20/02/09 15:12:02 DQDAfwIv0.net
>>91
>>92
荒れ狂う婦女暴行
ソ連兵の日本婦人への暴行は、すさまじいの一言に尽きる。
それが12、3歳の少女であろうと、70歳近い老婆であろうと、
そして、人前でも白昼でも、また雪の上であろうとも、そういうことは全く頓着しなかった。
樺太の場合同様、女性たちは丸坊主になり顔に墨をぬり
男装して難を逃れようとしたが、
彼らは1人1人胸をさわって女であることを確かめると引き立てていった。
南満へ疎開した人達が、終戦後また新京の自分の家に帰る途中、
公主嶺の駅で進駐してきたソ連軍の列車とばったり出くわしたとき
起こった事件は「誰知らぬ者もない事実だ」という。
それは、あわてて発車しようとする日本人の乗っている列車をソ連兵が止め、
女は1人残らずプラットフォームに降ろされ、
「白日の下、夫や子供や公衆の真ん前で集団暴行を受けた」のである。
もとより日本女性のすべてが唯々諾々とソ連兵の毒牙に身を任せたわけではない。
陵辱に耐えかねて、死をもって抗議する若い婦人、
暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた。
例えば敦化の日満パルプ株式会社の社宅では、
ソ連軍は命令によって男と女を分離させ、170人の婦女子全員を独身寮に監禁し、
夜となく昼となく暴行の限りを尽くしたが、この際、23人の女性は、一斉に青酸カリによって自殺している。