20/01/08 01:18:08.80 r6pDjVCR0.net
>>653
昭和 39 年 ( 1964 年 ) に マクガバン上院議員が米国上院に提出した報告書によると
米国が スポンサーとなった学校給食 プログラムによって、
日本の子供達が米国の ミルクと パンを好むようになり、日本が米国農産物の 最大の顧客 となった
と書かれています。具体的には米国産小麦の日本への輸入量は
昭和 28 年度 ( 1953 年 )の 168 万 トン から、昭和 39 年度 ( 1964 年 ) には 359 万 トン と 2 倍以上に増加しました。
それ以来 パ ン 食が 普及するのに伴い 主食である米の需要が次第に減少 して行き、米の生産過剰の状態が長年続いています。
その結果政府が保有する米の在庫や備蓄については、
適正備蓄量 160 万トン のところ、平成 12 年度では 2 倍近い 280 万トン にも達していて
食糧倉庫には古米 ( 生産後 1 年以上経過したもの )、
古々米 ( 2 年前以上経過したもので、長期保存のために味が落ち、
米飯には使用されず、せんべいなどの加工用や家畜のエサに振り向ける ) が溢れています。
それにもかかわらず日本は米国をはじめ、オーストラリア、カナダから
毎年 600 万トン を超える小麦を輸入していて 世界最大の小麦輸入国 となっていますが、その小麦の 7 割は米国産 です。
つまり米国は自分の カネ ではなく、日本人の税金を使って パン 食普及の確固たる基盤を日本に作り上げて
大量の小麦の、しかも恒久的輸出先を確保したのでした。