20/02/05 22:02:45 2ZnPZBhz0.net
>>95
>>96
それにしてもこの時代の日本は、まるで戦後のどこかの国と同じで、日本の軍隊の存在自体を悪だと決めつけるような風潮にありました。
おそらくスパイ工作もあったことでしょう。
日本の国内言論が反軍、軍縮一辺倒になる一方で、Chinaでは、日本に対する露骨な排日侮日運動が行われ出したのです。
軍事というのは、いざというときに行使できるから、相手国にとって脅威となるのです。
最初から、行使しません、あるいは行使そのものをためらう風潮があり
一方で、客観的な軍事動員可能数が、20分の1程度しかないとなれば、当然に相手側からしたら、やりたい放題になります。
それが排日侮日反日運動の正体です。
もちろん当時の日本には、軍がありましたし、また政治においては政友会や一部の新聞においても
満蒙の邦人擁護のために日本は軍事力を行使すべし、という主張はありました。
もはや平和外交では満州問題は解決しない、
正義は力を振るってこそ正義となり、力なき正義は、悪徳に他ならないという主張もあったのです。
そんな中で起きたのが、昭和3(1928)年5月3日の「済南事件」です。
済南というのは、山東省にある商業都市で、当時、日本人をはじめ、多くの外国人が居住していました。
その斉南で「Chinaの軍閥同士の大規模な衝突」が起こったのです。