19/11/17 01:37:42 CNLOeR8v0.net
ところが、です。一夜明けてみると、蒙古・高麗の連合軍の船が一艘もない。湾内を埋め尽くしていた船が一艘も見あたらない。
これが一説によると、第一回蒙古襲来で大暴風雨がやってきて多くの船が沈んだというけれど、日本側の記録である『八幡愚童記』
などを見ても、嵐のことは一行も書かれていません。
そればかりか
「朝になったら
敵船も敵兵も
きれいさっぱり
見あたらなくなったので
驚いた」
と書いてあります。
要するに何が起きたのかというと、神風が吹いて敵がいなくなったのではなくて、そもそもが様子見に来寇した蒙古・高麗連合軍が、
無抵抗だった壱岐対馬と異なり、意外に日本側が武器を持って戦いに臨んだので、驚いて帰っちゃった、というのが真相です。
高麗の歴史書である『東国通鑑』には、夜半に大風雨があったこと、多くの船が海岸のがけや岩にあたって傷んだと書かれているの
ですが、これはどうやら意外な抵抗を受けて逃げ帰った蒙古・高麗軍が、本国である元に報告する際に記録を捏造したのであろうと
いうのが、最近の通説です。
なんと、かれらの捏造歴史は、いまにはじまったことではない。
以上が第一回元寇である「文永の役(ぶんえいのえき)」です。
750年前にも捏造をしている民族
日本はエンガチョンを貫くのが正解だね