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>>312
この時、沖合防波堤の許認可や機器の対策など指示を受け、
同年(2008年)7月31日の2回目の会議で、沖合防波堤の工程表や数百億円の建設費など報告したが、
武藤被告は「研究を実施しよう」と述べて、津波対策の実施を先延ばしした。
『担当者は「頭が真っ白になり、力が抜けた」と証言している』。
武藤被告の指示で、09年6月終了予定の耐震バックチェック津波対策を先延ばしし、
『安全審査担当の専門家の同意とりつけ』や『他社が先行しないようにする調整』、『原子力安全・保安院との交渉』など
『様々な裏工作を行ったことが、未公開の関係者の電子メールから明らかになった』。
「時間稼ぎ」であったとの証言通り、『ここが福島原発事故に至る決定的分岐点であった』。
武藤被告らが津波対策の先送りを決めた08年7月31日の直後、
『「柏崎刈羽が止まっているのに、これで福島も止まっているのに、
これで福島も止まったら、経済的にどうなのか、って話でね」(酒井俊朗東電土木グループGM)』
との証言も判明、『安全よりも経営を優先して津波対策を先延ばしした実態が明らかになった』。