20/03/28 15:49:55 v/XFJmrW0.net
【サムス兄貴、神】
敗戦後、アメリカでは少数派であったBCG論者のサムス准将がGHQの公衆衛生局長として来日し、BCG論者と結んで1949年にBCG接種を再開しました。
1951年には日本学術会議第七部会(医学)が慎重論を唱え、厚生大臣も見直しを国会で約束したにも拘らず、日本のBCG論者をバックにGHQが厚生省を押切って新結核予防法を成立させたのです。
反対論は武見太郎、田宮猛雄、内村祐之らの東大内科中心で、その根拠はアメリカのアーサー・マイヤーという結核のオーソリティの論文であったといいます。(BCG論争)
アメリカでは一度もBCGは公的には採用されず、その結果アメリカの直接の占領下の沖縄では、返還されるまでの27年間BCGが行なわれなかったのです。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)