20/02/04 09:36:57 PfPPfGjH0.net
>>769
実際は、占領政策にもかかわらず日本はすぐに左傾化しなかった。
暴力革命を志向し虐殺事件を起こした共産党を、国民は国会から追放もしたし、
安保闘争は政界の勢力図を塗り替えるにはほど遠い騒動に終わった。
戦後、婦人参政権が施行されても、国民は保守的だった。
それを変えたのが地方からの切り崩し工作だった。
都知事や県知事を革新系の著名人が占め、議会が続々と革新に入れ替わった。
彼らのごり押しで、地方公務員の月給が国家公務員並みに続々とつり上がった。
70年前後の大学紛争は、学校の数だけ安保闘争が起きたに近い規模になった。
長く続いた家永訴訟は、戦争の記憶が薄れ始めた国民に、戦争責任を植えつけた。
中曽根政権が最後の保守政治を披露した次の竹下内閣は、お笑いブームとニュースステーションに
慣らされた愚民に大いにバカにされた。
そして最初の政権交代が起きた。小沢一郎が両またぎにした自民と非自民は
マスコミに言われるがまま土下座外交に走り、民主化後の韓国と天安門事件後の中国に、
「世界の工場」をやすやすと明け渡した。
若者の就職先を根こそぎ中韓にくれてやって、氷河期世代が生まれた。