20/01/14 22:33:33.59 CzHCAcQY0.net
>>689
【2】
日本が台湾に進出した時は、沿岸部には海賊が蟠踞していた。
内陸では、土着の匪賊が支配する地域と、
無法者と盗賊の組織が跳梁する地域が入り交じっていた。
彼らは、海岸に漂着した難破船を略奪したり、
島に近よる船員を殺害したりしていた。
台湾が支那(清朝)領だった頃は、外国船の船員に対する流血事件が頻発し、
アメリカ初め他国との紛争が支那(清朝)はが絶えなかったから、
無法の島を割譲して内心喜んだと思われる。
日本が島全域を完全掌握するのに約1年かかった。
1896年3月31日、島は文民統制の行政府が管轄することになった。
しかし、それまで、島を管轄する職にあった支那(清朝)の行政官は、
失職を懐れて台湾の無法勢力と結託し、
新しい統治者に対する叛乱を扇動し始めた。
このため、島は絶えず不安定な混乱状態にあったが、
1901 年末になって漸く叛乱分子を掃討することができた。