【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に?at NEWSPLUS
【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に? - 暇つぶし2ch300:名無しさん@1周年
19/09/12 09:47:54.07 ++nwmM7C0.net
出土状況が怪しいというか、まったく確認が取れてないからな
1933年、ダンワラ古墳で何かが出た
1960年、古美術商から鉄鏡を購入した
2つを同一のものと判断する根拠がないというか、専門家は否定的
発掘に携わった関係者が、当時ダンワラ古墳で出土したモノを須恵器に入れたと述べている
これは鉄鏡と大きさが異なるということで、高島さんもダンワラ出土に否定的
実際どこで出土したかはまったく不明ということだろう

301:名無しさん@1周年
19/09/12 09:49:23.70 /GLoIZqw0.net
>>281
今までお疲れ様でした。畿内学かなんかしらんけど、あっちに行けw

302:名無しさん@1周年
19/09/12 09:49:29.70 DvZb80PF0.net
卑弥呼の邪馬台国が九州だとして、金印や皇帝の鏡など沢山出てきて栄華を誇るハズの九州ではなく、
3世紀の古墳時代には一転して巨大古墳が畿内から出てくる
日本の先進地域は九州であったが、田舎の畿内に飲み込まれたんだろうな
畿内の方が人口が多いとかで

303:名無しさん@1周年
19/09/12 09:50:17.99 1yC9KkT10.net
金印と鏡という動かぬ証拠により
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時に、九州にあったのは、
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だったことが確定した
邪馬台国は九州には無かったんだねぇ

304:名無しさん@1周年
19/09/12 09:50:51.26 4+bu/6Ag0.net
>>283
邪馬台国と冠が付くと税金を使う大義名分ができるとかあるから、
白熱した論争を続けて欲しいんやろ。
九州は地方税をもっと地元の大学につぎ込んで、いろいろ調べるべきやな。

305:名無しさん@1周年
19/09/12 09:51:07.71 gTJUqNm20.net
邪馬台国の場所については親魏倭王の金印が出土すれば一発なんだが、
魏の滅亡後に晋に朝貢した記録があるから、普通に考えれば返却しちゃってるだろうしな…

306:名無しさん@1周年
19/09/12 09:52:42.04 4+bu/6Ag0.net
>>288
鏡に付着してた土を調べたとかいう話じゃなかったっけ?

307:名無しさん@1周年
19/09/12 09:53:34.69 ++nwmM7C0.net
そういえば、旧日本軍が戦争中、中国から強奪してきたという推測も前にどこかで見た
さすがそれはないだろう
錆を落とす前は、ただの鉄のかたまり
お宝だなんてわからなかったのだから、鉄のかたまりを持ち帰るとはとても思えない

308:名無しさん@1周年
19/09/12 09:55:44.75 WFFVOSTt0.net
未だに近畿説を唱えてる人って

309:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:02.67 o5oNev+c0.net
マジレスすると、三国時代にはかなり多くの人が日本に逃げてきてるから位の高い人間が九州の山中に逃げてきてても不思議ではない
糸島だけでなく宇佐と並び豊前で重視された香春神社も渡来系氏族が祭神だし、魏に滅ぼされた公孫氏は一族の神社が畿内に残ってる

310:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:05.76 hsUUjST90.net
ここ数十


311:年、畿内説を提唱する学者達は纒向遺跡を根拠とし、何かとお袈裟に持ち上げてきたが、 現時点においても科学的に認めることが出来るのは 「3世紀の九州と畿内は疎遠だった」 という事実だけ。 畿内説は公金横領が目的じゃないのか?などと罵られるのも当然だ。



312:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:25.35 dP7mVARH0.net
見ず知らずの女性にいきなり卑弥呼様ァァって土下座してひれ伏すのたのしすぎワロタ

313:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:38.01 LE3+Y9y30.net
>>82
大陸側から見たら倭国ほぼイコール九州とその周辺って感覚だけど
弥生後期各地に国ができてたのは定説だよね。

314:名無しさん@1周年
19/09/12 09:57:24.49 WFFVOSTt0.net
>>291
九州に一つの国しかないと仮定するとそうなるのかな?

315:名無しさん@1周年
19/09/12 10:00:50.70 ++nwmM7C0.net
>>294
ソースある?
1962年に錆を落としたとしき、そんな技術はなかったはずだし
当時の土を現在まで保存してたとはとても思えない

316:名無しさん@1周年
19/09/12 10:06:20.17 WXh4Aw630.net
だから俺がずっと言ってるだろ
卑弥呼は伊都国生まれの伊都国のお姫様
その当時の倭は争いが耐えなかった
卑弥呼は鬼道(アイドル活動)にあつく
次第にその名声は他国にも響くようになり
争ってた国々も共同で卑弥呼の国邪馬台国(ファンクラブ)をつくった
邪馬台国(ファンクラブ兼事務所)の卑弥呼の鬼道(アイドル活動)は
とても人気で邪馬台国加盟国ツアーを開催
次第に常設劇場が欲しいねという話になり奈良に卑弥呼常設劇場が誕生
中国の史書の記述があーなのはアイドル活動を理解できないから女王とし
鬼道ツアーをやってたから邪馬台国の場所もああいう感じに書かれた

317:名無しさん@1周年
19/09/12 10:08:16.95 LE3+Y9y30.net
>>283
鉄拳や鏡や古墳の件からしても三世紀まつから四世紀にかけて九州から畿内への変動があり、
考古学的にも神武東征(九州勢力の畿内進出)は史実なんだとね。
しかも応神天皇系の皇后は日向出身が多い(大和土着の葛城氏と並ぶ)とか。

318:名無しさん@1周年
19/09/12 10:09:51.93 z9mSEFq40.net
>>281
倭奴国の継続証明が抜けている。

319:名無しさん@1周年
19/09/12 10:10:06.11 1yC9KkT10.net
>>301
九州に一つの国しかないもなにも
日本の記紀では
九州は、綿津見大神(神武の曽祖父)の「海神国」(倭奴国・狗奴国)
出雲は、素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は、天照大神尊の「大和国」(邪馬台)

320:名無しさん@1周年
19/09/12 10:11:48.53 4+bu/6Ag0.net
>>302
Googleってみたけど、以前見たやつとは違うと思うが付着していた石灰粉ってことらしいな。
URLリンク(www.netpia.jp)

321:名無しさん@1周年
19/09/12 10:14:13.92 1yC9KkT10.net
>>305
日本の記紀では九州は、綿津見大神(神武の曽祖父)の「海神国」
初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が生まれ
伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた
その天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていたのが筑紫城
・・つまり
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらった倭奴国
その後
天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
月読命(つくよみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)
が生まれて
伊弉諾尊から
天照大神尊は、高天原(畿内)を統治せよと言われ
月読命は、伊邪那美命の根之国(出雲)を統治せよと言われ
素戔烏尊は、豊玉彦の筑紫城


322:(九州)を引き継げと言われた



323:名無しさん@1周年
19/09/12 10:16:12.15 o5oNev+c0.net
北部九州は大陸との玄関口で渡来系氏族が多くやってきたから、弥生中期ごろは農業生産能力も最先端だったんだよ
だから人口爆発で農地が足りなくなり、各地に人が分散せざるを得ないことになった
高地性集落が中国地方→畿内と遷移し、戦乱の痕跡があるのもこの頃からの話

324:名無しさん@1周年
19/09/12 10:16:18.84 0/FMSx1V0.net
倭国は古の倭奴国なり。<旧唐書、倭国伝>
筑紫に三十二代いて神武のときに大和州に移った。
日本国は倭国の別種なり。<旧唐書、日本伝>
 或は曰く、「倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み改めて日本と為す」と。或は云わく「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。其の人の入朝するは、多く自ら矜大。実を以て対えず。故に中国焉を疑う。
 又云わく「其の国界、東西南北各数千里。西界南界、咸大海に至る。東界北界、大山有りて限りを為す。山外即ち毛人の国」と。
日本は昔は小国(筑紫)だったが、倭国を併合して大きくなっている。
倭奴国や倭国と呼ばれることが不満なので日本と名乗ることにした。
実家である倭奴国も存続しているから、これとは別種である。

325:名無しさん@1周年
19/09/12 10:16:20.61 ++nwmM7C0.net
>>307
なるほど
成分を調べたわけではないのか

326:名無しさん@1周年
19/09/12 10:17:18.16 DvZb80PF0.net
記紀とか小説はどうでもよくて、やはり物的証拠でしょ
いわゆる動かぬ証拠ってやつ
卑弥呼の時代と古墳時代
なぜ九州の権力が畿内に奪われたのか
九州は外国に近くて危ないから引っ越したのかな?

327:名無しさん@1周年
19/09/12 10:18:12.19 WXh4Aw630.net
四世紀半も経て編纂された古事記と日本書記で
熱心に卑弥呼の時代を語ろうとしてる奴いて笑うわw

328:名無しさん@1周年
19/09/12 10:20:56.38 utqS7pK9O.net
盗品としても大分じゃあ秦一族か卑弥呼一派と考えていい話だよな。しかし記紀程いい加減な書物はないな!何故もっとちゃんとしたものを書かんのかねえ。大体記されてる戦い方も騙して皆ごろしにして喜んでる連中だからな

329:名無しさん@1周年
19/09/12 10:21:27.55 4+bu/6Ag0.net
>>304
応神天皇系の皇后は日向出身が多いってのが本当なら、
嫁とることを条件に熊襲に暴れてもらうよう手配してもらった可能性が十分考えられるな。

330:名無しさん@1周年
19/09/12 10:21:50.36 mtaGRg270.net
>>1
> 大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、
数日前の朝日新聞に続きが載ってた
発見されたとされる墓の発掘も行ったが、他の出土品は平凡なものばかり
鏡の本当の発見場所は別ではないか? てのが専門家の大勢意見みたいよ

331:名無しさん@1周年
19/09/12 10:22:02.58 5bQt31z30.net
そもそも日田から出たのか分からないのか
下手したら日本からの出土でもないかもしれんしな。これはちょっと

