【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流-青銅・鉄・朱・塩-」at NEWSPLUS
【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流-青銅・鉄・朱・塩-」 - 暇つぶし2ch79:名無しさん@1周年
19/11/10 21:13:02.10 QlFPEuqg0.net
>>75追記
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
>  磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
URLリンク(www.genbu.net)
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。
上記のとおり鹿島神宮の武甕槌も磯良とされる上に、やはり神功の梶取(舵取り)を務めたとされている
実際、武甕槌の神使は鹿であり、安曇の祀る志賀海神社には大量の鹿の角が奉納されている
その武甕槌の葦原中津国平定は神武東征よりも前の時代の出来事とされているし、神武が東征中に熊野で苦戦しているときに
天照大神から手助けを命じられてフツノミタマの剣を神武に与えたのも武甕槌とされている
射楯兵主神社の射楯大神=五十猛といい、神武東征以前の神が神功の水先案内を務めたという伝承が多いのは
本当は神功は神武よりも前の人物だということだろう
記紀で神武より後の人物ということにされたのは、神武即位を紀元前660年という考古学的にあり得ないほど昔に設定したがゆえのことか
8世紀の記紀編纂者が外征の大勝利という功績を大和朝廷のものにしたかったという事情によるものだろう


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