20/02/07 20:34:53 fc+pRcmK0.net
>>664
「読者手記 53編」 文藝春秋・特別号 1983.9掲載
昭和20年8月20日頃であったろうと思う。
…(略)…
病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、
私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。
12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。
それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。
その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、
その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。
顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、
下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。
次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから
死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、
その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じた。
銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、
自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名に
なぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
…(中略)…
また女医さんに聞いたことだが、
「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。
また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」
と語られたことを想い出す。