332:名無しさん@1周年
19/09/12 10:23:22.87 DvZb80PF0.net
URLリンク(www.asahicom.jp)
元々はこんな鉄錆の塊
錆を取るとこう
オレの知ってる鏡ではない
複雑すぎる紋様
URLリンク(stat.ameba.jp)

333:名無しさん@1周年
19/09/12 10:23:40.36 ++nwmM7C0.net
土器とかも胎土分析で、どの地域の胎土を使ってたかわかるようになってきたけど
当時の知


334:見では、科学技術がこんなに進歩するとは予想できなかったから仕方がないな



335:名無しさん@1周年
19/09/12 10:28:33.93 5bQt31z30.net
戦前とは言え、まともな調査ならろくに調べず古美術商に売り渡すとかある訳ないしな
盗掘となると元は中国の可能性も充分あるしな

336:名無しさん@1周年
19/09/12 10:28:36.31 DvZb80PF0.net
>>316
なるほどなあ
金印もそうだが出土が曖昧な物はモノ自体に価値はあっても歴史的資料にはなり得ないね

337:名無しさん@1周年
19/09/12 10:30:48.83 1yC9KkT10.net
>>308 つづき
んが素戔烏尊は「豊玉彦はおっかねぇから引き継ぐのは無理」っつって断ったため、
素戔烏尊は伊弉諾尊から勘当されて
奈良の天照大神尊の「高天原」に立ち寄って、そこも追い出されて
出雲にたどり着き国を造った
そこに大国主がやってきて、素戔烏尊の娘と結婚し、出雲の第八代主王となり、出雲を「葦原中国」という大国にした
そしたらそこに奈良の天照大神尊の「高天原」から使者がやってきて
大国主は、天照大神尊の高天原(畿内)に「葦原中国」を国譲りして
そこに天照大神尊の養子となった素戔烏尊の長男の子・・つまり
天照大神尊の孫の天彌聞尊(あめのににぎのみこと)が派遣され
その出雲に派遣された天照大神尊の孫の天彌聞尊の子の【山幸彦】が、兄の海幸彦から出雲を追い出されて
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていた筑紫城・・つまり
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらった【九州の倭奴国に天孫降臨する】わけだ

338:名無しさん@1周年
19/09/12 10:31:55.86 z+5G2x5S0.net
邪馬台国はやはり九州に有ったか

339:名無しさん@1周年
19/09/12 10:32:50.41 VamXK84t0.net
サビまくった鉄の塊の状態の物
というのが最初の状態で
そんなの見てもも貴重なものとは思わないわけで
伝日田出土
というのは、意図的にうそをつくようなものではないと思うな

340:名無しさん@1周年
19/09/12 10:33:37.66 0IlqwdCh0.net
そうかもね。
ちなみに劉備、チンギスハン、ナポレオンは日本人だから

341:名無しさん@1周年
19/09/12 10:35:03.97 LE3+Y9y30.net
>>321
奴国の金印は価値高いのに何を言う。
後漢の光武帝が倭国に金印を授けたと言うのが明記されてるのに。

342:名無しさん@1周年
19/09/12 10:35:21.23 5bQt31z30.net
高千穂に天孫降臨なんて伝説加えるぐらいだからな
元は九州なんだろな
高千穂付近に降臨だと朝鮮半島よりは中国から島伝いで来た感あるよね

343:名無しさん@1周年
19/09/12 10:37:16.37 YoTX23qo0.net
はい、畿内説脱糞

344:名無しさん@1周年
19/09/12 10:37:44.97 KOWggUGS0.net
ドナルド・金印

345:名無しさん@1周年
19/09/12 10:37:52.33 LE3+Y9y30.net
>>316
それって発掘当時の話?
昭和初期の鉄道建設の時に出土したとされる古墳は取り壊されて今は現存しないから。

346:名無しさん@1周年
19/09/12 10:39:16.08 VFQroe720.net
>>324
古美術商は嘘をつかないと思い込む純粋さいいね

347:名無しさん@1周年
19/09/12 10:39:36.84 DvZb80PF0.net
>>326
金印のモノ自体に価値はある
出土が不明だと別の事柄の証拠にするには難しい

348:名無しさん@1周年
19/09/12 10:41:36.21 lUFDZ7cE0.net
>>210
よう間抜け なんだそのくだらない思考は

349:名無しさん@1周年
19/09/12 10:41:52.35 LE3+Y9y30.net
>>327
個人的には反対の解釈だね、。
熊本側から峠を越えて来たとかの表現だと思っている。

350:名無しさん@1周年
19/09/12 10:42:12.03 1yC9KkT10.net
>>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦です >>322

351:名無しさん@1周年
19/09/12 10:43:47.15 SS1x8gq70.net
>>171
里の実際の長さによっても結論変わるしなあ
仮に「または」の例がそれだとしても、他に「連続」の用例がないということまでは言ってないし

352:名無しさん@1周年
19/09/12 10:43:48.94 LE3+Y9y30.net
>>332
出土の経緯は怪しくとも後世のレプリカじゃないと分かってるんだから
それ以外に何がある、とならないか�


353:ネ?



354:名無しさん@1周年
19/09/12 10:44:43.15 1yC9KkT10.net
>>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦(神武の祖父)です >>322

355:名無しさん@1周年
19/09/12 10:45:25.37 VamXK84t0.net
>>331
嘘をつく必要があるのかな?
ただサビてるだけのみすぼらしい塊の出土地を偽る意味とは?

