暇つぶし2chat NEWSPLUS
- 暇つぶし2ch2:宴}のように、いつか前のように話してくれるかも。そう信じたが病状は好転せず、意思疎通はかなわないままだった。11年がたった。   「汗だくやん」。容子さん(54)が病院のベッドの侑紀さん(30)に声を掛け、タオルで顔を拭う。19年6月の府内の病院。侑紀さんはぱっちり開いた目できょろきょろと見回す。喉元には気管切開の跡があり痰(たん)がからんでいるのか、ジュゴゴゴ…という音を機器がたてる。棚を閉めるバタンという音がすると驚いたように目を閉じる。   「怖かった事故を思い出すんかな」。容子さんが気遣う。事故で運ばれた病院に11年、ほぼ毎日通っている。事故当初は知人が見舞いに来てくれたが徐々に途絶え、今は容子さんら家族だけが病室を訪れる。   病室には縫いぐるみを置き、ベッドサイドには元気だった頃に海辺で撮った侑紀さんの写真。できるだけ明るい雰囲気にしたいという思いからだ。病室を出た容子さんは、声を絞り出した。「病室に入るたび、あの日に引き戻される。本当に地獄みたい」   警察からは追跡に問題なかったという説明を受けた。乗用車を運転していた女性は事故当日に病院へ来たきり。   「相手を責めるつもりはない。でも事故が起こってから11年、まだ苦しみが続いていることを知ってほしいんです」   ヘルメットをかぶらずにミニバイクを乗っていた非は息子にある。警察に見つかったならなぜ逃げたのか。言いたいことはたくさんある。「親不孝して。お母さんの11年を返して」。だがベッド上の姿を見ると「これほどの償いが必要なのか」という思いがこみ上げる。   京都府警によると、2018年の府内の交通事故死亡者は52人、負傷者は7258人。負傷者の後遺症に関するデータはない。   駅前にある病院の周囲には大勢の人々が行き交う。その中の誰も、すぐそばで10年以上にわたって苦難を味わっている親子の存在を知らない。 ■亀岡事故の遺族と心通わせ力に それでも孤独が癒えるように感じることがある。2012年4月に亀岡市であった集団登校事故の遺族との交流だ。「子どもに対する親の思いとして、共有できることがある」   亀岡事故で妊婦だった長女松村幸姫さん=当時(26)=を失った中江美則さん(56)とは、15年ごろに京都地裁で偶然出会った。新聞やテレビで亀岡事故のことはよく知っていた。「この人になら話を聞いてもらいたい」   容子さんの話を「大変やな」と言いながら聞いてくれた。それから他の交通事故遺族の裁判に関する署名活動などに誘われるようになった。   もちろん気持ちを分かち合っても、侑紀さんの境遇が変わる訳ではない。「でも励まされる気がするんです。誰かと思いを通わせることは、それだけで生きる力になる」。長く苦しい旅路の中、絶望だけが待っている訳ではない。 11/17(日) 11:30 京都新聞 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191117-00163248-kyt-l26 https://lpt.c.yimg.jp/amd/20191117-00163248-kyt-000-view.jpg




次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch