビルマ族を
社会の最下層の労働者や農民に押し込め抑圧する 一方で、
少数部族に対して優遇政策を採るなど、部族対立、内紛の原因を意図的に作った。