356:名無しさん@1周年
19/09/12 10:45:56.39 4+bu/6Ag0.net
>>313
編纂されたのが何世紀か後でも、説話が作られたのは数代後くらいじゃないの?

357:名無しさん@1周年
19/09/12 10:46:39.93 drS6wKSk0.net
関西の古墳は発掘調査をしていないだけ、発掘調査をしたら九州の何百倍優れた
出土品がざくざく出て来るよ

358:名無しさん@1周年
19/09/12 10:46:55.78 1yC9KkT10.net
>>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦で、その山幸彦の孫が神武です >>322

359:名無しさん@1周年
19/09/12 10:48:43.68 8S6AaG9P0.net
ラピュタみたいなもの。みんなの頭の中にどこででも存在する。

360:名無しさん@1周年
19/09/12 10:49:29.83 gKLkeuun0.net
記紀解釈は混乱の極みだねw
それこそが朝廷の狙いだったのだろう

361:名無しさん@1周年
19/09/12 10:49:45.95 2eeW81h10.net
古美術商に売り渡したやつが盗難経路を誤魔化すために嘘の発掘地を教えた可能性はあるのでは

362:名無しさん@1周年
19/09/12 10:50:29.16 VFQroe720.net
>>339
古美術商が30年前のことを知っていたと考えてるのか

363:名無しさん@1周年
19/09/12 10:50:48.84 1yC9KkT10.net
>>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦で、
その山幸彦の孫が、出雲・奈良と東征した神武
です >>322

364:名無しさん@1周年
19/09/12 10:51:29.80 /GLoIZqw0.net
食い散らかした大量の桃の種を見て喜ぶ畿内説派からしたら、曹操の鏡なんてゴミみたいなもんなんだろうな。

365:名無しさん@1周年
19/09/12 10:51:50.18 o5oNev+c0.net
>>327
元は九州だよ
ただ、それが畿内に引っ越した部分が謎
三種の神器を重視する文化が弥生末期に畿内に移動してる

366:名無しさん@1周年
19/09/12 10:51:59.20 VamXK84t0.net
>>345
最初の発見者が最近まで生きてたので(亡くなってるかは定かではないが)記録がそれなりに残ってるようなので
全くのデタラメとは言えないと思うわ

367:名無しさん@1周年
19/09/12 10:52:10.53 1yC9KkT10.net
>>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦で、
その山幸彦の孫が、出雲・奈良 を 東征した神武
です >>322

368:名無しさん@1周年
19/09/12 10:52:53.73 VamXK84t0.net
>>346
古美術商が知っている必要はないだろ
伝日田出土と言われてるのをそのままにしとくだけだろうが

369:名無しさん@1周年
19/09/12 10:53:05.16 z1XLH7k80.net
ねえよ
あったら中国史に残ってるだろ

370:名無しさん@1周年
19/09/12 10:53:15.44 /GLoIZqw0.net
また始まったよ、いつもの難癖。

371:名無しさん@1周年
19/09/12 10:53:35.80 5bQt31z30.net
そもそも売り渡した奴も別の誰かから手に入れただけで発掘地など知らず適当に言った
可能性もあるしな。中韓の盗掘品で大陸の戦争時のどさくさで手に入れたようなものなら
元が何処かなんて誰も分からないだろう

372:名無しさん@1周年
19/09/12 10:54:42.09 PhGm+4iT0.net
近畿終わったな

373:名無しさん@1周年
19/09/12 10:55:11.65 VamXK84t0.net
>>355
詳しいことは知らんが
発見者が日田だと言ってるのならそれほど間違いはないだろう

374:名無しさん@1周年
19/09/12 10:57:19.24 VamXK84t0.net
発見者がどういう経緯で鉄の塊を手放したのかがよくわからない
数年前にさらっと読んだ記憶があるだけなので
もっと詳しい人に教えてほしい

375:名無しさん@1周年
19/09/12 10:58:41.99 uEdCnjFR0.net
>>293
言われてみればそうだが、晋から新しい印綬貰った記録ってあったっけ

376:名無しさん@1周年
19/09/12 11:00:27.25 VFQroe720.net
>>352
古美術商は、日田出土ということだけは知ってただと?
それを鵜呑みにできる純粋さはおれにはもうない

377:名無しさん@1周年
19/09/12 11:01:43.52 VamXK84t0.net
久大線の工事の時に古墳が見つかる
その古墳の出土品に件の鉄鏡が含まれていた
発見者の渡辺音吉は、その古墳があった場所の土地所有者
工事の時に出土品を回収する許可はもらってたので回収する
どういう経緯で鉄鏡を手放したのかは知らない
奈良の古美術商から京大教授が購入する
さび落としをすると装飾がすごくて大発見となった
京大教授が出土地を調査する
発見者の渡辺に繋がり、出土場所の調査を行う

378:名無しさん@1周年
19/09/12 11:02:


379:23.26 ID:1yC9KkT10.net



380:名無しさん@1周年
19/09/12 11:02:46.12 VamXK84t0.net
>>360
美術品なら謂れも記録するのは常識じゃないか?
お前は純粋さだけじゃなくて常識もないんだよ

381:名無しさん@1周年
19/09/12 11:04:36.79 4+bu/6Ag0.net
>>332
今回の鉄鏡の場合は盗難にあって不連続な時間があるが、金印にはどんな疑いがあるの?

382:名無しさん@1周年
19/09/12 11:04:42.12 ++nwmM7C0.net
>>361
>その古墳の出土品に件の鉄鏡が含まれていた
この時点では、鉄鏡かどうかさえわからなかった
錆びた鉄のかたまり

383:名無しさん@1周年
19/09/12 11:05:27.08 1yC9KkT10.net
>>354
九州の出土品は、57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨した倭奴国のものだから
そりゃあ金印も出るし、皇帝が持ってるレベルの鏡も出る
240年に「親魏倭王」になってから、たかだか40年かそこらで大和政権に変わってしまった邪馬台国からは、んなもん出るわけがない
桃のタネで精一杯

384:名無しさん@1周年
19/09/12 11:06:03.65 VamXK84t0.net
>>365
それでいいと思うよ
鉄の塊が含まれていた
その鉄の塊が出土したことを渡辺は覚えていたという程度の話だろう

385:名無しさん@1周年
19/09/12 11:06:55.39 VamXK84t0.net
>>364
あぁ、
渡辺氏が近所の学校に寄贈しててそれが盗まれたという事だったのかな?

386:名無しさん@1周年
19/09/12 11:07:34.26 4+bu/6Ag0.net
>>334
阿蘇山辺りから来たのかなと僕も思ったけど、
その前は熊本平野から来たのか、
ひょっとすると日田辺りから来たのかが気になったことがあったな。

387:名無しさん@1周年
19/09/12 11:08:16.21 SS1x8gq70.net
>>291の意味がわからんなと思ったら
>>301
そういう意味か

388:名無しさん@1周年
19/09/12 11:09:22.23 2iwiafId0.net
>>8
死後即曹丕は皇帝に、曹操は太祖武帝とされたんだから墓は皇帝格で作られてるんじゃないかな

389:名無しさん@1周年
19/09/12 11:11:15.88 /GLoIZqw0.net
日田か、また山が深い所でしょう。卑弥呼は温泉が好きだったかもしれんねwww

390:名無しさん@1周年
19/09/12 11:12:32.16 +BxQx0fT0.net
なんか前に本になってなかった?
関裕二だったかな

391:名無しさん@1周年
19/09/12 11:12:51.70 o5oNev+c0.net
曹操の時代って事は大体倭国大乱の頃
とはいっても、戦乱は九州よりも中国近畿地方がメインだったように見えるが

392:名無しさん@1周年
19/09/12 11:13:41.09 /GLoIZqw0.net
日田の隣が阿蘇ね。ほーほーw

393:名無しさん@1周年
19/09/12 11:15:15.41 o5oNev+c0.net
宇佐八幡に残る伝承では、宇佐と阿蘇と高千穂の神三兄弟が合議した結果、宇佐が都(畿内)に行くことになったとか

394:名無しさん@1周年
19/09/12 11:18:12.45 KOWggUGS0.net
>>362
日田隠しにしてたりして

395:名無しさん@1周年
19/09/12 11:23:08.13 VFQroe720.net
>>363
鉄の塊の謂れw

396:名無しさん@1周年
19/09/12 11:24:31.96 VamXK84t0.net
>>378
土をこねて焼いた物体の謂れですらいくらでもあるだろ
常識だぞ

397:名無しさん@1周年
19/09/12 11:27:11.12 ewgPxxnO0.net
鉄の矢じりとか戦闘に使う鉄製品の出土率みたら九州しかないよ
畿内なんて少ししか出た無いんだから
まあ邪馬台国事態はもう都市部の下に埋もれて出てこない可能性もあるから文明が無くなって掘り起こさないと解らないかもね
戦闘で鉄製品が使えるって貿易してた拠点くらいだよね
当時の畿内では一般人は石器か木製品くらいしか使う経済力しかないよ
あと桃の種

398:名無しさん@1周年
19/09/12 11:33:42.26 4+bu/6Ag0.net
日田から南に伸びてる支流は阿蘇の外輪山付近まであるみたいだしな。

399:名無しさん@1周年
19/09/12 11:39:27.50 XItp6JLQ0.net
>>370
そもそもだ、北部九州は
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する倭奴国
邪馬台国が九州にあったのなら、邪馬台国は南部九州
南邪馬台国は糸島も、壱岐も、使えません

400:名無しさん@1周年
19/09/12 11:39:40.47 M8mfNnbc0.net
宮崎を「日向」と名付けたのは、景行天皇が九州へ


401:行った時と古事記に書いてある。 では本当の日向はどこか。 九州で、「日向」とつく地名の一覧 https://i.imgur.com/jCJpZkL.jpg 宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかない。 ほとんどが九州北部に集中している。 「日向」とはその名の通り、日に向かった所。これらの中心に日があると考えると、 それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。 さらに日田は、宇佐・中津と隣接し、近くには耶馬溪もある。 http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif 耶馬溪は江戸時代につけられた名前だが、もともと山国(やまくに)と呼ばれていた場所。頼山陽がそれに「耶馬」とあてたものだ。 日向は古くは、「ヒムカ」と読んでいた。これを卑弥呼と関連づける人もいる。 また宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。 道鏡事件のときも、天皇家の大事を、アマテラスのいる伊勢神宮ではなく この宇佐神宮にお伺いをたてている。 そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中ツ国(なかつくに)こそ、 この豊前の中津ではないかという説もある。



402:名無しさん@1周年
19/09/12 11:43:21.67 VamXK84t0.net
>>382
その理屈がよくわからんなぁ
奴国が福岡あたりに存在してたとして
そこを通過できないのはなぜ?

