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【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流-青銅・鉄・朱・塩-」 - 暇つぶし2ch179:名無しさん@1周年
19/11/12 09:26:27 9XxF45XW0.net
骨を分析した国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長は「この男性は同じ時代に
福岡平野で出土した人骨に比べ、
上腕骨が太い」と話す。大腿(だいたい)骨の股関節から推定して身長158・2センチ、体重77・2キロ。
がっしりした体格で縄文人の系譜という。宇久島や平戸島で出土した弥生人骨も同様の傾向があり、海部さんは
詳しく調べている。

   □    □

 スポーツ選手の骨が太いように、高島の弥生人も何らかの“運動”をしていたのか。日本人の起源を探っている
海部さんは、弥生時代に始まったとされる「貝の交易」に着目する。

 その手掛かりが、宮の本遺跡で1978年に出土したイモガイ製の腕輪。女性の人骨が身につけていたもので、
イモガイは沖縄近海でしか採れない。弥生時代、北部九州の有力者は南海産の貝を珍重したため、
高島は交易の中継地だった可能性がある。高島の弥生人が船で貝を運んでいた、と海部さんは考えているのだ。

 西北九州の弥生人が南海へ渡った足跡は見つかっている。西北九州特有の墓制が沖縄で確認され、縄文時代
晩期の佐賀・腰岳産の黒曜石が沖縄で大量出土したとの報告もある。熊本大の木下尚子教授(考古学)は「西北
九州沿岸の全ての弥生人が交易したとは言えないが、福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな海人の世界が
あった」と推測。その行動様式は縄文時代から続いている、とも指摘する。

 酸性土壌の九州本土では人骨が残りにくいが、宮の本遺跡は海岸だった砂浜の地層にあるため、保存状態がよい。
100体以上の人骨が残されているという。ただ、不思議なことに、これまでの発掘調査で集落跡は発見されていない。
目と鼻の先に本土が見えるのに、なぜ、彼らは高島を選んだのか。佐世保市教委の松尾秀昭学芸員は「考古学では分か
らない点を人類学で分析し、弥生時代の葬送儀礼や当時の生活の様相を明らかにしたい」と語る。多様な弥生社会が、
長崎の離島から浮かび上がることを期待したい。

西日本新聞 2018年12月15日00時09分
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)


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