【研究】「死蝋」腐らぬ体、伸びる爪…本当だった「吸血鬼の証拠」 東欧at NEWSPLUS
【研究】「死蝋」腐らぬ体、伸びる爪…本当だった「吸血鬼の証拠」 東欧 - 暇つぶし2ch1:しじみ ◆fbtBqopam767 しじみ ★
20/01/21 02:58:23 eJSZlWQt9.net
■「証拠には何一つ欠けているものがない」とルソーも指摘、説明は?

アイルランド人作家ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』が1897年に刊行されたとき、元の原稿にあった序文はカットされていた。

 世界一有名になった吸血鬼“ドラキュラ伯爵”の生みの親は、自分は純粋なフィクションを書いたのではない、とその序文に記していた。「ここに描かれた出来事が、一見どれほど信じがたく、不可解に思えようとも、実際に起きたのだということは少しも疑いがない。私は強くそう信じている。また、それ以上に確信するのは、こうしたことは、常にある程度不可解なままに違いないという点だ」

 死にきれなかった亡者が歩き回り、生きている者を襲う。ドラキュラ伯爵は、東欧で根強く信じられていた伝承の文学的な集大成だった。

 その作者であるストーカーをはじめ、19世紀の作家たちに絶大な影響を与えたものの1つが、18世紀のベネディクト会修道士にして著名な聖書学者ドン・オーギュスタン・カルメの著作だ。2巻からなるカルメの著書が出版されたのは1746年のこと。『天使、悪魔、霊の出現、およびハンガリー、ボヘミア、モラビア、シレジアの亡霊・吸血鬼についての論考』と題された超自然現象の調査記録は、貴重な吸血鬼伝承の宝庫だった。

 カルメは、17世紀後半から18世紀初めに東欧で起きた吸血鬼事件の報告を慎重にかき集め、検討した。これらの報告は、信頼できる情報源に基づいているにもかかわらず、詳しい記述の内容はおよそ現実離れしており、その隔たりの謎を解明しようと、やがて哲学者や医師たちの間に激しい議論を巻き起こす。

■カルメが伝えた有名なアルノルト・パウルの事例

 超自然的な力を学問的に研究すれば、批判と嘲笑を呼ぶかもしれないと、カルメも自ら著書の序文で認めている。一方で、信頼できる証人からの証言は、全くの妄想や作り話として片づけるには、あまりにも詳しすぎるし、一貫性もあると主張した。様々な吸血鬼の報告が正当なものかどうかは、注意深く検討するに値するというのが彼の立場だった。

 死者が戻ってきたという目撃談を、カルメは数多く記録している。いわく、「地上によみがえり、話をし、歩き、村に出没し、人間や動物を襲い、近親者の血を吸い、健康を損なわせ、最後には死に至らしめる」という。こうした亡者は「吸血鬼(バンパイア)という名で呼ばれる」とカルメは書いた。

 カルメが収集した中で特に有名な事例が、オーストリア軍の外科医、ヨハン・フリュッキンガーからの情報だ。この医師は、セルビアの村出身の兵士、アルノルト・パウルの話を語った。

 吸血鬼に襲われたというパウルは、吸血鬼にならないように、吸血鬼の墓の泥を食べ、その血を自分の体に塗りつけた。パウルは農民としての普段の生活に戻ったが、干し草を運ぶ荷馬車の事故で亡くなってしまう。

 パウルの死から約1カ月後、彼がよみがえって何人かの人を殺したと村人たちが言い始めた。動物や家畜も襲われ、血を吸われた。

 吸血鬼の仕業が疑われ、村人たちはパウルの遺体を掘り返した。すると、なきがらはきれいなままなうえ、爪まで伸びており、ひつぎの内側には真っ赤な鮮血が付いていた。

 これを見た村人たちは、「心臓にくいを打ち込んだ。パウルは、はっきりと聞こえるほどのうめき声を上げ、おびただしく出血した」という。パウルに殺された村人も吸血鬼に変身したとみなされ、彼らを永久に「殺す」ために墓が暴かれ、同様に遺体にくいが打ち込まれた。

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