403:名無しさん@1周年
19/09/12 11:44:50.08 1yC9KkT10.net
>>383
日本の記紀では
九州は、綿津見大神(神武の曽祖父)が造った「海神国」(倭奴国・狗奴国)
出雲は、素戔烏尊が造った「葦原中国」
奈良は、天照大神尊が造った「大和国」(邪馬台)
だっつーの、朝鮮人

404:名無しさん@1周年
19/09/12 11:47:32.81 kUeVpfVK0.net
曹国

405:名無しさん@1周年
19/09/12 11:47:58.52 JbyCnsXd0.net
これで、やっと、大団円か  
長かったけど、まあ大長編の喜劇映画だったよなw
京大の奴らも大変な業を背負ったもんだw
明治の頃、先輩が畿内説をとなえばかりにお
明治以降、次々と発掘される圧倒的な考古学的証拠の前に意気消沈
ただ、後には引けない  三角縁神獣鏡の発掘で大喜びして反撃
ただ、その後、三角縁神獣鏡は国内で続々と発掘w
成分分析の結果も国内で製造と判明
一方、吉野ケ里の発掘もあった
再び、意気消沈 ただ、後には引けない
纏向発掘と年代測定を100年早める詭法で再び反撃
一方、京大が押さえているているマスコミ考古学記者をつかって国民大洗脳作戦
「卑弥呼の墓発見!」とか「桃の実が発見!!」とかw
ただ、纏向は掘れば掘るほど邪馬台国とは別の姿
そして、ついに5世紀の馬具wが発見
そして今回、正真正銘の曹操の鏡が九州で発見
それも、筑後平野からトヨの国大分に抜ける途中の日田で
まさしく、東遷説どおり
ただ、これまでの経緯を見てると京大の奴らは、何せ、生活がかかっているから
九州の発掘物を夜間に纏向の埋めることすらやりかねない

406:名無しさん@1周年
19/09/12 11:48:30.96 drS6wKSk0.net
なぜ九州に? の?は要らんだろう。なぜ?を付けるのか?九州だからあるのは
当然と考えるのが本当に考古学を研究している者のありかただ。

407:名無しさん@1周年
19/09/12 11:50:26.51 1yC9KkT10.net
>>384
南部九州の邪馬台国が
お前らに変わって倭王になるために魏に朝貢するから
おまえの糸島や、壱岐�


408:gわせろ っつって 57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、 金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する倭奴国が どうぞどうぞと使わせるか? 邪馬台国が九州にあったのなら 邪馬台国は糸島も、壱岐も、使えません



409:名無しさん@1周年
19/09/12 11:53:14.58 VamXK84t0.net
>>389
EUの中のドイツとフランスみたいな関係だったんじゃね?
なんか、お前の中の前提がよくわからない
糸島や壱岐は
伊都国や一支国だろ
奴国ではない
そもそも邪馬台国の時代に
「漢委奴国王」は君臨してたのか?

410:名無しさん@1周年
19/09/12 11:54:33.77 /GLoIZqw0.net
夏終わり、今から日田は熱くなりそうだね。

411:名無しさん@1周年
19/09/12 11:56:06.84 Vy0FrR320.net
>>385
日本の記紀では
九州は生まれたときに4つの顔があった
筑紫の国を白日別(シラヒワケ)
豊の国を豊日別(トヨヒワケ)
肥の国を建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
熊曾の国を建日別(タケヒワケ)

412:名無しさん@1周年
19/09/12 11:56:08.67 1yC9KkT10.net
>>384
南部九州の邪馬台国が
お前らに変わって倭王になるために魏に朝貢するから
おまえの糸島や、壱岐を使わせろ
っつって
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する倭奴国が
どうぞどうぞと使わせるか?
北部九州に
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨している倭奴国がある
以上、邪馬台国はどこにあったとしても、糸島も、壱岐も、使えない
つまり
- 海を渡る1000余里- の「一大国」は壱岐では無いし
- 東南に500里ー の「伊都国」は糸島では無い
んだよ

