【歴史】三橋貴明「邪馬台国は九州」「畿内説は自虐史家たちの政治的意図を感じる」「Y遺伝子、大陸と日本人は全く似ていない」★3at NEWSPLUS
【歴史】三橋貴明「邪馬台国は九州」「畿内説は自虐史家たちの政治的意図を感じる」「Y遺伝子、大陸と日本人は全く似ていない」★3 - 暇つぶし2ch1:
19/10/14 21:54:09 saZNB23s9.net
経世史論の特別コンテンツで、なぜ長浜先生に「邪馬台国はどこにあったのか?」「日本人はどこから来たのか?」についてご解説頂いたのかと言えば、我が国の古代史には、

1. 自虐史家(戦後の日本の歴史学者の多数派)が日本書紀、古事記を全否定し、神武天皇から開化天皇までの諸天皇は「いなかった」と決めつけている

2. 狩猟採取が中心だった縄文時代の日本に、紀元前200年頃に大陸から渡来人が多数襲来し、水田稲作を伝え、渡来人の子孫の「弥生人」となった

という、完全に間違った「通説」が、あたかも真実のごとく流布してしまっているためです。

特に、「邪馬台国畿内説」「邪馬台国東遷説」は、日本の建国を「邪馬台国」としているため、建国時期を200年以上も後ろ倒しにできます。

卑弥呼の死は西暦247年頃ですが、卑弥呼と何と「天照大神」を同一視する論調までもがあり、しかも結構広まっているのです。(井沢元彦らによる)

実際には、邪馬台国は九州の「旧・山門郡」にあり、卑弥呼の時代の三世紀ほど前に、神武東征が実際にあった。

大阪平野の変遷が、神武東征の時期(紀元前50年以前)を特定したのですが、相変わらず邪馬台国畿内説や東遷説が消えません。

開化天皇以前の天皇(特に神武天皇)を否定したいという、自虐史家たちの政治的意図があるとしか思えないのです。

また、日本人は縄文時代から稲作をしており、水稲にしても紀元前930年「より前」に始まっていたことが確定しています(菜畑遺跡による)。

それにも関わらず、紀元前200年頃に渡来人が水稲を伝えたという通説が消えない。

そもそも、Y遺伝子を見れば、日本人が大陸の人々とは全く似ていないことが明確なのです。

結局、「縄文人+渡来人=弥生人」というおかしな(しかも各種データや遺跡を無視した)発想は、日本人に、「お前たちは結局、大陸から来た中国人や韓国人の子孫なんだよ」と、嘘の情報を植え付けようとしている風に感じられ、率直に言って、気持ち悪くて仕方がありません。

財政破綻論者同様に、「嘘」を広める自虐史家たちも、日本国の繁栄を妨げる邪魔者なのです。

「新」経世済民新聞 2019年10月6日
URLリンク(38news.jp)
URLリンク(i1.wp.com)

★1:2019/10/10(木) 22:54:10.81
スレリンク(newsplus板)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch