20/03/22 13:10:55 oMSRCHWA0.net
当時の組合運動の状況
多数派の国労とやや勢力が小さい動労があった
国労は中核派、動労は革マルとそれぞれ結びついていて
動労のほうが過激な闘争をやるイメージがあって鬼の動労と呼ばれた
しかし1975年のスト権ストの敗北をきっかけに動労はストライキ放棄の柔軟路線に方針を変える
そして松崎委員長の指導の下、中曽根政権の国鉄民営化にも賛成に回り雇用の確保をはかった
一方で国労は民営化に徹底抗戦の構えをみせたものの
こちらも国民の支持を得ることなく敗北に終わった