20/02/24 23:48:25 r4Ip+K860.net
>>736
日独防共協定は1937年(昭和12年)11月にイタリアが加わり、
三国防共協定となったが、翌13年に入ってからは満州国とハンガリー(2月)、
そしてスペイン(3月)が加盟し、枢軸陣営はますます強化されつつあった。
これがやがては日独伊三国同盟(1940年9月27日)へとつながる。
ちなみに反日・自虐史観においては、
この協定はいかにも不当な反共同盟であり、
日ソ関係を悪化させた原因であるかのごとく論じられている。
東京裁判でも、この協定は共同謀議の槍玉のひとつに挙げられた。
検察側は、日本とドイツが防共協定を結んだことは、
「ソ連に対する侵略の陰謀」だったというのである。とんでもない言いがかりである。
日露戦争が、帝政ロシアの東亜侵略に対する自衛戦であったことは、
リットン調査団の報告書に照らすまでもなく、一点の疑う余地もないところである。