19/11/19 23:50:32 UNfbTlWk0.net
李承晩
大韓民国第1-3代大統領
任期 1948年7月20日 – 1960年4月26日
1954年当時の憲法では、大統領の任期は二期までで、三選は出来ない事になっていた。
しかし、生涯大統領を望む李承晩及び与党自由党は「初代大統領に限って三選禁止規定を撤廃する」という改憲案を提出した。
1956年、80歳を過ぎた李が三選を狙った大統領選挙に際して、民国党を中心とする野党勢力は「やってられない、
(政権を)変えてみよう」をスローガンに統一戦線を組み、「民主党」を結成した。
一方、自由党は「替えても変わらにゃ、長老(李大統領)がマシ」というスローガンで対抗した。
1957年8月、9月は李承晩政権の絶頂期。
李康石(李承晩の養子)は街の無法者となり、警察官を殴ったり、派出所の器物を壊して歩いても、
誰も告発したり、処罰するものはいなかった。
1960年、李承晩が四選を狙った大統領選挙では与党の不正工作は前回の大統領選挙よりも徹底された。
1960年3月15日、大統領李承晩、副大統領李起鵬の当選が報じられると、特に不正が酷かった慶尚南道馬山では民主党馬山支部が「選挙放棄」を宣言。
それは即座に不正選挙を糾弾するデモへと発展し、これに市民も参加。
「デモは共産党主義者の扇動」を主張する当局がデモ隊に発砲し、8人死亡50人以上が怪我という惨事になった。