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このように上海に軍慰安所をつくったのは上海
派遣軍参謀副長岡村寧次、同高級参謀岡部直三郎
だとされている。既存の研究によれば、岡村らの
動機は占領地で頻発した中国人女性に対する日本
軍人によるレイプ事件によって、中国人の反日感
情がさらに強まることを恐れて、防止策をとらね
ばならないとしたところにあった2)。そのことに
ついては、陸軍省副官川原直一が昭和15年(1940
年)9月19日に関係軍部隊に送った文書「支那事
変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」にも
(中略)
これはすでに注目されている有名な資料だが、
日中戦争開始の1937年7月から1939年末までの1
年5ヶ月の間に強姦致死の罪によって軍法会議で
裁かれ有罪判決を受けた日本軍将兵の数が732人
であるとの記述が重要である。