19/12/11 01:12:15.97 XztppZEV0.net
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『平和の海の江戸システム』(川勝平太氏の海洋史観
ヨーロッパ人が、他の大陸の土地と人間を暴力的に収奪して、
豊かさを手に入れたのに対し、
日本人は「自力で栄えるこの肥沃な大地」を築き上げた。
それはどのようなアプローチで可能だったのだろうか。
ヨーロッパは、アフリカから移送した黒人を
アメリカ大陸のプランテーションで働かせて綿花を栽培し、
それをイギリスの紡績機で綿布に仕上げるという三角貿易で、
綿布の自給体制を作り上げた。これが産業革命の契機となった。
こうして、ユーラシア大陸の両端、
木綿生産の最後進国であったイギリスと日本は、
19世紀を迎える頃には、綿業の最先進国になっていた。
ただそのアプローチは、あまりにも対照的であった。