19/09/12 22:40:32.84 iiWrPkKf0.net
>>760
弥生後期の生産力の差は圧倒的。
弥生前期から長い時間かけて、高度な灌漑技術までを手に入れていた。
更に鉄器の普及でその差は拡大し、そして鉄器の広がりと共に生産力も南へ、そして
東へと拡大していった。畿内の巨大古墳もそれら灌漑技術あっての物なんだよ。大和
三山以北は巨大な奈良湖で、かつ大和川は大変な暴れ川。これを灌漑するのに鉄器が
なければ極めて困難。
稲作はその土壌が更に生産を押し上げるという特徴があり、また、乾田と湿田を交互
に行うなどの技術も既に普及していた。灌漑設備は耕作地が広がるほど大事な技術かつ
投資であり、福岡、佐賀、大分などの巨大な耕作地ネットワークを放棄する理由はどこに
あるのだろうか。私的には無いと断言できる。従って、王権の移動もありえない。
いくら奈良盆地が「美し国」でも、それは北部九州の技術と鉄器(農業も兵器も)に
よってこれから豊かになるのであって、現時点ではない。明智光秀の「切り取り次第」
と同じ話。神武一行のルンペン旅行も、それほど明確な宛てがあっての旅だとも思えない。