19/11/03 22:06:09.67 PnE/QuiW0.net
>>280
「ハロルド・ジョン・ティエンパレー」
1898年生まれ。オーストラリア人、第一次大戦後中国に来る。
ロイター通信の北京記者となる。
その後マンチェスター・ガーディアンとAPの北京駐在記者を兼ねる。
1937年盧溝橋事件後、国民党政府は彼を英米に向けて派遣し、
宣伝工作に当らせ、次いで国民党中央宣伝部の顧問に任命した。
編著に『中国に於ける日本人の恐怖』(1938年)一書がある
ティンパーレーの日本語訳本を出した「龍渓書舎」というのは、
実は「チャイナ・ウイークリー・レビュー」が
中国語訳本を出版するときに使われた書店名であることもわかった。
チャイナ・ウイークリー・レビューは、
そもそもが国民党の息のかかった英文紙だったのである。・・・
ここで新たにわかったことは、ティンパーレーは、
南京から送られてきた手紙を、
ただ「真実」として読者に伝えようと思ったのではなく、
「宣伝部」という国民党組織と一緒になってあの本を書いた、ということである。
中央宣伝部が総力を挙げて製作したのが、宣伝本のティンパーリ編『戦争とは何か』であった。
この本は「死亡した市民の大部分は、13日午後と夜、
つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした」とか、
「強姦を拒んだ婦人も銃剣で突き殺されました。また、邪魔になった子供たちも突き殺されました」
といった南京の「度重なる殺人」を描いていた。
ティンパーリの書籍『WHAT WAR MEANS』は第三者的なジャーナリストによるものとして
認識され、「客観的な資料」として扱われてきた。
しかし、近年の研究でティンパーリは左翼思想の持ち主で
イギリス共産党をはじめとする当時の国際的な共産主義運動に関与していたほか
国民党中央宣伝部の下部組織である国際宣伝処英国支部(ロンドン)の「責任者」として
月額1千ドルの活動費を得て、宣伝工作活動を行っていたことが判明している