19/11/03 22:58:44.39 PnE/QuiW0.net
>>748
『済南事件』
北伐軍(蒋介石軍)が山東省済南市に入城し、日本人居留民に乱暴狼藉を働いた事件。
邦人経営商店での略奪行為をきっかけに日本軍と衝突。
日本の被害は、戦死9名、負傷32名、居留民の惨殺14名、
暴行侮辱30名余、奪被害戸数136戸、被害人員約400名。
済南事件で中国兵が日本人居留民に加えた残虐行為は、
まさに「中国式」で想像を絶する残虐さだった。
事件直後に惨殺死体を発見した南京駐在武官・佐々木到一中佐はその手記に次のように記した。
「予は病院において偶然その死体の験案を実見したのであるが、
酸鼻の極だった。手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、
あるいは滅多切りとなし、婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
ある者は焼かれて半ば骸骨となっていた。
焼け残りの白足袋で日本婦人たることがわかったような始末である。
わが軍の激昂はその極に達した」
済南の日本人惨殺状況に関する次の外務省公電がこれを立証している。
「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿込みたるもの、
顔面上部を切落したるもの、
右耳を切落され左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れる者一、陰茎を切落したるもの二、」とある。
日清戦争の時も捕虜となった日本軍兵士達は両手両足を切断していく拷問
(中国ではこれを凌遅処斬とかいうらしい)をうけていたが
上の記録からも中国人の殺人の手口の凄まじいほどの残忍さが分かる。
中国兵による略奪陵辱暴行殺人事件。
略奪被害戸数136、被害人員約400とある。