19/10/12 12:43:45.12 HnqAThUF0.net
>>567
>>568
忠烈王は立場的に元の完全庇護のもとにいて即位もそのお陰
だから誰よりも媚を売らないといけない立場
ちょうどその直前に三別抄の乱が起こってて立場はさらに不安定になってる
フビライの機嫌を損なわないように積極姿勢を出す必要がある
文永の役の時はそのために協力を余儀なくされてる
ただ本当にしつこいくらいに「国が荒れ果てて大変です」と嫌味のように報告してる
そしてその後の弘安の役に協力はするけど、遠征そのものを嫌がるなどの態度を見るとその本心が見えてる
実際に弘安の役では高麗兵は少数になってる
この弘安の役に際して王は「7つの要望」を出している
これは簡単言うと「皇帝直属としてその部下に良いように使われないように、自分達は前線に出ない、百姓のダメージを減らす」という物
王はこの戦いを通じて高麗を言いなりの状態から脱して、国土を守ろうという意図を持ってたのが分かる
この時もひたすら報告書に国の惨状をしつこく書いてる
戦争の内容も「敗戦した」としか書いてなくて金方慶の活躍などの高麗兵の活躍だけたくさん書いてる
日本遠征なんてどうでも良くて、高麗と言う国を元の圧力からいかに守るか苦心してるのが見えてくる