19/11/22 01:59:19 HqLgYq120.net
>>85
45年7月時点で合計約32万人余の沖縄住民と旧軍人などが米軍政下に入った
軍人などは捕虜収容所、住民は難民収容所に収容。収容所では入所と同時に
殺虫剤を散布され、新しい衣服に変えさせられた。それは米兵を伝染病から守るためだった。
そして必死に戦場を生きのびてきた住民にわずかな食糧しか与えず
負傷者や栄養失調者にもまともな手当てをしなかった
しかも重病人以外は自分の食糧確保のための農作業と米軍用道路や基地建設工事にかり出しこき使った
一般住民も米兵のきびしい管理下で「捕虜」あつかいされ、劣悪な衛生環境のなかで多数の死者が出た
浦添村民の収容所では312人が死亡したが、それは浦添全体の死者の1割にのぼった