19/11/30 00:50:09.45 pZNe2PaY0.net
>>371
戦艦でさえ山を登るのだから、
地下足袋と銃剣とすきっ腹でも、あるいは銃砲弾の雨あられに勝てるかも…
>>483
有料だから読めないけど、日本の敗戦のあと、日本軍の側に立ってインパール作戦に
同行したインド国民軍の敗残者は、当時インド最大の政治勢力である国民会議派によって
インド国民の統合の理想として祭り上げられて、反英闘争のシンボルとして利用された。
インド国民軍のなかではムスリムとヒンズーが融和していると考えられたからだ。
そしてジンナー率いるムスリム勢力が唱えている分離独立は間違っていると国民会議派
は主張していた。
しかしその間、同時にインド共産党もインド国民軍の人気を利用して勢力を伸ばしていた。
あいつく反英ストライキやデモをつうじて英印軍の兵や文民の学生を組織していき、つい
に革命的な蜂起を起こしたのである。
こうなると国民会議派も反英を煽り続けるわけにはいかない。左翼の蜂起をきっかけに
国民に自制を求めるようになった。インド国民軍の捕虜たちを将来のインド軍に組み込
もうという一部で出ていたアイデアは立ち消えとなった。
しかし独立にむけた救いの手はそもそもイギリスのほうから差し伸べられつつあったの
である。チャーチルが退陣したあと政権をとったアトリー労働党は、インド独立に対しては
うってかわって前向きであった。困難ではあるが問題は条件の交渉のみとなった。