20/02/25 01:06:30.11 Xd8t9ZtT0.net
>>414
ソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、
首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、ポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた(ワルシャワ蜂起)
ポーランドのレジスタンスはソ連の支援を信じたのだがソ連は裏切って助けなかった。
ソ連の裏切りを知ったヒトラーは、ワルシャワの徹底的破壊を指示し、
レジスタンスは壊滅、ワルシャワ市内の8割の建物が破壊され、15万人以上の死者を出したといわれる。
アメリカとイギリスは、ソ連にポーランドのレジスタンスへの支援を要請したがスターリンは無視した。
当時、ロンドンにポーランドから亡命していた指導者たちで作る
ポーランド亡命政権が存在しており、イギリスはその政権をポーランドの正式な政権として承認していた。
カティンの森事件が発覚し、ポーランド亡命政権とソ連は関係を断絶した。
ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、
ルブリン共産党政権だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、
ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔となる恐れがあったレジスタンスの
ポーランド国内軍をナチスドイツに壊滅させたのだ。