19/12/03 03:36:04 EnzKLEjy0.net
こういう話し合いをしていたのに、直ちに裏山、反対者がいても裏山と決断するのは難しかった。
そして、それを考えると、石巻市をはじめとして関係する機関との調整を図ることのできた学校の事前のマニュアル整備こそが肝心だったことが浮き彫りになる。
校長証言
C1校長は,大川小内に災害対策本部を設置した上,在籍児童 を校庭まで避難させ,防災行政無線等で情報を確認したほか,津波 遡上の可能性を判断するため,
E教務主任を北上川の右岸堤防まで 行かせて北上川の水面の異常の有無を確認させた。その結果,E教 務主任から北上川に異常は見られないとの報告を受けて,
津波の遡上はないと判断し,在籍児童を校舎内に戻した。
その後,C1校長 は,D教頭及びE教務主任との間で,大川小に津波が来た場合にど うするかを話し合い,5mを超える津波が来たら大川小はもたない,その
ときは裏山に逃げるしかないかなと発言する一方,あそこ は足下が悪いし,急なところなので,避難先としては使えないかも しれない,もっと安全に避難できる
場所を探さないといけないとも 発言し,このときも,第三次避難場所をどこにするかの結論は出なかった(乙31・2頁~3頁,原審証人C1・6頁~8頁・52頁 ~55頁)。