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>>848
『デイル・ヤシーン事件』
1948年4月、ユダヤ人武装組織イルグン、レヒの部隊が
エルサレム西部のアラブ人村落のデイル・ヤシーン村を包囲し
村を占拠したのち【老人、女性、子供も含む非武装の村民たちを虐殺】
犠牲となった住民の総数は、事件後に出された推定では254人とされ
それが広く流布されていたが、最近の研究では107人から120人の間であると推定
本事件の後、危険を感じた数十万人とも言われるアラブ人住民が現在のイスラエル領を脱出し
ヨルダンやエジプト領のキャンプに逃れ、パレスチナ難民となった
ユダヤ側は直ちに事件を起こしたイルグンを非難する声明を出し、ダヴィド・ベン=グリオンは
トランスヨルダンのアブドゥッラー1世国王に謝罪の書簡を送る
また、ユダヤ機関とハガナーは「非常に不愉快な事件」として非難した
”しかし”、イスラエル領となる地域から大量のアラブ人が脱出したことは
イスラエル建国の上で非常に好都合であったことは否定できず【イスラエル政府はパレスチナ難民の帰還を認めていない】
デイル・ヤシーン村は現在イスラエル領になり【虐殺された犠牲者の土地や財産は、ユダヤ人のものとなっている】