19/12/02 12:23:53.34 ZOZeD5V40.net
宮城県では、平成16年に、間も無くマグニチュード8の地震が起こることは確実と警告され(なんとその確率99%と発表されていた)、
学校では、防災のためマニュアル作りが急務とされたていた。
そのための講習や通知を受けていた教師3名は、大川小が津波で被害を受けることを知っていた。
石巻市は知っていた。
平成20年の石巻市新防災マニュアルには、堤防がもたず北上川右岸が浸水するとの記述があり、大川小も浸水することを知っていた。
10回以上開かれた講習会に参加した教師3名は、何度か津波対応について話し合いながらマニュアルを放置したものの、津波に対する意識が高かった。
だから、地震後、その内1人は裏山に逃げ、1人は「裏山避難」を言った(もう1人の校長は当日休み)。
ところが、石巻市は、大川小のあった釜谷地区には、新しい知見を反映させず、平成16年に県がサンプル的に作成した波の高さだけから計算して作った「ハザードマップ」をコピーして地区に配布してしまった(平成21年)。
これが、高裁が指摘した「過誤あるハザードマップ」。
だから、講習会に参加した教師3名とは異なり、住民は津波の危険を知らなかった。
北上川は昭和9年に石巻市市街から旧河北町に付け替えられたので、地域には、それを遡上する津波の伝承もなかった。
そして、過誤あるハザードマップは、なんと!浸水する大川小を指定避難場所としていたので、住民は大川小に集まった。
だから、地域住民はたくさん死んだ。
URLリンク(i.imgur.com)