20/01/02 18:37:13.96 hAMnl5uo0.net
>>1
単調になってきて末期だなw
太平洋戦争の原因(二)
[ 米国も認めた、自衛の為の戦争 ]
( 戦略爆撃調査団、報告書 )
アメリカの勝利が決定的となった昭和 19 年 ( 1944 年 ) 11 月 3 日に
ルーズベルト大統領の命令を受けて米国の陸軍長官 スチムソンは戦略爆撃調査団を組織して
戦争終了後に日本に対する各種の調査に当たらせることにしました。
東京に本部を設置し、名古屋、大阪、広島、長崎にも支部を設け、太平洋の島々、アジア大陸にも移動調査班を置き調査に当たりました。
その目的は、あらゆる角度から戦時中の日本に関する調査をおこなうことで
調査は民事、経済、軍事の三分野からなっていました。
民事では更に民間防衛、医療、戦意の 3 部門に分けられていました。
軍事研究では日本側の将官 26 名、佐官 67 名の陸海軍人に対する詳細な尋問がなされ
日本軍の各作戦と戦闘に関する調査をおこない、
経済の分野では戦時中の都市経済や戦時生産の状況に関する データの調査は勿論のこと
米軍の爆撃が与えた被害状況や住民に及ぼした心理面での効果の項目も含まれていました。
調査はその年の 12 月までおこなわれ、108 巻の報告書にまとめられました。