20/02/04 21:21:27 M7Y1uWxK0.net
>>1
◆黄河、長江の堤を切る
蒋介石の軍は、日本軍が来ると井戸にコレラを撒き、
日本軍を足止めするため黄河の堤防を決壊して逃げた。
これによって河南省の半分を水没させ、32万人の命を奪った。
蒋介石は成功した作戦と、自伝に書いているという。
長江の堤防も切った。
日本軍はまず、
「家を失った住民にコメを配給した。
コレラ菌に罹患した500人の治療をし、
井戸水の防疫を行い、さらに堤防の復旧」
もやった。
蒋介石は日本軍が素通りしないことを予想していた。
◆支那支援と日本批判
米国は文化面からの支那支援・日本批判をやり、
パール・バックに素朴で愛される支那人を描かせた。
軍事面でも直接支援を実施した。
1935年、シェンノートが送りこまれ、支那空軍の立ち上げを行う。
100人の支那人パイロットを養成するが、出来の悪さに諦める。
1938年、し江に飛行場をつくらせ、
240人の米国人操縦士と100機のP40を送りこんだが、日本軍の進出により、脱出した。