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「大和魂」を曲解し日本を礼賛 弱さを刺激する「愛国ポルノ」の罠 ネットde真実は若者の自尊心を刺激する - 暇つぶし2ch1:ガーディス ★
20/01/12 15:32:48.29 jrPx93Ex9.net
実は私は今年度、勤務する大学の1年生向けのある授業で、いわゆるネット保守と呼ばれる人の本を批判的に読むレポート課題を出した。そして、提出されたレポートを見てびっくり。批判的にと念を押したにもかかわらず、かなりの学生が、自分の知らなかったこと、これまでの学校で教えてもらえなかったことが分かったと肯定的に記していた。
1年生だから、地方国立大だから、と、学力の問題に還元すべきではない。事実、提出した学生には医学部の者も含まれていた。ネット保守の論理的飛躍や矛盾にもかかわらず、学生の多くは、自分の知りたいこと、これまで誰からも教えてもらえなかったことが「ここにあった」、と感じていた。彼らの琴線に触れ、彼らの自尊心を刺激したのである。
photo by Gettyimages
不安を刺激することで国民精神へと人びとの関心を向かわせることは、二重の意味で人間の「弱さ」を意味している。一つはすでに述べた不安の由来である。合理的、客観的に判断を下す人間主体という前提が、人間の本来的なありようと正反対であるからこそ、とりわけ新自由主義的な社会において不安感が共有される。
またもし人間が本当に合理的判断を下せる理性的で自律した「主体」であれば、外部からの刺激によって不安を覚え、特定の解釈の枠組みにはまっていくことなどない。人間とは、自律的でも理性的でも、合理的でもない。外に感情を刺激され、感情的に「判断」する生き物なのではないか。
むろん、そうした弱さゆえに国民的団結が必要だ、もたれ掛かるべき国民精神が必要だ、という意見が出るだろう。そして「強い日本を取りもどす」。
しかし考えてみれば、そこで前提とされているのは、ここまで述べてきた意味での「弱さ」に対する覚悟ではない。合理的、客観的な判断可能な人間という前提が残ったまま、状況的に弱くなったために団結するのであり、その結果として集団として再び強くなろうと欲する。
そしてそうした強さが前提とされている限り、集団内では弱さが許されず、弱さを生み出す矛盾が問われることなく、内側での同調圧力が増長するように思われる。
弱さを前提にするなら、国民精神に寄り掛かろうとする自分が何によって刺激され、枠づけられているのか確認することも可能になる。弱さを前提にするなら、自分が同調圧力の中で生きづらさを抱えていることを自分の責任としないことも可能になる。そして、弱さを前提にするなら、「国民」の中と同時に、外においても弱き人びとがいることに気づくことが可能になる。
希望的観測に過ぎるかも知れないが、そこにこそ「新しさ」がある。
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