20/02/14 22:13:39.83 oKDXYNvT0.net
>>591
談合裁判
戦争末期の昭和 20 年 ( 1945 年 ) 6 月に
米、英、仏、ソ連 ( 当時 ) の 4 ヶ国は ロンドンで会議を開き、今後の戦争裁判の方針を決めました。
きたるべき戦犯裁判では 連合国の行為は問題とされてはならず
あくまでも枢軸国 ( 日本、ドイツ、イタリア ) の過去の危険を裁くことにするという、いわゆる ロンドン協定を結びました。
この事実を見れば自分たちの犯罪行為を棚上げにした彼らに
正義と文明の名の下に他国を裁く資格など全く無く、あるのは 復讐心だけ なのは明白でした。
パル判事は、
戦犯裁判が常に降伏した者の上に加えられる 災厄 であるとするならば