413:名無しさん@1周年
19/09/12 11:56:09.08 qpkCRUDF0.net
その鏡が出た場所のすぐ近くにいた久津媛という謎の人物も気になる

414:名無しさん@1周年
19/09/12 11:57:32.97 0/FMSx1V0.net
>>198
魏志倭人伝
帯方郡から水行で海岸を循って狗邪韓国まで7000余里(700キロ強)。
始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里(100キロ強)渡ると一大国に至る。
また海を1000余里(100キロ強)渡ると、末廬国に至る。
(帯方郡から末廬国まで船で1万里(1000キロ))
東南に陸行し、500里(50キロ)で伊都国に到着する。
東南に100里(10キロ)進むと奴国に至る。
東へ100里(10キロ)行くと、不弥国に至る。
(末廬国から不弥国まで陸路で700里(70キロ))
残り1300里(130キロ)
さらに陸路で邪馬台国のある国東半島に至る。
まとめとして、
帯方郡から、南へ水行20日で、投馬国に至る。
帯方郡から、南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。
帯方郡から女王国に至る、1万2000余里(1200キロ)である。

415:名無しさん@1周年
19/09/12 11:58:21.31 1yC9KkT10.net
>>390
>>384
南部九州の邪馬台国が
お前らに変わって倭王になるために魏に朝貢するから
おまえの糸島や、壱岐を使わせろ
っつって
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する倭奴国が
どうぞどうぞと使わせるか?
北部九州に
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨している倭奴国がある
以上、邪馬台国はどこにあったとしても、糸島も、壱岐も、使えない
つまり
- 海を渡る1000余里- の「一大国」は壱岐では無い
- 東南に500里ー の「伊都国」は糸島では無い

416:名無しさん@1周年
19/09/12 12:00:59.60 /GLoIZqw0.net
大分日田こそ町興しに卑弥呼を使うべきだよww
おめでとう日田さんw

417:名無しさん@1周年
19/09/12 12:01:01.78 VamXK84t0.net
>>393
全く理解できない
奴国って九州北部の小国家じゃないのか?

418:名無しさん@1周年
19/09/12 12:01:09.06 OVgezUPN0.net
アホ記者だから許されるけど
歴史の専門家がこれ言ったらアホだと思われるぞ
曹操(後漢の丞相・魏王)は墓を質素にしろと遺言を残して
曹丕(初代皇帝)はそれを実行したと思われる
×「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」
○「後漢の丞相・魏王の所有物の中でも質素な鏡」

419:名無しさん@1周年
19/09/12 12:01:48.21 VamXK84t0.net
>>396
コピペするしか能がないのか?
もっとわかりやすく書けよ

420:名無しさん@1周年
19/09/12 12:03:54.92 1yC9KkT10.net
>>395
夷人不知里數但計以日
倭人は里数を知らない、ただ日を以って計算している
ということは、
方角は、倭人から言われたまんま
距離は、中国からの渡来人のあてずっぽう
なので
【実際の距離に関係無く】
海を渡るときは・・・すべて1000里
陸を行くときは・・・500里(遠いか)、100里(近いか)
のみ

421:名無しさん@1周年
19/09/12 12:05:22.38 OVgezUPN0.net
曹操の墓から他にも出てきたものがあるけど
どれも質素なのは調べればわかる
息子曹丕は曹操の遺言を守ったんだろうね
大分県日田市の人は残念だろうけど貴重なものではあるが
ランクとしては高くないよ
ちゃんと現実を知るように

422:名無しさん@1周年
19/09/12 12:05:48.05 ezUpTL3y0.net
>>399
質素のレベルが今となってはわからんもんで
なにが質素だったか、から考証してると思うけどね
考古学者つうのは

423:名無しさん@1周年
19/09/12 12:07:57.21 1yC9KkT10.net
>>398
>>390
>>384
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する倭奴国

初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が生まれ
伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれ
その天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていた【海神(ワダツミ)国】という大国だ
邪馬台国はどこにあったとしても、糸島も、壱岐も、使えない
つまり
- 海を渡る1000余里- の「一大国」は壱岐では無い
- 東南に500里ー の「伊都国」は糸島では無い

424:名無しさん@1周年
19/09/12 12:09:21.59 NCGq0cXX0.net
>>398
委は倭の略字で委奴国と考えるほうが意味通る
よく教科書にある漢の倭の奴の国王みたいな
あほみたいな訳し方は前例もないし馬鹿説が通説なった
ただ、背景には近畿説や戦前からの大和民族云々みたいな主張がある
これで全部歪められてるわけだ

425:名無しさん@1周年
19/09/12 12:09:47.53 o5oNev+c0.net
そもそもだ、この時代の北部九州勢力は最新の技術をもった海の民だから半島南部から畿内、東海まで勢力を伸ばしている
そして弥生末期、それまで銅鐸作ってた唐古・鍵遺跡のすぐ近くに九州で信奉されてきた鏡を重視する王権が発生する訳で

426:名無しさん@1周年
19/09/12 12:10:27.34 OVgezUPN0.net
曹操の副葬品に金がないのよゴールドが
おそらく卑弥呼の墓には入っているだろうから
曹操の墓の副葬品は倭王以下だと思われる
まだ三国の戦いが続いているときで資金がいるし
墓を質素にさせたのは実に曹操らしい現実的な考えだと思うよ
詳しくは漫画よめばわかる

427:名無しさん@1周年
19/09/12 12:12:20.16 utqS7pK9O.net
しかし天皇が持っててもおかしくない代物がなんで落ちてんだよ?それに引き換え巻向じゃ金歯も出てこないんだろ?

428:名無しさん@1周年
19/09/12 12:12:43.71 o5oNev+c0.net
>>407
曹操の墓は盗掘されてるから、金目のものはあらかた持って行かれただろ
あと、中国では盗掘品のうさんくさい贋作がわんさか売られてる

429:名無しさん@1周年
19/09/12 12:13:04.94 VamXK84t0.net
>>404
いろいろ言い訳してるけど
結局は距離が違うから当てはまらないと言ってるだけなのか?
渡一海千里
というのは慣用表現
海を渡るのは千里を移動するくらい大変だという意味であって
実際の距離が千里である必要はない
そもそも千里だったとしてどうやって距離を測るんだ?
無理だろ

糸島も同じ
上陸地点の呼子から糸島は大雑把に言えば南東方向
陸上の距離も、測定器具を使いながら距離を測ってるわけではない
徒歩で1日歩けば何里という基準があるんだろう
それで測れば五百里
何の不自然さもない

430:名無しさん@1周年
19/09/12 12:14:51.97 /GLoIZqw0.net
日田さんはこれから大変だね、邪馬台国の一番の候補としてマスコミやら卑弥呼好きが沢山集まるね
これからは探せば祭壇とかも見つかるかもしれんよ。邪馬台国温泉とかやっちゃえばいいよw

431:名無しさん@1周年
19/09/12 12:17:17.82 +K5qYVEG0.net
卑弥呼は曹叡の時代だから関係ないな
九州説ぬか喜びで草

432:名無しさん@1周年
19/09/12 12:20:34.64 o5oNev+c0.net
>>412
本物だとすると、九州が中心だったのは卑弥呼よりもっと前の時代だという説を補強する可能性がある
吉野ヶ里のときのパターン

433:名無しさん@1周年
19/09/12 12:20:38.56 OVgezUPN0.net
208年 赤壁の戦いで曹操ボロ負け
209年 劉備が荊


434:州攻略 211年 益州が劉備を向かい入れる 215年 劉備が益州がを掌握する 220年 2月 曹操病死 曹丕が跡を継ぎ魏王となる      10月 曹丕、献帝の勅令によって禅譲され帝位に就く 魏建国 221年 劉備が蜀漢を建国 229年 孫権が呉建国 三国鼎立 239年 卑弥呼の使者が朝貢



435:名無しさん@1周年
19/09/12 12:21:20.95 1yC9KkT10.net
>>410
そうですよ、だから >>395 は妄想だよね

436:名無しさん@1周年
19/09/12 12:21:22.09 ZWf5TrjK0.net
>>411
古美術商が言ったことを根拠にするとはさすが九州説ですね

437:名無しさん@1周年
19/09/12 12:21:34.68 sVrggffS0.net
名前は酷い当て字してるんだから俺の女にくれてやろう程度の感覚で
贈ったんだろ

438:名無しさん@1周年
19/09/12 12:23:22.49 VamXK84t0.net
>>415
>>395が妄想かどうかなんて俺には関係ない
邪馬台国が糸島や壱岐を通行するのは当たり前なんだよ
奴国が妨害したというお前の言い分は妄想という事だ

439:名無しさん@1周年
19/09/12 12:24:26.38 lC3A1kgg0.net
>>50
捏造

440:名無しさん@1周年
19/09/12 12:25:00.10 1yC9KkT10.net
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
北部九州一帯を統治する倭奴国

初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から生まれた
伊弉諾尊が
まず最初に生んだ天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神が統べていた
【海神(ワダツミ)国】という大国だ

邪馬台国が奈良にあろうが、南九州にあろうが、
どこにあったとしても、糸島も、壱岐も、使えないのだ
つまり
- 海を渡る1000余里- の「一大国」は壱岐では無い
- 東南に500里ー の「伊都国」は糸島では無い

441:名無しさん@1周年
19/09/12 12:25:10.21 U61Zodh10.net
皇帝の御物にふさわしいかどうかは別にして
朝貢してきた賓客への贈り物なんだろうね
神獣鏡は最初から配布用のお土産

442:名無しさん@1周年
19/09/12 12:25:38.95 /GLoIZqw0.net
>>416
辛い?w 残念だったね畿内説w
お疲れちゃんww

443:名無しさん@1周年
19/09/12 12:27:43.55 1yC9KkT10.net
>>418
もう一度聞く
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
北部九州一帯を統治する倭奴国

自分の変わりに新たな倭王になろうとする邪馬台国の使者に
なぜ、どうぞどうぞと糸島や、壱岐を使わせる?

444:名無しさん@1周年
19/09/12 12:28:02.70 Jnenk3kU0.net
>>408
皇室と卑弥呼を無理に結び付けようとしてるからおかしくなるんだよ
邪馬台国と奈良の倭国は別物だと思ったほうがしっくりくる
畿内説の特に奈良説はこじつけばかりやん
九州説、近江説、大阪説、四国説、沖縄説は面白くて好きだけど纒向厨だきゃあ
こじつけが酷過ぎて

445:名無しさん@1周年
19/09/12 12:28:05.83 N7P0563q0.net
わしが埋めたドