20/02/05 22:02:10 2ZnPZBhz0.net
>>83
>>1
5月3日は忘れてならない済南事件の日(ねず
「尼港事件」は、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、Korean、Chinese約四千のならず者たちが
共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)を襲った事件です。
この事件で、石田領事を含む約700名の日本人居留民が虐殺されました。
このときはまだ、狙いは日本人ではなく、白系ロシア人たちでした。
しかし日本人は、眼の前で白系ロシア人たちが虐殺(というよりも大量屠殺に近い)される様子を見て、これに抗議しました。
そして巻き添えを食う形で、日本人も虐殺されました。
尼港事件で味をしめた共産パルチザンは、日増しに乱暴狼藉を激化させました。
昭和2年になると、日本国内では大正デモクラシーの影響で
日本の思想界、言論界、政界、財界、メディアとも、極端な平和主義と反軍主義が横行し、
「日本の軍傭を縮少し、Chinaや欧米に対して、萎縮外交をせよ」
「内需経済にこそ、歳費を注ぐべきだ」
などという新聞見出しが踊った時代です。
日本が安全保障理事国を務めた国際連盟の平和思想や、欧米列強の軍縮の呼びかけなどの影響も
あったものと思いますが、風潮は昨今の日本と似ているといえるかもしれません。