【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流-青銅・鉄・朱・塩-」at NEWSPLUS【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流-青銅・鉄・朱・塩-」 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト150:名無しさん@1周年 19/11/11 21:53:27 HkrLNJEj0.net >>104 射楯兵主神社の社伝がいつ中世になったんだ? 延喜式にも載っている神社なのに それに射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めたという話は播磨国風土記にもある 一連のレスは荒唐無稽なのではなく、単に君に知識が足りなかっただけだ http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/171.html > 神社の祭神については「播磨国風土記」の飾磨郡・因達(いだて)の里の条には > 「土は中の中なり。右、因達と称(い)ふは、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 、韓国(からくに)を平(ことむ)けむと欲(おもほ)して、渡りましし時、 > 御船前(みふなさき)に御(ま)しし伊太代(いだて)の神、此処(ここ)に在(いま)す。故( かれ)、神のみ名(な)に因りて、里(さと)の名と為す」と記載がある。 > この因達の里の伊太代の神は岩波書店「播磨国風土記」の脚注によれば、「航海神。住吉大社神代記に船玉神と見える・・・」とある。 > これによると、因達(いだて)の里(さと) の名は伊太代(いだて)の神の名をつけたという。 > 射楯の神は神功皇后と係わりが深く記載されているので、海人族の神でもあったのであろう。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch