【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に?at NEWSPLUS
【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に? - 暇つぶし2ch650:名無しさん@1周年
19/09/12 15:57:47.16 gKLkeuun0.net
まさかとは思うけど、通説とは違うものが出土したら隠されたり
埋め戻されたりされてるんじゃないかと疑念を抱くことがある

651:名無しさん@1周年
19/09/12 15:58:09.33 9eXr/dpX0.net
ウリナラファンタジーwww
朝鮮学校で習ったの?

652:名無しさん@1周年
19/09/12 15:58:16.19 4+bu/6Ag0.net
>>599
平安時代には東北は日本に欠かせない重要な地域の一つだったろうな。

653:名無しさん@1周年
19/09/12 15:58:45.69 cp2TPdpA0.net
>>579
兵庫県は我が道系

654:名無しさん@1周年
19/09/12 15:59:05.28 z1XLH7k80.net
卑弥呼は九州にはいない
九州は日本のいかなる時も中心にはならなかった
あくまで中継地
ましてや古代において稲作に向かない九州でその指導的立場をとるのはおかしい
その時代に九州から日本の各地への指導や指令は時間がかかりすぎるし
ましてや日本側に残る資料に全くのそのような記述もない
それらを全て神話呼ばわりするなら世界の歴史は全て神話になる
くだらない政治的主張としか言いようがない

655:名無しさん@1周年
19/09/12 15:59:18.78 cAipTvllO.net
漢から任じられた王国が在った訳だからね
菅原道真の頃には大和朝廷の左遷先にもなってるくらいだから
単なる敵対国家だった様には思えんよな

656:名無しさん@1周年
19/09/12 16:00:04.55 z1XLH7k80.net
たぶん盗賊に奪われて紛失してたんだろ

657:名無しさん@1周年
19/09/12 16:00:59.87 9eXr/dpX0.net
むしろ白村江の戦いまでは半島南部は日本の領土だった。

658:名無しさん@1周年
19/09/12 16:01:04.64 z1XLH7k80.net
日本にはあちこちに古墳がある
その大半は盗掘されている
それらはどこへ行ったのだろう

659:名無しさん@1周年
19/09/12 16:02:01.35 o5oNev+c0.net
>>576
東国に関しては行田の前方後円墳からワカタケルの剣が出てくるくらい畿内との関係は緊密
同じワカタケルの剣が江田船山古墳でも出てるから、どっちも大和王権の有力地方豪族だったんだろう

660:名無しさん@1周年
19/09/12 16:07:38.93 /GLoIZqw0.net
うん、だから邪馬台国と大和は別もの。
邪馬台国は倭国
大和は日本国
ノータリンはなぜか西日本を統一してないと気がすまないらしいw

661:名無しさん@1周年
19/09/12 16:08:56.34 9eXr/dpX0.net
>>619
半島南部には前方後円墳があるのに北九州には百済系の古墳がありませんねえ。

662:名無しさん@1周年
19/09/12 16:12:33.62 a09eTq6k0.net
そら鏡くらいくれるだろう

663:名無しさん@1周年
19/09/12 16:12:56.47 j4kzX/sB0.net
当初正統を誇示するためにアマテラスを祀ったが、
ヤマト王権が確定した途端伊勢は遠ざけられ
最終的に紀伊半島の東端まで追いやられ、
更に皇族の禁足地扱い。
この点からも、大和王権の汚なさが分かる。
こんなのの末裔を神と崇めて死んでいった
英霊とむこの民の無念さよ。

664:名無しさん@1周年
19/09/12 16:15:45.47 4+bu/6Ag0.net
>>128
昔は僕も邪馬台国の勢力圏をその辺までと思ってたこともあったけど、
そんな弱っちそうな狗奴国と戦争するためにわざわざ魏の臣下に下る必要があったんだろうか。
現時点では熊本平野が熊襲に寝返ったんじゃないかなと推測してるかな。

665:名無しさん@1周年
19/09/12 16:18:02.06 dJfDdf2X0.net
>>516
時間が合わないね。
卑弥呼のあとのトヨが朝貢したのが266年。
それから神武が「東征」して、たった100年で七支刀。
14代も経ってるのに。
九州には前方後円墳の原型もなく、なのに、東征した瞬間に前方後円墳が作られる。
奈良には突如よそ者に襲われたらしき遺跡もなく、戦乱の影さえ存在しない。
よく言われるように、奈良には鉄がない。
つまり、鉄の矢じりも出ないからなw

666:名無しさん@1周年
19/09/12 16:18:28.27 4+bu/6Ag0.net
>>625
それは左遷ではなく


667:、たぶん天下りだろう。



668:名無しさん@1周年
19/09/12 16:20:05.83 9eXr/dpX0.net
天下りって本社から関連会社に飛ばされるようなもので左遷だろう。

669:名無しさん@1周年
19/09/12 16:23:24.18 4+bu/6Ag0.net
>>631
畿内からの出稼ぎで事足りてたんちゃう?

670:名無しさん@1周年
19/09/12 16:25:26.56 cAipTvllO.net
まぁ、祟り騒ぎがあって政敵が祀った訳だからね
中央から遠ざける意味合いが強かっただろうね
そしてその様な人材のやり取りが可能だった関係でもある
征夷大将軍なんて作って送り込む地方とは違いすぎる

671:名無しさん@1周年
19/09/12 16:28:33.95 YuL/Dk6s0.net
>>218
金印が出てるんだから朝貢してたのは間違いない

672:名無しさん@1周年
19/09/12 16:28:46.39 o5oNev+c0.net
女王の痕跡は斎王として平安時代くらいまでは風習が残っていたようだね

673:名無しさん@1周年
19/09/12 16:29:51.21 4+bu/6Ag0.net
>>633
東方で海からの日の出が見れるとこで奉る風習とかあったんちゃう?
宇佐神宮とも共通しそうやし。

674:名無しさん@1周年
19/09/12 16:32:31.08 YuL/Dk6s0.net
>>59
曹操存命時は漢だったし大してずれてないな

675:名無しさん@1周年
19/09/12 16:34:39.17 4+bu/6Ag0.net
>>637
官僚が民間企業に移ってがっぽがっぽ稼ぎまくることやろ。

676:名無しさん@1周年
19/09/12 16:37:04.78 9eXr/dpX0.net
>>644
官僚でピラミッドの上に行けなかった人が脱落した順番に天下るわけだけど、
上に行った人はもっといいところに天下ってもっと稼ぐからなあ。

677:名無しさん@1周年
19/09/12 16:37:06.98 eQITj5LJ0.net
始皇帝の命令でハクタクが100人ぐらいの子供を引き連れて日本にソーマを探しに来たからでは無いか

678:名無しさん@1周年
19/09/12 16:37:36.51 4+bu/6Ag0.net
>>639
そんなん、目くらましに決まってるやん。

679:名無しさん@1周年
19/09/12 16:39:22.35 4+bu/6Ag0.net
>>645
官僚としてトップになることを幸せと考える人もいれば、
民間で稼ぎまくって贅沢三昧の暮らしをすることを幸せと考える人もいるだろうからな。

680:名無しさん@1周年
19/09/12 16:42:10.91 4+bu/6Ag0.net
>>645
遣唐使を廃止にして、逆に中国から来るようになった船との交易を独占してたやろからな。
並の稼ぎじゃなかったはず。

681:名無しさん@1周年
19/09/12 16:43:09.26 4+bu/6Ag0.net
国営事業を民営化して、そのトップにまんまと収まったってわけやろからな。

682:名無しさん@1周年
19/09/12 16:46:07.34 cAipTvllO.net
大宰府に独自貿易の権限が有ったのなら色々話が変わって来ないか?
出土物がこの時代の交易品の可能性すら出てくる
唐なら漢時代の遺物も骨董だったかも知れんし

683:名無しさん@1周年
19/09/12 16:49:07.10 4+bu/6Ag0.net
>>651
おそらく古墳時代に治水は大幅に向上したろうから、
平安時代には洪水で埋まるようなことはめったになかったとは思うけど。

684:名無しさん@1周年
19/09/12 16:50:03.86 r5Iea03k0.net
奈良出身者だけど邪馬台国は九州だと思うわ。たぶん奈良県民全員そうおもってる。

685:名無しさん@1周年
19/09/12 16:53:09.76 E0l1Qoo40.net
>>194
熊襲が南九州以外の説って見たことない
>>200
>>205
Googleやらの米ITはインド人のトップや幹部がわんさかいるけど、
別にアメリカがインド人に支配されたわけじゃないしね
神話の元ネタに高句麗のものが採用されることはあったと思う。今からしたら迷惑だけども

686:名無しさん@1周年
19/09/12 16:55:20.31 4+bu/6Ag0.net
>>651
中国船が停泊できるくらいちゃんとした港が博多くらいしかなかったろうから、
交易を独占できてたろうってだけで、所詮天皇の旗振り役の下、
中国との接点を担当してただけやとは思うけど。
中国人が欲しがるものを用意できなんだら、中国船わざわざ博多まで来んやろからな。
中国人が欲しがるものを用意するのは本州の役目といったとこだろうな。

687:名無しさん@1周年
19/09/12 17:02:48.97 E0l1Qoo40.net
>>248
森浩一の説だとトヨのときに畿内に遷都したとなってるから、卑弥呼の時代は九州でも、隋の時代には畿内であってる
個人的にはトヨのさらに次以降だと感じる。中国から見た空白期間が長すぎるので

688:名無しさん@1周年
19/09/12 17:22:35.80 CNNe9Rdb0.net
>>442
邪馬台国周辺の対外交渉に使用した可能性もあるから、
確実に墓にあるかは分からない

689:名無しさん@1周年
19/09/12 17:33:41.81 V4+uHax60.net
>>654
そういう意味ではない
向こうはこちらは蛮族の地として興味をもたないうえに
半島の神話って日本神話とは全く違う

690:名無しさん@1周年
19/09/12 17:44:43.74 bT7urW1z0.net
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は後漢のものと言われていて、魏の時代と時代が合わない。
北九州の遺跡からは後漢の鏡が出土する。魏の時代からは畿内をはじめ全国から出土する。
曹操が死んだ時期も卑弥呼が使いを送るずっと前の出来事。
つまり、この金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は後漢の時代のものであり、北九州説論者が魏の曹操と言う
名前を出して「魏」と連動させて邪馬台国九州論に有利になるように仕向けた風説の流布にすぎない。

691:名無しさん@1周年
19/09/12 17:47:57.53 E0l1Qoo40.net
>>341
あんま知らんけど、発掘したら九州のものが出てきたらしい
【考古学】ヤマト王権トップ?の木棺、初公開 桜井茶臼山古墳 
スレリンク(newsplus板)
>>360
>>363
元々は「美術商から買ったものは由来が適当だから無視しよう」ではなくて、
「窃盗を助長するから買うな。儲けさせるな」という意味
一般論としては、美術商サイドは由来を気にする
そいつらは本物を手に入れたいわけだから

692:名無しさん@1周年
19/09/12 17:51:29.79 0+iYIBM40.net
そもそも日田の古墳から出土という言い方が誤解のもと
勘違いする人が多い
古物商から買ったもので、出土場所は不明の鉄鏡と表現を変えるべき

693:名無しさん@1周年
19/09/12 18:01:39.37 LE3+Y9y30.net
オオクニヌシの国譲りやアマテラスの天岩戸の神話が
邪馬台国とそれ以前の北九州の史実の反映だ、説あるけど
なんで大和朝廷は太古の北九州の話知ってるんだ?ってことになるよね。
邪馬台国東遷は支持できないにしろ、神武東征な邪馬台国は間接的に関与している可能性高いとみる。
神武の祖先は邪馬台国崩壊後、あるいはその前の倭国大乱時に北九州から日向に逃れた一族。
天孫降臨はこの時の話を反映。
東征するにあたり本当は関係薄いのに北九州勢力を味方につけるために「邪馬台国の正統な後継者」を名乗ったと思ってる。

694:名無しさん@1周年
19/09/12 18:09:56.94 583KgZaK0.net
魏志倭人伝の時代を全うした地域は一貫して鉄と縁があるという事だ。
■魏志韓伝より
「國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡」
(国には鉄が出て、韓、?(ワイ)、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土してい�


695:ネい。 ↓鉄の出土状況 https://i.imgur.com/eRF3Zza.png ■推測されること ・畿内政権は鉄を取りに行っていない ・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった ・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった   ■結論 ・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった ・一大率は畿内政権とは無関係だった ・畿内は倭国ではなかった(倭種の国?)



696:名無しさん@1周年
19/09/12 18:17:49.90 9cRTVsdF0.net
>>16
卑弥呼は神武が奈良に来た後だからだよ。
崇神の頃だから
卑弥呼は東遷後とかんがえるわなあ
記紀を信じれば

697:名無しさん@1周年
19/09/12 18:18:34.19 9cRTVsdF0.net
>>34
違うよ
神功皇后より120年昔が卑弥呼だよ。

698:名無しさん@1周年
19/09/12 18:20:41.80 9cRTVsdF0.net
卑弥呼は斎王だよ。
王は王でも政治の王は天皇
祭祀の王が卑弥呼ね
つまりトヨスキイリヒメの事だよ

699:名無しさん@1周年
19/09/12 18:34:58.72 LE3+Y9y30.net
>>666
大和朝廷で巫女な役割をしている女子皇族は大勢いるけど
「女王」は推古天皇が初めてだよね。
実在が怪しい神功皇后は除いて。

700:婆
19/09/12 18:36:06.00 LVgRs6hE0.net
>>132, >>442, >>447
「賜汝好物也」の読み下しは、
「汝に好き(よき)物を賜うなり」だよね。
べつに卑弥呼が「あたし鏡が大好物なんですう」とか
リクエストしたわけじゃないのだw

701:名無しさん@1周年
19/09/12 18:39:56.39 ZWf5TrjK0.net
考古学者は捏造ばっかりやるから信用できない
古美術商は由来、謂れを調べてるから信用できる
九州説さんのこの判断基準は理解不能w

702:名無しさん@1周年
19/09/12 18:40:55.81 E0l1Qoo40.net
>>609
>ダンワラ遺跡からはこの鏡と同じ技術を駆使したベルトのバックルなども出土していた
本当?
>>488
飛鳥京にペルシャ人建築家がたくさんいたのは学会でも定説だけど、
秦氏=ペルシャ人説は今どんな感じなの?
>>607
仮に秦氏がペルシャ人としたら、宇佐は秦氏の本拠地だし、関係あんのかな

703:名無しさん@1周年
19/09/12 18:43:50.39 9cRTVsdF0.net
>>667
斎王も女王だよ

704:名無しさん@1周年
19/09/12 18:45:10.54 9cRTVsdF0.net
斎王は吉備、紀伊、丹後、伊賀、近江、尾張、美濃、伊勢を平定して回ったんだよ。
枕かもしれんが

705:名無しさん@1周年
19/09/12 18:45:50.64 Y+RA5Pp80.net
古事記は言い伝えだから適当でいいとして、日本書紀の編纂チームは魏史倭人伝とな後漢書東夷伝を読んでかなり困惑しただろうな
当時から見ても500年前のことで、学術的な研究成果がない分、たぶん今よりも古代の状況はわからんだろう
「邪馬台国ってやっぱりヤマト国かな?」
「でも、この経路だと日本のどこにも到着しなくね?」
「そもそも卑弥呼って誰だ?この時期に女王とかいたか?」
「神功皇后じゃね?うちには厳密な年代とか残ってないし卑弥呼ってことにしちゃおうぜ」
「いや神功皇后独身じゃないし子供いるぞ。というか台与とか何者よ?」
と、謎の邪馬台国をめぐって、日本史上での位置付けにかなり悩んでそう

706:名無しさん@1周年
19/09/12 18:50:10.48 LE3+Y9y30.net
>>671
女帝が女王なのは分かってるさ。
巫女的な斎宮と呼ばれる女子皇族は女帝じゃないと言いたいわけで。

707:名無しさん@1周年
19/09/12 18:55:57.62 hf6GqTtT0.net
歴史推理小説だが
舞い降りた天皇| 加治 将一
素人にはこの本の解説がわかりやすかった

708:名無しさん@1周年
19/09/12 19:00:03.10 9cRTVsdF0.net
>>674
帝じゃないかもしれないが王だよ。
斎王

709:名無しさん@1周年
19/09/12 19:02:43.67 9cRTVsdF0.net
日本史


710:において卑弥呼的な処女引きこもり女王に相当するのは斎王以外にない。



711:名無しさん@1周年
19/09/12 19:04:10.04 9cRTVsdF0.net
共通項は鏡と占いだよ。

712:名無しさん@1周年
19/09/12 19:06:43.72 17SW685D0.net
>>668 卑弥呼が鏡をリクエストしたと思うよ
2世紀後期の伊都国の平原遺跡の40枚の鏡とも繋がり
好物と考えても矛盾がない

713:名無しさん@1周年
19/09/12 19:10:51.81 hf6GqTtT0.net
後漢が滅びた時、公孫氏が滅びた時 魏国が滅びた時
ある程度は亡命みたいな形で駐在してた連中が戻れなくなって北九州から畿内まで流入したんだろうね

714:名無しさん@1周年
19/09/12 19:27:30.83 CP7d/xu90.net
もらったのではなく、あげたんだろ

715:名無しさん@1周年
19/09/12 19:37:28.16 C02ENO240.net
>>6
奴国が倭国王

黄巾族の頃に倭国分裂

東四国の勢力が西日本統一

邪馬台国で卑弥呼が王となる

東海の狗奴国と争う

卑弥呼死す

東海の姫で卑弥呼とも繋がりのあった台与を王とする

716:名無しさん@1周年
19/09/12 19:39:16.84 69oigwHT0.net
邪馬台国の祭政一致社会はのちの熊襲や琉球に受け継がれて行くのだろう。
大和王権には有力氏族の連合政権だから邪馬台国が持っていたヲナリ神信仰はあまり感じない

717:名無しさん@1周年
19/09/12 19:41:21.26 0/FMSx1V0.net
>>659
呉の太伯の後裔である卑弥呼が、大陸から大切に持ってきた家宝かもな。

718:名無しさん@1周年
19/09/12 19:48:16.67 E0l1Qoo40.net
>>675
この作者はあまり好きじゃないけど、この小説は面白かった
古代史の知識や情報がたくさんあって勉強になった

719:名無しさん@1周年
19/09/12 19:49:25.75 6mw/8+dO0.net
まー普通に考えて九州のどこかだよなあ
対馬から壱岐、福岡までは確定していて、その後いきなり近畿にワープするような記述とするのは流石に無理がある
普通ならその間の出雲やらあるいは瀬戸内海沿岸のムラの事も書き記すだろうし

720:名無しさん@1周年
19/09/12 19:52:02.55 iiWrPkKf0.net
>>677
何をどこまでが日本史と言ってるのか分からないが、卑弥呼は
アマテラス以外あり得ない。と俺は思う。
天孫族で、大中国の魏から印綬を授けられ、呉=熊曽連合と対抗
しうる三国最大の国をバックにし、また大量の朝貢貿易を成功
させた。更に大陸からの技術や知識、もしかすると武具や軍事的
知見もも獲得した可能性が高い。
外交だけでもこれだけの成果を得、また当然共立女王として生存
期間中は倭国大乱を鎮めた。
大日孁貴=大いなる日の巫女・御子であり、最大の呪力を有して
いる点からも、卑弥呼と推測される。
欠点は、五男三女の子がいることだね。
それと、神武との前後関係だが、それはアマテラスの五代目だから、
神話上は神武の方が後となる。ニギハヤヒも二代後だから、その点は
問題なさそう。
筑紫の生産力では養えない人口圧力により、漸次東への植民が進み、
同時に奈良や京都、河内が海退により入植可能となっていった。
神武はそんな時代だろうね。神武記は、初代に相応しくない結構不名
誉な内容だが、その父の名前も裕福とは言えないので、筑紫王族だと
しても羽振りが良くないポジションだろう。

721:名無しさん@1周年
19/09/12 19:54:54.40 0/FMSx1V0.net
>>670
ここに書いてあったよ。
URLリンク(www.netpia.jp)


722:i.htm http://www.netpia.jp/history/kinginsakugan_shuryumon_tekkyo-summary_Japanese.htm 東寺ダンワラ古墳からの他の出土物 鉄刀、轡、鉄製貝装雲珠(かいそううんじゅ)、鉄製貝装辻金物、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだだま)、 水晶製切子玉(きりこだま)、ガラス製小玉、勾玉(まがたま) 近辺からの関連のある出土物としては、金錯鉄帯鉤 (きんさくてつたいこう・男性用の鉄製バックル) *金錯鉄帯鉤の装飾の金にも、11%の水銀が含まれています。



723:名無しさん@1周年
19/09/12 19:55:49.78 E0l1Qoo40.net
出雲の荒神谷遺跡から出た銅矛16本が全部、北部九州による制作とされている
それとは別に日本史板で、
出雲は元々博多湾沿岸のことという説があった。何が起こってたの

724:名無しさん@1周年
19/09/12 20:00:02.29 hf6GqTtT0.net
>>685
私はぞくぞくしながら読みました 時々読み返しますが今読んでも古びた感じはないと思います

725:名無しさん@1周年
19/09/12 20:00:12.64 6mw/8+dO0.net
しかしなんだな
今「ローマ人の物語」を読んでるのだが
あっちは2000年以上前の出来事でも手紙なんかが残ってて
カエサルが何月何日に暗殺されて首謀者はこういう連中でその後ブルータスがどういう演説をして・・・とか事細かに残ってるのに
こっちはたかだか1700年ちょっと前のことなのに国がどこにあったかすら分かってないというのはカルチャーショックを覚えるな
文字くらい作っとけよ本当に

726:名無しさん@1周年
19/09/12 20:00:41.51 424N/P7+0.net
日田市が邪馬台国の都なんじゃないのか?
隋の使節を招いた倭の都は邪馬壹という。
300年変わらない場所にあった。
それは倭側が迎えにくるような山奥にあり、
阿蘇山がモクモク煙をあげるのが見える。
これに合致してるのはまさに日田市では?

727:名無しさん@1周年
19/09/12 20:01:14.08 nl3A7fnN0.net
>>640
金印は捏造でほとんど確定。
文字の彫り方が当時のものと全く一致しない別物と分かってる。

728:名無しさん@1周年
19/09/12 20:01:43.27 hf6GqTtT0.net
アマテラスは元々は男神という話もありますよね 女神にしてしまったのは藤原とか

729:名無しさん@1周年
19/09/12 20:13:18.99 5y+EZ4Wf0.net
>>128 九州の方言は、鹿児島だけ極端に異なる。同じ九州人でもわからない。敵を区別しやすくするためだそうだ。

730:名無しさん@1周年
19/09/12 20:15:13.47 iiWrPkKf0.net
>>674
無意味な言い合いだね。
そもそもが日本の天皇は「皇帝」じゃない。みかどに帝をあてただけで、
それも大唐に聞こえれば怒られる。日出ずる所の天子などと僭称して
煬帝を激怒させたわけ。漢風に帝と呼ぶのは少なくとも飛鳥期より以降、
漢風諡号を使い始めてから。
ましてそんな称号の無かった時代の卑弥呼は、女王だろうが女帝だろうが
どう呼んでもいいってこと。なにせ魏から金印貰ってるんだからそう呼ば
れる資格はある。歴史的名称の問題。どの天皇も生存時は単に「おおきみ」
「天皇」あるいは「今の上」。

731:名無しさん@1周年
19/09/12 20:23:52.00 6mw/8+dO0.net
>>695
関東人だが前に自転車で九州を縦断したことがあって毎日日帰り入浴してたんだけど
鹿児島に入って最初の温泉に居たおっちゃ�


732:lの会話は本当に何言ってるのか分からなかった イントネーションや語気の強さから最初中国人が会話してるのかと思ったくらい たまに日本語の単語が聴こえて来てなんとか日本人だと分かったけど 全国色んな所旅したけど薩摩弁が一番聞き取れなかったわ 青森秋田なんて比較にならん



733:名無しさん@1周年
19/09/12 20:24:19.00 iDcOOMbi0.net
>>691
図抜けて有能で期待のホープの官僚だったのに時の権力者にうっかり反論したばっかりに金玉取られて絶望して
一時期は死を考えたけどその思いをすべて歴史書の編纂に当てたような人物が日本にもいればなあ…

734:名無しさん@1周年
19/09/12 20:28:26.48 CNNe9Rdb0.net
天照大神の神社が伊勢にある理由はなんだろうか

735:名無しさん@1周年
19/09/12 20:29:34.08 utqS7pK9O.net
崇神だと宋史新唐書に崇神の箇所に卑弥呼を匂わすようにするはずなんだよね。中華から見ると一番有名な倭王は卑弥呼だからね。記された仲哀死、これは重いのよ。仲哀なんて中国人初めて聞く名だからね。タリシヒコ系王もここで終ってる、ここで滅んだのよ。

736:名無しさん@1周年
19/09/12 20:30:20.47 9cRTVsdF0.net
>>687
アマテラスには子供がいる時点ですでに違う。

737:名無しさん@1周年
19/09/12 20:31:37.40 9cRTVsdF0.net
>>694
藤原ごときがそんな大それた事したら打ち首ものだよ。
持統天皇ではないだろうか?

738:名無しさん@1周年
19/09/12 20:32:17.37 o5oNev+c0.net
>>697
鹿児島弁は江戸時代、人工的に分かりづらくした言語だと言われてるから特殊

739:名無しさん@1周年
19/09/12 20:34:52.59 iiWrPkKf0.net
>>694
それはあります。
女帝の時代だから、その権威付けのために遡って天照を女性っぽくした
って言う説とか。
でも、そんなことするかなっていうのが私の説。
皇族貴族の禁足地と言うことは、それだけ国家規模の災厄をもたらす
祟り神ということです。仏教改宗の時も、めっちゃびびってますw
また、実際に男説の方が後から出てきてるんですよね。「女なんかが」
ってことで、武士の時代とかw
ヒサツヒメも勿論卑弥呼候補で、十分有力ではありますが、時代的に
遅い気がします。或いはトヨの方かも。

740:名無しさん@1周年
19/09/12 20:35:18.85 o5oNev+c0.net
>>689
出雲と宗像は系図的に同族だから関係あるかもね

741:名無しさん@1周年
19/09/12 20:37:21.64 4+bu/6Ag0.net
>>691
今でいうところのイスラム圏が古代では世界最先端だったろうからな。
隣接するギリシャやローマが進んでるのは当然だろう。
日本は更に大陸から海で分かたれてしまってるしな。

742:名無しさん@1周年
19/09/12 20:38:49.79 o5oNev+c0.net
>>682
東海といえば、桜井稲荷山古墳が3世紀ごろの前方後方墳だったというニュースがあったな
卑弥呼のお膝元に東海勢力の墓があるという

743:名無しさん@1周年
19/09/12 20:39:30.91 0/FMSx1V0.net
>>693
金印が偽物だなんて初めて聞いたわ。
同時期に作られて「漢委奴国王」と同仕様の「広陵王璽」という金印が、
「漢委奴国王」より後に中国で発掘されているんだけどさ、
「漢委奴国王」を作った贋作職人は予知能力者で、
まだ発掘されていない「広陵王璽」に似せて、偽物の「漢委奴国王」を作ったってこと?

744:名無しさん@1周年
19/09/12 20:40:02.11 0/FMSx1V0.net
>>693
ほらよ。URLリンク(withinc.kobe-yamate.ac.jp)

745:名無しさん@1周年
19/09/12 20:42:01.58 utqS7pK9O.net
で滅ぼしたのが卑弥呼と武内宿禰、弟になっ�


746:トる奴でしょ。だから卑巫女なんでしょ、仲哀なんて名の天皇恐らく存在しない。記紀は隠したのよ



747:名無しさん@1周年
19/09/12 20:43:30.94 9cRTVsdF0.net
>>704
アマテラスを女に変えた理由として考えられることで一つあるのは
実際は斎王というのは地元の豪族(その象徴の地元神)にさしだした女の人質なのだが、それでは天皇家の権威が保てないので、皇祖神のしかも女神に仕えるという形にすれば大丈夫とかんがえたんではないだろうか?

748:名無しさん@1周年
19/09/12 20:45:11.58 UeKHijIG0.net
どうせまた九州チョンお得意の捏造だろ

749:名無しさん@1周年
19/09/12 20:45:47.15 9cRTVsdF0.net
伊勢神宮は治外法権みたいなところで、明治になるまで天皇家ですら伊勢に入れたのは蘇我系の女性しか入れてない。

750:名無しさん@1周年
19/09/12 20:46:22.05 rwLuFBfD0.net
コレは日本に来た安貴公が曹家直系の子孫だったからで確定した。

751:名無しさん@1周年
19/09/12 20:48:29.29 9cRTVsdF0.net
斎宮は大和朝廷の官舎なので伊勢に入れてない。宮川の手前である。

752:名無しさん@1周年
19/09/12 20:51:21.40 iiWrPkKf0.net
>>699
そりゃ祟るからw
そもそもが「伊勢神宮」というのは27回も移動したという説もあるくらいで、
三種の神器と共にあちこちを渡り歩きました。これをして「神器の霊威を盗難や
強奪から守る」ためと言う説もある訳ですが、なんで岡山とか丹後半島とかの
僻遠の地にしかもどう考えても無防備ぽいところに神器を移すのか。
実際に奈良盆地に権力中枢が定まっていなかったというのならそれはわかります
がね。まあ岐阜とか流石になさげですがw
これも私見は「恐れたから」だと思うわけです。まあ最後の場所が豊の国に似て
いるというのは半分賛成ではありますが。まさしく宇佐神宮のポジションw

753:名無しさん@1周年
19/09/12 20:53:04.15 o5oNev+c0.net
>>716
斎王の髪の毛ハゲるくらい祟られるからな

754:名無しさん@1周年
19/09/12 20:54:44.78 9cRTVsdF0.net
>>716
廻った所ぜんぶ、当時大和政権を作ったとされる地域だよ
吉備の古墳、ハニワ
東海の土器
丹後 鉄?
紀伊 木材?

755:名無しさん@1周年
19/09/12 20:55:36.82 9cRTVsdF0.net
>>718
東海は朱もある

756:名無しさん@1周年
19/09/12 21:04:00.92 iiWrPkKf0.net
>>708
いやいやそれはもう結構あるわけでw
特に出土の仕方が胡散臭すぎるんで偽作というわけですが、やっぱり畿内説の
偉いさんが特に大好きでした。
でもあなたの言うように、重箱の隅的につまみがどーとか字体がどーとか、これ
も畿内説の自称学者共のいちゃもんの付け方の典型ですよねwww
これらは滇王之印や広陵王璽の出現で、畿内馬鹿の大好きな言葉を使えば、その後
はほぼ「無視」されるわけです。
重箱の議論は続くわけですが、何と言っても金の成分を何で江戸時代に完璧に同じ
に出来るのか。そんなこと100%不可能なわけで。
こんな出来事のたびに、畿内説の自称「権威」共が理系の人達から馬鹿にされるわ
けです。国が伊達に国宝と指定するわけ無いってw
事実は事実として、じゃあなんで志賀島から出たのかを考えるのが科学ですよね。

757:婆
19/09/12 21:05:15.99 LVgRs6hE0.net
>>694
伊勢に鎮座してから「メシ友が欲しい」と言って呼んだのが女神のトヨウケだもんね。
レズかっつのw

758:名無しさん@1周年
19/09/12 21:06:36.99 hdUwYLgS0.net
日田はいい場所だな。
天然の要塞的な感じがするし、徒歩が多いのも納得できる。
対蘇國、蘇奴國、華


759:奴蘇奴國 と、やたら周辺に「蘇」がつく国が多いのも近くに阿蘇山があるからだろう。



760:名無しさん@1周年
19/09/12 21:09:47.92 niMapm1I0.net
>>720
例えば誰?
それとも畿内説を批判するための作文?

761:名無しさん@1周年
19/09/12 21:11:39.90 OmxpYPyy0.net
>>699
で、この鉄鏡が見つかった日田の古墳の近くに由来不明な伊勢神宮かあるんだよな。

762:名無しさん@1周年
19/09/12 21:11:45.58 69oigwHT0.net
アマテラスは中国の古典の山海経に出てくる太陽の母神である義和が元になってるんだろう

763:名無しさん@1周年
19/09/12 21:12:03.25 rwLuFBfD0.net
華奴蘇奴國=カナサキノクニ=神埼国
コレが吉野ヶ里だ。

764:名無しさん@1周年
19/09/12 21:12:03.24 6RQ5Rv+L0.net
曹操は質素志向で墓にもあんまり豪勢なモン入れんなって厳命していて最近の調査でその命令は守られているっぽいって話じゃなかったか?
そんな大層な鏡入れるかね

765:名無しさん@1周年
19/09/12 21:17:18.80 ekPVuyIT0.net
ついに「南水行十日陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。
1.西晋初代・武帝司馬炎は、祖父・司馬懿仲達(秀吉)を後見人に指名してくれた大恩人・曹叡(信長)の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまった判断ミスを正当化し、呉を滅ぼす先鞭を付けた賢帝に仕立てる必要があった。
→曹魏の帝都・洛陽から見て東南にある孫呉との戦いにおいて、その背後に倭国「女王之所都」があれば、最高の牽制となる。
→孫権の帝都・建業とほぼ同緯度の会稽郡「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南で、帯方郡から12,000里の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
2.しかし本当の位置も残さなければならない。
3.ところで倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳朱崖に似ている。
そこで陳寿が行った忖度が、女王国(九州)島が、狗邪韓国(伽耶)の南から儋耳朱崖(ベトナム国境)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む「南北に」長大な2つの列島であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【奴国①】と、「當在会稽【東冶】之東」となる幻の【奴国②】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【奴国①】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)。
次に、投馬国(宮崎)から南水行十日にある奄美大島を南に引き伸ばして、女王国島のパラレルワールド「邪馬台国島」を、そこに東治⇔東冶間の「陸行(徒歩)一月」を転用して幻の【奴国②】を創り、「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。

766:名無しさん@1周年
19/09/12 21:20:36.01 iiWrPkKf0.net
>>718
ああ、巻向に女王を共立したエリアって話ですか?
じゃあ、各地域に順に神宝を展示したって事ですかね。面白いですねw
有名西洋画家の展示会って、大概東京ですよね。そら中々地方には持って行
けない。盗まれちゃ偉いことだし、移動だけでも金がかかる。飛行機も装甲
車も無い時代にそんな大事な物を運ぶ理由って何なんでしょう。よくわかり
ません正直w
そんな、平和裏に北部九州どころじゃ無い広域連合が女王を共立するという、
ウルトラCの理屈を幾重にも重ねる超ムズい話が学会の主流って、ある意味
凄すぎると私は思うのですが。国ってそんなふうにでかくなるもんですかね。

767:名無しさん@1周年
19/09/12 21:20:58.87 ekPVuyIT0.net
>>728の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
   ┏━┓帯方郡  ┏┛~~~~~~~~~~
←┐┃黄海┗狗邪韓国┛(伽耶)~~~日本海~~
洛陽┃~~~↓↓~~~~~~~~~~┏━━━━━━━━
【魏】┃~対馬▲↓南「水行十日」~~~~┃「女王国東渡海千余里 複有国 皆倭種」 
 ↓ ┃「瀚海」↓↓玄界灘~~~~~~~┗━━━━━━┓
   ┃~壱岐▲↓~~~~┌南「水行十日」┐関門海峡~瀬戸内海▲┃
v✖s┃~~┏末盧━━↑━━━┓↓~~~~┏━━┓~┃ 
   ┃~~┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓~~~~┃侏儒国┃~┗━━┛
 ↑ ┃~~┃▲↘_陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島┗━━┛「在其南 人長三四尺
【呉】┃~~┃★奴国①【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道~~~~~去女王四千余里」
建業┃~~┃狗奴国▲▲▲▲▲▲投馬国←┘宮崎平野=南「水行二十日」
会稽┃~~┗━女王国島━┛↓~~~~~~~~
東治┃~東シナ海~┌南「水行十日」~~~~~~~~
   ┃~~┌┌←←▲奄美大島┐↙陳寿の創作(女王国島のパラレルワールド)↓
 ↓ ┃~~│↓「陸行一月」(幻)│←「自女王國以北其戸数道里可得略載※」(北部九州30カ国)
   ┃~~│↓~▲~~~~~│亶州(沖縄)~↓「自郡至女王国 万二千余里」
東冶┃~~│☆奴国②(幻)~~│←『【女王之所都】計其道里 當在会稽「東冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
   ┃~~│▲狗奴国(幻)~~│夷州(台湾)~↑「此女王境界所尽 其南有狗奴國 不属女王」
香港┃~~└┐~~~~~~~│←「※其余旁国(幻)遠絶 不可得詳」
┏▲海南島~└邪馬台国島(幻)┘~~~~~~~~~~~~~~~~
┃↖儋耳朱崖~~南シナ海~~「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)~~~~~↘▲裸国フィリピン~~~~~~~~~~
~~~~~~~↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(奴国②)東南 船行一年」

768:名無しさん@1周年
19/09/12 21:24:21.13 rwLuFBfD0.net
なぜ曹氏一族が日田に来たのか、
ソレはやはり、自ら宝物を贈った
倭国がそこにあったからだろう。

769:名無しさん@1周年
19/09/12 21:24:33.61 7ShpDm4q0.net
>>697
おれは北関東が一番聞き取れないけど。

770:名無しさん@1周年
19/09/12 21:25:42.02 O+daMiI70.net
連貼りは外部リンクでやってくれ。読みづらいわ。

771:婆
19/09/12 21:25:53.55 LVgRs6hE0.net
>>731
日田は秦氏だよね。今でも秦氏の末裔の畑さんが住んでる。

772:名無しさん@1周年
19/09/12 21:29:02.26 yzCFbWmnO.net
西郷さん→せごどん

ほんとかよw

773:名無しさん@1周年
19/09/12 21:30:15.95 ekPVuyIT0.net
>>728
>>730
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様、呉の牽制として東の「親魏倭王」号を取得し、帯方郡が管理している「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権の確保(郡宛て書簡封泥用の金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援(後に援軍)要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説における狗奴国を検討すると、以下のようになる。
-女王国 東渡「海A」千余里 複有「国B」皆倭種(〇九州説…A関門海峡・B本州、✖畿内説…A鈴鹿山脈・B北海道)
-其南有狗奴國 不属女王(〇九州説…熊本もしくは薩摩、✖畿内説…仲良し東海)
畿内説はいずれも当てはまらない上「複有国(東)」と「狗奴国(南⤴東)」が重複し混乱が生じる。
また、軍事力(鉄製武器)も通信手段(文字・駅伝制=早馬)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能。
魏志倭人伝を史料として採用する以上、消去法によって九州説が正しいことになる。
では、狗奴国が熊本平野か鹿児島川内(せんだい)平野かだが、邪馬台国七万戸を統治している女王卑弥呼をして、魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)と想定。
面積から見て、狗奴国が川内(せんだい)平野でゎ3世紀の開墾能力では限界があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智比狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、吉野ヶ里遺跡を始め弥生拠点集落の宝庫「筑後川の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮は扇状地の最高所・甘木朝倉と確定。
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳(リンク参照)を比定。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

774:名無しさん@1周年
19/09/12 21:31:16.11 J+s9rh7f0.net
九州だと何か都合悪いのかね

775:名無しさん@1周年
19/09/12 21:32:13.49 ekPVuyIT0.net
>>736すると、欽明(現・皇室の開祖)の父にして、古代史の謎である継体の正体(呉の南の「越」王の


776:分家=狗奴国・卑弥弓呼の末裔/八代淡海→「近江」)も判明!古代史は以下のように一挙に解明できるのである! 漢委奴国王=1世紀(弥生後期) 帥升=2世紀(倭国大乱) 卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(帯方郡張政の仲介で狗奴国を併合)…伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。 崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。 応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国(仲哀を武内宿彌&神功が暗殺)…魏晋>【宋>斉>梁】南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任官(悲願達成)。 継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。倭国独自(九州)年号創設。 日出処「天子」倭王阿毎多利思比孤、新羅の朝貢を契機に隋煬帝に対し対等外交宣言607年 欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教伝来による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家として飛鳥疎開宮造営。 用明&厩戸…物部守屋を誅殺し前方後円墳廃止。大和分家を乗っ取ろうとした蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、近江大津京へ東遷(大化の改新)。 天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→唐外交の火種【九州年号&多利思比孤】を抹消すべく、崇神朝~応神朝~継体朝の歴代倭王権@九州本家の交代が、すべて大和分家で起こっていたように史実歪曲。 畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名を移植。朝倉&阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など) 桓武朝=9世紀(平安時代) まとめると、 九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京) 大和分家…神武(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)↘欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京)



777:名無しさん@1周年
19/09/12 21:33:57.80 vdyIWAhm0.net
もう国家東遷説で確定やろ?
卑弥呼が九州にいたのか畿内にいたのかはどうでもよくね?

778:名無しさん@1周年
19/09/12 21:36:21.56 ekPVuyIT0.net
>>738の続き
邪馬台国女王・台与の死後、倭王となった伊都国王・崇神朝「複立男王並受中国爵命」の玄孫(4世孫)・仲哀から王権を相続(奪還)した応神(胎中天皇)は、仲哀の実子ではなく、
筑紫女王・神功皇后(記紀が邪馬台国女王「卑弥呼」と混同させられる理由)と大臣・武内宿彌の子供説(リンク参照)がある(仲哀崩御の十月十日後に筑紫で出生)。
仲哀の息子(応神の異母兄)たち(籠坂かごさか&忍熊おしくま皇子)の反乱もこれが原因である。
ここに武内宿彌の正体も明らかになるのである!
崇神朝(伊都国系)の①景行②成務③仲哀、続く④応神(息子)⑤仁徳(孫)の5人の大王に仕えた彼は、筑紫邪馬台国女王・卑弥呼の男弟の末裔なのである!
URLリンク(ja.wikipedia.org)
その応神朝@筑紫(邪馬台国系の♂武内宿彌&♀神功皇后)を筑紫君磐井の乱で下剋上した狗奴国王・継体@阿蘇は、仁賢皇女・手白香姫を娶って欽明皇子を産ませることで、歴代倭王統の維持を図った(倭国大乱の再発予防)。
この欽明皇子が義理の父・蘇我稲目とともに、古代東アジア標準の中央集権強化手段=仏教への国家祭祀(墓制)変更のため、奥津城(王家の谷)大和に下向して大和分家(飛鳥)を築き、
その次男・用明の代で、ついに強硬な廃仏派である大連・物部守屋を滅ぼして前方後円墳築造を廃止。その妹推古が仏教の国教化に成功。
しかし、全国の官寺建設で国家予算を恣にした蘇我蝦夷・入鹿父子が大和分家の皇族を次々に粛正し、乗っ取ろうとしたため、九州本家の天智@太宰府(瓦葺き)が飛鳥(板葺)宮に下向。三韓大使の目の前で誅殺(乙巳の変)。
その後、663年に白村江海戦での惨敗により、唐・新羅の連合艦隊による倭王征伐がいよいよ現実味を帯びたため、〔倭国独自(九州)元号を創設した継体朝の、「天子」を名乗ってしまったため、記紀に消された〕多利思比孤系統の九州本家・天智が、近江大津京に東遷。
ここに倭王権は史上初めて九州島を出て、近江大津京→飛鳥浄御原宮→新益藤原京→平城京→平安京へと続く畿内中心の歴史が始まるのである!
欽明以前の古墳時代の畿内には、記紀伝承地に大王宮が一つも出土せず(明治以降設置の石碑のみ)、巨大王墓と倉庫しか出土しないのは、そのためである。

779:名無しさん@1周年
19/09/12 21:37:13.88 rwLuFBfD0.net
もし仮に大和が邪馬台国なら、
自ら狗ナ国との戦いに支援を求めた、
魏の皇帝の子孫が日本に来て、
日田に留め置くという事があり得るだろうか?
日本書紀にも言及は無い。
コレはやはり、邪馬台国と大和が無関係だった事の証明だろう。

780:名無しさん@1周年
19/09/12 21:37:49.28 ekPVuyIT0.net
>>740の続き
ダイワとしか読めない大倭(後漢書東夷伝からの借用)を「ヤマト」と読ませるのはなぜか?
邪馬台国があったからではなく、その逆で、唐帝国に対し、新益藤原京を新設した畿内に筑紫邪馬台&阿蘇邪靡堆があったと思わせたかったからなのである!
白村江海戦惨敗で九州本家の天智が東遷した後、大和分家の天武が(確実に唐を刺激する、継体創設の倭国独自年号&日出処「天子」多利思比孤を抹消するための)歴史改ざん書である記紀を書かせ、
九州の地名をそっくり移植し、畿内を記紀の歴史テーマパーク化していったからで、そのテーマパークの名前が「大倭」(ヤマト)なのである!
また7世紀の隋・唐までの中国歴代王朝には、倭国は九州島のみと認識されていたことが判る。
魏志倭人伝「女王国(九州)東渡海千里複有国皆倭種(本州)又有侏儒国在其南(四国)」
旧唐書(原文略)
日本の使者Aは「日本国(本州)は昔の倭国(九州)とは別の国だった(九州から見て日が昇る)日辺にあったので、日本と名付けた」
別の使者Bは「倭と言う名前が優雅でないから日本と改名した」と言い、また別の使者Cは「日本(本州)は昔小国だったが、倭国の地(九州)を併せた」と言った。
来朝した使者ABCの態度が尊大で、真実を言っている様子がなかったので、中国は彼らを疑った。
事実は逆で、白村江海戦惨敗で九州本家が大和分家(近江大津京)に東遷後、実際はすべて北部九州で展開していた記紀の歴史テーマパークにするため大倭(後に大和)と書かせ、
発音だけ九州時代の都であった筑紫邪馬台~阿蘇邪靡堆(ヤマト)としたということなのである!
ゆえに「魏志倭人伝」の年代記述に合わせて箸墓の築造年代を繰り下げて生まれた畿内説(他人の褌)、ならびに教科書に載っている古墳時代にあったとされるヤマト王権(定説)は、
超大国・唐(アメリカ・トランプ大統領)との友好親善を最優先課題とせざるを得なかった天武・持統朝が国家事業として遂行した、この複雑なからくりに惑わされて生まれた電波(幻想)で、
特に前者は、記紀(定説・ヤマト王権)というゴール地点から、考古学と魏志倭人伝という他人の褌で、どこまで史実(スタート地点)歪曲を定着させられるのか?という、社会実験に過ぎないのである。

781:名無しさん@1周年
19/09/12 21:38:08.09 boyHaq130.net
とうとう完全に歴史が解き明かされたなと曹操様の鏡があったということ

782:名無しさん@1周年
19/09/12 21:38:48.41 w3NBKqvT0.net
最初に天皇を自称したやつは相当なフカシ
自分の神話まで作らせたんだからな
こういう事をするのは、おそらく日本人じゃなくて、半島、大陸系だろう

783:名無しさん@1周年
19/09/12 21:39:04.36 bT7urW1z0.net
>>699
崇神の時代に天皇家の神ではないということで大和から追い出された

784:名無しさん@1周年
19/09/12 21:42:47.96 4hkvXG0/0.net
>>481
それ殆ど珍獣鏡やろw
珍獣鏡は魏鏡やないぞw

785:婆
19/09/12 21:44:31.26 LVgRs6hE0.net
>>745
そいや、、朝鮮の「海東諸国記」には、祟神天皇期に初めてアマテラスを
祀ったと書いてあるな。案外、このあたり(アマテラスは祟神朝で創作された)が
真実をついているのかも知れん。

786:名無しさん@1周年
19/09/12 21:48:07.09 Fv+oU/+A0.net
>>728
おまえ面白いyo!
相当 倭人伝を読んでると見たw素晴らしい

787:名無しさん@1周年
19/09/12 21:48:19.08 rfjPodAm0.net
息をするようにウソをついてたのが
藤原

788:名無しさん@1周年
19/09/12 21:49:47.31 WO+ZaJHa0.net
>>749
日本書紀は不比等の影響は相当大きいだろうからな

789:名無しさん@1周年
19/09/12 21:52:03.77 DBhNVorL0.net
>>663
鉄の分布図が全てを物語っている
古代日本は、北部九州と中国地方の国だった
そこから徐々に東へ東へと、フロンティアを拡大していった
アメリカの開拓時代と同じ

790:名無しさん@1周年
19/09/12 21:54:54.47 pjnRSVA60.net
そもそも「邪馬台国」を「やまたいこく」なんて読み方をしてるのがそもそもの
間違い「やまとこく」だろ
卑弥呼の後を継いだ「壱台」の読み方「イト」
「イタイ」なんて読まない。


791:名無しさん@1周年
19/09/12 21:56:30.14 niMapm1I0.net
>>720
1人も名前挙げられないのは、やっぱり畿内説を陥れるための捏造だったのか?
卑劣すぎ

792:名無しさん@1周年
19/09/12 21:58:59.38 duWExsC80.net
これ俺もわかっちゃたんだけど怖い
邪馬台国の最後の記述って張政が壱与のところに行って檄文をめっちゃ詳しく言い聞かせたってのが最後なんよね
これってどう考えても中国語ちんぷんかんぷんの13歳の壱与に夜な夜な檄文言い聞かせた程にしてオッパイ触ってたん違うかな?
でその後プツンと邪馬台国と魏の交流は一切無くなるわけだろ
オッパイ触ってきたヘンタイがいる大陸から近い土地とか嫌だから国ごと畿内に移ったってわけ
これ大きくは外してないよな?

793:名無しさん@1周年
19/09/12 22:00:37.32 WO+ZaJHa0.net
古代5~6世紀の日田は筑紫君の勢力圏


794:だと思うんだけどな。 どうなんだろう?



795:名無しさん@1周年
19/09/12 22:02:48.85 iiWrPkKf0.net
>>739
どうでもいいってことはない。
現代まで続く豊穣な農業地域である筑後川流域や博多湾岸、遠賀川流域を
放棄して王族貴族がこぞって移住するなどほとんどあり得ない。
「東遷」自体怪しげな造語であって、王が動くといちいち北遷とか西遷とか
言うのか?って話。
確かに大和王の豪族達は筑紫出身が多いが、本家を全部引き払う理由が無い。
普通は本家はそのままいたと考える。
「大和王権以外、巨大な影響力を持つに至った国はない」という単純で凡庸な
思考法に歴史学を支配されるのは誠に遺憾。京都学派には万世一系という呪わ
れたイデオロギーも根底にあるし。
>>745
一体どれだけの神社がアマテラスを祀る・もしくは改宗したと
思ってるの?それも大王家の指示で。
放逐するなら記紀神話からも削除しろとw

796:名無しさん@1周年
19/09/12 22:04:37.52 WO+ZaJHa0.net
>>754
ウケるw w w
張政は檄文だけよんで帯方郡に逃げ帰ったかもしれんな

797:名無しさん@1周年
19/09/12 22:05:55.02 DvZb80PF0.net
>>752
なんで日本の小学校の教科書は「ヤマト国」にならないんだろうな

798:婆
19/09/12 22:08:32.96 LVgRs6hE0.net
>>756の後半
いやいや、もしかしたらアマテラスって意外と新しい神様かも知れんぞ。
たとえば延喜式の月次祭祝詞第四段のアマテラスに関する部分の
内容・形式は、明らかに後代の挿入であろうと言われている。
論証した文献としては、金子武雄「延喜式祝詞講」、
松前健「日本の神話と古代信仰」、溝口睦子「王権神話の二元構造」 など。
もともとはタカミムスヒのポジションだったところに挿入したらしい。

799:名無しさん@1周年
19/09/12 22:11:40.97 o5oNev+c0.net
>>756
当時は灌漑技術もないから水田や畑にできるところも限られてたんだぜ
というか、耕作地が足りなくて奪い合いになるから環濠集落作ってたんじゃないか

800:名無しさん@1周年
19/09/12 22:12:55.79 bT7urW1z0.net
>>747
逆に言うと、崇神期にアマテラス=卑弥呼を大和から追い出し天皇家の神を祀るようになった。
出雲大社の大国主の神も大和から出雲に追い出された。
つまり崇神が宮崎から大和へ東征し、三輪山のふもとにあった邪馬台国を乗っ取り、王朝を
築いたのかもしれない。それは、おそらく台与(トヨ)の後の男王の時代であろう。
あるいは当時の大和は物部氏が軍隊を担当し守っていたのかもしれない。

801:名無しさん@1周年
19/09/12 22:17:09.10 LncXbAwl0.net
磐井がらみかもしれんね
豊前に逃げる時に日田の信頼できる者に預けたかも

802:名無しさん@1周年
19/09/12 22:18:03.15 iiWrPkKf0.net
>>754
その後倭の五王が南朝に朝貢し、叙任を受けている。
学者がテキトーに当てはめて仁徳とか雄略とか応神とか言ってるが、この辺も
古代史学者ってアホっぽいw
そもそもが仁徳とか雄略とかがどこまで実在かも分からない段階でパズルする
って、アホと思わない?最低でも9回は派遣しているのに、系図的に嘘をつく
というのもあり得ないし、記紀にそんな記述はほとんどないし。(取って付け
たように呉に通じたと書かれているだけ。呉っていつの時代だよってw)
そして、「遂に絶つ」(475年?)がほんとの最後。
半島諸国の軍事統帥権を大和朝廷が�


803:ス故そこまで必要とするのか、全く理解 できない。大和のいいところは、国際情勢に影響されないほど離れていると 言うことだよね。 この倭国は、半島と近く、元々同根の北部九州勢力。魏の正統後継者である 南朝との主従関係にこだわった。



804:名無しさん@1周年
19/09/12 22:18:25.52 Qvo+E9gg0.net
東遷というより植民なんじゃないの?

805:名無しさん@1周年
19/09/12 22:18:36.78 kdetRg+v0.net
大和から持ち込まれたものという判断で良いのではないか

806:名無しさん@1周年
19/09/12 22:19:11.62 oUdCdJ8i0.net
高天原は、弥生系の故地である山東半島か
山東半島と九州北部の間にあり、当時はこっちも弥生系がメインだったらしい
朝鮮半島南部じゃねえの?

807:婆
19/09/12 22:21:50.74 LVgRs6hE0.net
>>760
でも田畑は環濠の外だよね。
というところで思い出したのが天津罪。
農地に対する実力行使はマジカルな「罪」によって抑止されていたのかも知れん。
だから農地ではなく収穫物の略奪が横行して、その結果の環濠集落だと。
>>761
ううむ、どうなんじゃろ。
俺は「追い出した」部分も含めて創作された説。

808:名無しさん@1周年
19/09/12 22:25:29.76 T2t6N+Y10.net
北部九州なんて鏡の一大生産地だったやん。

809:名無しさん@1周年
19/09/12 22:26:07.67 pts+44TL0.net
文献で残っているので怪しいのは倭人伝の正治元年(240年)、帯方郡太守の弓遵が派遣した建中校尉の梯雋が卑弥呼に献上した鏡。
あとは古事記のみに八咫鏡は真金(鉄)と書かれているのが面白いところかな

810:名無しさん@1周年
19/09/12 22:40:32.84 iiWrPkKf0.net
>>760
弥生後期の生産力の差は圧倒的。
弥生前期から長い時間かけて、高度な灌漑技術までを手に入れていた。
更に鉄器の普及でその差は拡大し、そして鉄器の広がりと共に生産力も南へ、そして
東へと拡大していった。畿内の巨大古墳もそれら灌漑技術あっての物なんだよ。大和
三山以北は巨大な奈良湖で、かつ大和川は大変な暴れ川。これを灌漑するのに鉄器が
なければ極めて困難。
稲作はその土壌が更に生産を押し上げるという特徴があり、また、乾田と湿田を交互
に行うなどの技術も既に普及していた。灌漑設備は耕作地が広がるほど大事な技術かつ
投資であり、福岡、佐賀、大分などの巨大な耕作地ネットワークを放棄する理由はどこに
あるのだろうか。私的には無いと断言できる。従って、王権の移動もありえない。
いくら奈良盆地が「美し国」でも、それは北部九州の技術と鉄器(農業も兵器も)に
よってこれから豊かになるのであって、現時点ではない。明智光秀の「切り取り次第」
と同じ話。神武一行のルンペン旅行も、それほど明確な宛てがあっての旅だとも思えない。

811:名無しさん@1周年
19/09/12 22:43:34.40 rLVFciTZ0.net
>>1
邪馬台国との位置関係
 【もっと北】   朝鮮半島 (狗邪韓国) 
 【北】      九州北部 (対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国)
 【女王国】   邪馬台国     
 【南】       狗奴国

812:名無しさん@1周年
19/09/12 22:45:22.04 o5oNev+c0.net
>>770
いや、そんなに農地有り余ってるなら苦労して有明海干拓しなくてもいいんだよ
農業生産が安定すると人口が増えるから、一度天候不順になるとカオスになる
弥生後期から末期あたりがちょうどそういう時期�


813:セったといわれてる



814:名無しさん@1周年
19/09/12 22:46:54.28 ZKu0Q23D0.net
カクが好きな俺にとっては魏の歴史がわかるの嬉しいよ

815:名無しさん@1周年
19/09/12 22:48:12.16 r457lmq20.net
古代奈良湖や宍道湖みたいな大きな湖周辺に朝鮮半島南部や奴国にいた倭人が移動して行ったのかもしれないね。
米が作りやすそうだし輸送や移動も船を使ってただろうし

816:名無しさん@1周年
19/09/12 22:51:24.00 bFx2Uw5u0.net
>>739
東遷なんかないからチョン

817:名無しさん@1周年
19/09/12 22:51:57.94 4hkvXG0/0.net
>>489
吸収って、それまで王権のかけらさえないのに
誰が吸収したの?
誰かが持ち込んだとしか考えられないよ。
変な妄想してないで奥山さん働きなよ。

818:名無しさん@1周年
19/09/12 22:53:02.05 bFx2Uw5u0.net
>>656
遷都なんかないからチョンコ

819:名無しさん@1周年
19/09/12 22:53:22.19 yzCFbWmnO.net
畿内説のクズっぽい書き込み来たw

820:名無しさん@1周年
19/09/12 22:53:52.75 bFx2Uw5u0.net
>>656
遷都があればそう書いてないとおかしいから

821:名無しさん@1周年
19/09/12 22:54:29.84 iiWrPkKf0.net
農業生産力と軍事力のバランスがいつ崩れるのかは今後の研究課題だが、
継体天皇が磐井に勝ってなぜ長門までしか獲れなかったのかは参考になる。
確かに畿内の巨大古墳は相応の軍事力の成せる業だろうが、それを同じ
九州の同盟関係でやる必要性もまた可能性も無い。拮抗した近隣同士で
は、そんな使役も権威の発露も無意味。みんな鉄器も生産力も持ってるw
鉄器という軍事的脅威と、それを最大限効果的に運用したことで初めて
巨大古墳を造営するための多数の被征服民を使役出来た。おそらく沢山
死んだんだろう。ちょっと手弁当でって規模じゃ無い。大和川付け替え
工事のような、賃金や食事の支給などろくに無かったと思う。特に大仙
古墳や誉田山古墳なんてでかすぎるし近すぎる。
結構平和的に暮らしていたかも知れない銅鐸民を、最大限残酷に征服して
いったんだろうね。

822:名無しさん@1周年
19/09/12 22:54:46.21 bFx2Uw5u0.net
>>778
おまエラが悪質なんだよ
嘘を確信して捏造ばかり
チョンコの特徴だ

823:名無しさん@1周年
19/09/12 22:55:29.23 SLsbufT30.net
>>721
寂しいと語ってたの変えてるところが笑える
あと差別主義者は今時嫌われるぞ
レズでも問題ないだろ

824:名無しさん@1周年
19/09/12 22:56:01.02 yzCFbWmnO.net
不可逆理論に悪態工作のがチョン臭いけどな
もう止まらないだろうけどなw

825:名無しさん@1周年
19/09/12 22:58:07.65 4hkvXG0/0.net
>>770
耕作地が不足して跡取りにもなれない
四男坊の神武が東に旅立ったのだろうな。
九州大乱の原因も耕作地の奪い合いか、
交易権争いだろう。

826:名無しさん@1周年
19/09/12 22:59:47.10 69oigwHT0.net
>>780
卑弥呼なき後の四世紀は九州でも大和王権の前方後円墳が作られ始める。
空白の四世紀になにがあったのか

827:名無しさん@1周年
19/09/12 23:00:25.24 SLsbufT30.net
>>784
どこまで信じるかってのはあるけど
一家総出みたいだよ
兄とかは戦死してる

828:婆
19/09/12 23:01:38.81 LVgRs6hE0.net
>>782
たしかに適切ではない表現だった。すまん。
が、それを承知であえて書くと、古代の感覚では、
トヨウケは明らかにアマテラスの「嫁」のポジションだよね。

829:名無しさん@1周年
19/09/12 23:02:10.54 yzCFbWmnO.net
天孫降臨0079にイワレビコ奈良大地に立つ

830:名無しさん@1周年
19/09/12 23:02:36.88 4hkvXG0/0.net
>>773
賈詡、郭嘉
どっちも好き。

831:名無しさん@1周年
19/09/12 23:04:00.60 69oigwHT0.net
俺は張華だな
陳寿が三国志を残したのは彼のおかげ


832:



833:名無しさん@1周年
19/09/12 23:04:30.08 C02ENO240.net
>>773
日本史と世界史は結構連動してるんだよな
曹操や孔明たちがダイナミックに動き回ってるのに
卑弥呼が小さな邑の女王だったというノーセンスな発想はやめてもらいたい

834:名無しさん@1周年
19/09/12 23:04:43.15 ewgPxxnO0.net
>>768
今回の鏡は少しちがうのよ
鉄で象眼してあって装飾もお土産レベルじゃなくて国宝レベルなんだわ
北九州の古墳だって掘ったら鏡はいっぱい出るけど
象眼してある鉄の鏡は当時の曹操とかしかもってなかった
しかも曹操の墓から出たものと似ているから問題になってる
曹操の墓に埋葬されるくらいの物が日本の日田にあったって事が凄いわけで

835:名無しさん@1周年
19/09/12 23:05:38.96 SLsbufT30.net
>>773
邪馬台国から魏を考えるなら辛い話な気もする
249年には司馬氏によるクーデター以後は傀儡政権になる
そして、265年には晋へと王朝交代
トヨは何処と交流してたんだろうな?

836:名無しさん@1周年
19/09/12 23:07:32.72 o5oNev+c0.net
記紀には「土蜘蛛が立て篭もった砦を攻め落として一族郎党みな成敗した」みたいなことがさらっと書いてあるけど、あれって高地性集落のことだよなw

837:名無しさん@1周年
19/09/12 23:10:44.02 SLsbufT30.net
>>792
古物商の話が何処まで本当かだろうな
あと、古物商から購入した学者が何処まで真実に辿り付いてるか
日田から消えて30年後だから。間に戦争もあった

838:名無しさん@1周年
19/09/12 23:10:45.44 o5oNev+c0.net
>>773
魏に滅ぼされた公孫氏の一族なら日本に逃げてきてる

839:名無しさん@1周年
19/09/12 23:13:51.08 ahfmRIuw0.net
で、邪馬台国は奈良、九州どっちよ?

840:名無しさん@1周年
19/09/12 23:14:06.63 CuUyB16H0.net
畿 内 説 終 了 の お 知 ら せ

841:名無しさん@1周年
19/09/12 23:14:16.64 4hkvXG0/0.net
>>773
でもやっぱり一度自身を打ち破った賈詡を受け入れる曹操の度量がすごいな
また光栄三国志194年のシナリオで始めて袁紹しめてくるわ

842:名無しさん@1周年
19/09/12 23:14:28.00 SLsbufT30.net
>>796
受け入れないんじゃね?
何かそこから先に進んで交流しようとするの邪魔してたみたいだし

843:名無しさん@1周年
19/09/12 23:14:34.79 iiWrPkKf0.net
>>785
前円後方墳については、博多湾岸が最古。何があったかと言えば、本格的に
軍事的征服を拡大していった。そして征服地でも勢力を布置・拡大した。
例えば奈良の神武から八代は実際は王権と言うほどの物では無く、むしろニギ
ハヤヒ=物部の方が王だったとも考えられる。そして、後に派遣された崇神が
治水を行い、応神が神仏混淆の仏教を広げ、軍事的にも攻勢をかけた。
一方本拠の北部九州は半島へのコミットにこだわりすぎ、派遣地域との体力に
逆転され始めた。南朝の威力も次第に失せ、北朝が優勢になっていく。
南朝にこだわり、日出づる国の天子などと挑発し、遂には百済と共に滅ぼされ
た。
というのが一例。空白と言っても歴史は連続しており、必然性の洞察と推理、
それと先入観の無い年代比定があればいいと思う。古代史学のかつての年代
設定は歪みが大きすぎた。九州には新しく、奈良には古く、などは未だに残
っている。それこそ、日田の旧跡や、太宰府、博多湾岸、八女、山門、どこ
もまだまだ「不明」なのが多くて、お金も手も足りないんだよ。国東


844:の古仏 も年代不明で放置されてるw



845:名無しさん@1周年
19/09/12 23:17:41.83 WeyGJVUX0.net
>>156
完全に邪馬台国は九州だね
もう間違いない

846:名無しさん@1周年
19/09/12 23:17:45.97 69oigwHT0.net
>>797
帯方郡から伊都国まで一万五百里
あと残り千五百里のところに邪馬台国はあるはず

847:名無しさん@1周年
19/09/12 23:20:37.94 DQjl//ig0.net
中国から友好使節団が日本に来ていたから
日本から中国の皇帝に贈ったとか
逆に中国から日本に贈られた物かも

848:名無しさん@1周年
19/09/12 23:20:58.48 o5oNev+c0.net
>>800
赤染氏常世氏が公孫からの帰化人。神社も残ってるぞ

849:名無しさん@1周年
19/09/12 23:23:05.98 69oigwHT0.net
>>801
ニギハヤヒが物部ってのは面白いな。
ウマシマジが物部だからそうなるのか

850:名無しさん@1周年
19/09/12 23:23:15.70 E0l1Qoo40.net
東遷のモチベとしては狗奴国がうるさいでも十分ではないの

851:名無しさん@1周年
19/09/12 23:24:25.34 rLVFciTZ0.net
>>297
そんなに多くの位の高い人たちが逃げてきたなら、偉い人達の間では、普通に漢字が使われているはずだよね。

852:婆
19/09/12 23:24:35.38 LVgRs6hE0.net
>>805
豊前田川の香春神社だっけ。いかにも丹を扱う一族だよね。
ここの香春岳は、古くからの銅山なのだ。

853:名無しさん@1周年
19/09/12 23:24:52.31 qcqgI2gj0.net
金印偽造説を知らない人がいるのが驚き。
「日本が中国の臣下だった証明だから絶対に本物。
 朝鮮がもらえなかった金印を日本がもらっているのはおかしい。だから偽。」
と、バイアスがかかるからややっこしい。
ちなみに中国の専門家は本物説だったと思う。
金印も鏡も、出土地が問題にされたけど、前に誰かが書いていたけど、
磐井の乱の時に持ち出され、散逸したんじゃないかな?

854:名無しさん@1周年
19/09/12 23:25:22.59 DQjl//ig0.net
>>802
中国から九州に来ていたのは確かだろうね
その先の大和まで行ったかどうかだね

855:名無しさん@1周年
19/09/12 23:25:32.75 E0l1Qoo40.net
>>801
え? 最古の前方後円墳は九州なの!? もし本当ならまた畿内論者に騙されてたわ…

856:名無しさん@1周年
19/09/12 23:26:52.09 SLsbufT30.net
>>805
そうなんだ
謀反起こして滅ぼされた連中なのに

857:名無しさん@1周年
19/09/12 23:29:12.29 SS1x8gq70.net
>>465
奴国は対海国を絶対に使わせないw

858:名無しさん@1周年
19/09/12 23:31:05.06 ++nwmM7C0.net
>>812
おれおれ詐欺に簡単に引っかかるくらいの単細胞だな

859:名無しさん@1周年
19/09/12 23:31:11.42 hf6GqTtT0.net
>>808
硯すずりが ここ数年で 複数の古墳から 見つかっています 以前は平安時代まで日本で 文字を書いていないということでしたが 数百年間遡ったわけです

860:名無しさん@1周年
19/09/12 23:32:57.27 gU0ZSTu20.net
>>797
他の史書や遺跡なども見れば奈良だね
魏史倭人伝が色々と間違えてるから九州説が生まれたけど
三国志当時の地理学はそこまで凄くない

861:名無しさん@1周年
19/09/12 23:33:06.13 ++nwmM7C0.net
前方後円墳を前円後方墳と書くやつがまともな知識を持ってると思うんかね

862:名無しさん@1周年
19/09/12 23:33:52.69 lZObuCZ30.net
やっぱりこれが正解だったか
> 86 :名無しさん@1周年 :2019/09/06(金) 23:46:57.90 ID:953HWZUu0
> >>1
> 最近日本史板で見た内容とおおむね一致してるな
>
> 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
> >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
> 総合的に


863:考えた結果こうなった > https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg > https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg



864:名無しさん@1周年
19/09/12 23:36:12.36 JbyCnsXd0.net
>>97
あと、阿蘇の噴火の脅威も考えられる
まあ、大陸文明に直接に接する日本列島の最西で国家を形成したが、
一山を超えたら、東に果てしなく続く静かな瀬戸内海
それを見て、東方に発展しようと思わない者がいるだろうか

865:名無しさん@1周年
19/09/12 23:41:52.03 oUdCdJ8i0.net
魏が高句麗まで潰しておいてくれたら、
後々、日本が朝鮮半島に進出しやすくなったのだが
まあ代わりに、中国の王朝とやり合う機会が増えて、
潰される危険性も増えたか?

866:名無しさん@1周年
19/09/12 23:46:57.78 awzYtc3F0.net
>>811
三世紀は九州の海人族の拡大と共に各地に広まっていた鉄がまだ畿内に届いてないから魏志倭人伝の時点では畿内には行ってないね
四世紀以降は畿内が九州に屈服したから畿内にも鉄が来るようになるね
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> URLリンク(inoues.net)
> URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と

867:名無しさん@1周年
19/09/12 23:47:10.19 69oigwHT0.net
>>821
倭の中心が東に移動すればするほど朝鮮半島に対する影響力は失ってる感はあるよね。

868:名無しさん@1周年
19/09/12 23:49:46.97 vcvM+DCY0.net
>>819
これは矛盾なく説明がついているな
良く出来ている

869:名無しさん@1周年
19/09/12 23:49:49.23 SLsbufT30.net
>>823
単に南下してるだけじゃね?
日本から見れば海を渡るんだから、どうしても不利だよ

870:名無しさん@1周年
19/09/12 23:51:48.04 LE3+Y9y30.net
>>819
倭人伝の行程で1番解釈に困るのが投馬国の存在だよね。
伊都国から投馬国、邪馬台国と続けて進むのか。
伊都国起点は同じで別々な所へ行くのか。
それでいて投馬国や行程に出る他の国は邪馬台国の北(ないしそれらの国から南に邪馬台国)とある。
ある説では投馬国は山口県の瀬戸内側で邪馬台国は宇佐や中津に推定していた。
関門海峡を抜けて豊前沿岸を邪馬台国に南下したら
対岸の山口県に投馬国が見えるからその名を行程に書いてるんだとか。
確かにそれだと対馬、壱岐、糸島、宇佐は南北の位置関係だし、
遠くて詳細の分からない連合加入の21カ国は西側の内陸部ないし有明海方面で納得がいく。

871:名無しさん@1周年
19/09/12 23:54:18.29 LE3+Y9y30.net
>>822
福井の鉄製品、なんでこんなに多い?
日本海を通じて大陸とパイプあったのだろうか?

872:名無しさん@1周年
19/09/12 23:55:30.49 lrtVqUoI0.net
邪馬台国は日田にあったんだ!

873:名無しさん@1周年
19/09/12 23:56:10.03 69oigwHT0.net
>>825
加羅諸国を失い、百済を失ったのは日本の中心が遠く畿内に移動したからだと思うな。
九州からは倍ぐらいの距離になるからね

874:名無しさん@1周年
19/09/12 23:


875:58:04.85 ID:bFx2Uw5u0.net



876:名無しさん@1周年
19/09/12 23:58:54.55 SS1x8gq70.net
>>826
投馬国は熊本託麻

877:名無しさん@1周年
19/09/13 00:01:29.05 14HW4RX60.net
>>816
漢字が既に普及していたら、万葉仮名とか、あんな変な漢文で記紀を書かないだろ

878:名無しさん@1周年
19/09/13 00:05:25.89 KqibMMYF0.net
何を言ってるかわからない
曹操の墓はみつかってなかったと記憶しているが

879:名無しさん@1周年
19/09/13 00:07:17.16 91pb6k560.net
権力を使って畿内にするためなら捏造おかまいなしの畿内説はヘドが出るわ。

880:名無しさん@1周年
19/09/13 00:09:12.63 emwUzIw60.net
>>833
見つかったよ
只、本当にって議論は又別

881:名無しさん@1周年
19/09/13 00:12:04.12 Ge7zQ+QS0.net
>>816もアレだが
>>832も何だな

882:名無しさん@1周年
19/09/13 00:38:40.91 zR5njd7N0.net
ハッハッハ、曹操孟徳はそうそうもうろくされておられる!

883:名無しさん@1周年
19/09/13 00:52:49.19 zLVlYfEd0.net
>>810
金印偽物説はガセ。
当時の知識では知り得ない組成や
様式で作られていた。
これを偶然とするのがカルト

884:名無しさん@1周年
19/09/13 00:56:57.94 zLVlYfEd0.net
>>830
土器w
30年前のポンコツ学問で頑張ってるのが畿内説。

885:名無しさん@1周年
19/09/13 01:02:40.41 uBVCoz+I0.net
>>729
豪族がつよいし争ったりなんかするかもしれないので
枕したんじゃないかとおもうんだが
鏡も配って

886:名無しさん@1周年
19/09/13 01:09:38.48 rPdfGGN90.net
最近まで興味はあったけど無知で、何となく畿内論者だった
無知な状態だと何となく畿内と思うんだよ。大和朝廷の歴史を長くしたいのは自然じゃん?
でも各板の邪馬台国スレ見て回っているうちにね、、、

887:名無しさん@1周年
19/09/13 01:11:55.43 rPdfGGN90.net
>>535
>糸島市平原遺跡の直径40cmが最大
正確には46cmなんだ
URLリンク(ironna.jp)
それで気づいたんだけど、
URLリンク(www.netpia.jp)
>「魏(ぎ)の曹操(そうそう)が金錯鉄鏡(きんさくてっきょう)を持っていた」と書かれていますが、大きさは直径約46cmの大きなものだったようです。
曹操が持ってたのは伊都国の鏡じゃない?

888:名無しさん@1周年
19/09/13 01:12:31.13 uBVCoz+I0.net
今も昔も力の強い相手を籠絡するには欲を満足させるしかない

889:名無しさん@1周年
19/09/13 01:17:52.12 EbE+41Yt0.net
まぁ適当に考えりゃあれだけ都がたくさんあった奈良や京都付近だと
思うわな、でも栄枯盛衰の言葉があるように新潟だって過去には
人口TOPだったりしたんだ、時代と共に人は移動して事実上の
首都は今は東京、2‐3世紀の話なんて想像すらできんわな
それでも文献によれば邪馬台国は九州のどこか、これは動かしようが無い

890:名無しさん@1周年
19/09/13 01:21:27.87 fbP7lfu10.net
沖ノ島の宝物の出土状況を考えれば金印の発見状況も不思議とは思えない
また金印が委奴国で使われることがあったとすれば漢字も理解しているはずだが
その形跡は一切ない
最近、平らな石を硯にしたいらしいが、文字が残っていない以上は証拠にならない
金印は授かった後に使われることなく神にささげられていても不思議ではないと思う

891:名無しさん@1周年
19/09/13 01:21:59.61 n+EbV7RR0.net
>>830
それだと纏向から東海の土器たくさんでてるから纏向は東海の傘下だったという論法も成り立つぞ
桜井の稲荷山古墳(3世紀)が東海式の前方後方墳みたいだし

892:名無しさん@1周年
19/09/13 01:27:15.14 zLVlYfEd0.net
>>846
いや、庄内式土器自体が畿内じゃなくて
播磨が拡散の中心地だから
20年前くらいに庄内式土器研究会とやらが
発表してたよ。

893:名無しさん@1周年
19/09/13 01:31:22.22 zLVlYfEd0.net
布留式も北陸がルーツらしいし、
土器とか文化の移動の証明にしかならないよ。

894:名無しさん@1周年
19/09/13 01:33:24.89 wcRmLLil0.net
硯には炭?が残っていましたので それですずりだろうということになったのです

895:名無しさん@1周年
19/09/13 01:36:25.04 /XF6o3sx0.net
そら天皇陛下の祖先が持ってきたからや。

896:名無しさん@1周年
19/09/13 01:38:39.30 E+wqkTddO.net
>>798
畿内説にトドメを刺せたのは良かったよ

897:名無しさん@1周年
19/09/13 01:48:34.10 ubINqpDy0.net
皇帝から実力買われてたことある日本と違って格下朝鮮は今でも当たり前のように中国の一部w

898:名無しさん@1周年
19/09/13 01:51:43.54 wcRmLLil0.net
硯交易の 文書とかで 必要だっただけで 書いてたのも雇われの 大陸人だったかもしれないですけどね 楽浪郡帯方郡と 交易していたからこそ 色々発掘されてるわけであって 貿易にも文章が必要だったわけです

899:名無しさん@1周年
19/09/13 02:00:39.87 ADF7mPJs0.net
>>844
ぶっちゃけ統一王朝ってわけでもないし邪馬台国だけならそんなに人々の情熱を掻き立てる事はなかったろうね
卑弥呼という存在が加わることでなんかこう神秘的な輝きを持ったテーマになるんよね

900:名無しさん@1周年
19/09/13 02:03:45.64 uvTqWq930.net
日田だとしたら投馬国はどこになるんだろう。福岡と日田を直線で結ぶと
かろうじて南といえなくもない。途中の朝倉に平塚川沿遺跡がある。
だがこれだと福岡からの陸行になってしまう。
福岡から水行で川を南下するとすると久留米にいきつく。投馬国に相応しい広さもある。
だがそっから筑後川を遡上して日田に向かうと方角が東になってしまう。

901:名無しさん@1周年
19/09/13 02:24:10.38 TfZ30I8S0.net
>>854
邪馬台国は明らかに統一政権じゃない。
大和朝廷からいままで続く天皇家政権より前にあった地方政権。
問題は九州説でも畿内説でも大和朝廷設立に絡んでくる可能性があるということ。

902:名無しさん@1周年
19/09/13 02:28:31.30 tz3zWdW40.net
スサノオはスサの王

903:名無しさん@1周年
19/09/13 02:32:12.12 tFu4TdH80.net
魏王に与えられた鏡なんだから、
倭王に与えられていても何も不思議ではないと思うけど

904:名無しさん@1周年
19/09/13 02:37:08.63 0Z5GyWhW0.net
鏡の一枚くらいは曹操クラスでなくても持ってんだろw

905:名無しさん@1周年
19/09/13 02:39:12.33 agVn/Vci0.net
>>855
宮崎の下の方にトウマって地名あるよ
あと邪馬台国は熊本の上の方だと思う

906:名無しさん@1周年
19/09/13 02:40:38.94 57QFLSoV0.net
鉄鏡が日田で出土したと信じ切ってるやつがこんなにいるとは驚き

907:名無しさん@1周年
19/09/13 04:35:12.55 tBc15ekG0.net
魏志倭人伝の原本は無く写本しかないから誤字もいくつかある
投馬国=殺馬国=薩摩国

908:名無しさん@1周年
19/09/13 04:41:49.37 4zuYq8vY0.net
>>862
薩摩大隅日向の3つはもともと全部日向だったこともしらんとそういう電波を・・・

909:名無しさん@1周年
19/09/13 05:12:10.91


910:tBc15ekG0.net



911:名無しさん@1周年
19/09/13 06:04:41.11 /GE6oVxy0.net
>>857
海野みことちゃんの事も忘れないで!

912:名無しさん@1周年
19/09/13 06:04:52.48 OQGBcrKh0.net
>>742
たぶん以下のような南北対立状態だったんじゃないかと思うけどな。
天智:反紀伊半島(新羅とパイプを持つ勢力に頼った)
天武:親紀伊半島

913:名無しさん@1周年
19/09/13 06:12:21.19 OQGBcrKh0.net
>>747
天照大神を東の海に面した地域で奉るような風習があれば、
その時代まで待つ必要があったろうな。

914:名無しさん@1周年
19/09/13 06:16:02.02 bLyDA3s30.net
赤壁の戦いで諸葛亮が東南の風を吹かせたのは、卑弥呼に秘法の書を貰ったから

915:名無しさん@1周年
19/09/13 06:23:03.44 OQGBcrKh0.net
>>758
そういや、なんで大和王権でなくヤマト王権なんだろうな?
当時カタカナ使ってたって話もないんだから
カタカナで当てようが漢字で当てようが条件同じはずなのに。
まるで外来語感出して渡来系民族の王権感出そうとしてるとしか思えん。
大和王権が嫌ならせめてやまと王権にしとけよと。

916:名無しさん@1周年
19/09/13 06:26:06.95 CVrCtbOG0.net
持ってくる時に、輸送してた奴がくすねたりしたんだろう
多数出土したならわかる

917:名無しさん@1周年
19/09/13 06:26:13.72 OLtvKj3z0.net
>>866
蘇我対反蘇我じゃなくて?
蘇我が東海に基盤をもってたんじゃない?
皇子の名前の付け方からして

918:名無しさん@1周年
19/09/13 06:28:15.85 nMUSA8ox0.net
邪馬台国
卑弥呼
俺ら漢字をそのまま日本語として読んでいるけど、当時の中国読みじゃないとダメだよな
倭国の使者が口頭で答えた国号と王名を漢字で当て字した訳だろうから

919:名無しさん@1周年
19/09/13 06:28:32.31 b9haBhQ10.net
>>830
822がこういうスレに常駐してる歴史無知のコピペ工作員かどうかは知らないが
そのコピペに出てくる海人は朝鮮半島中部まで制海権を持っていて半島に攻め込んでいた
縄文系と弥生倭人の融合海人
現在では文献史学でもその海神が青銅祭祀を持って西日本から北陸や美濃や中央アルブスまで
弥生後期には到達していたといわれている


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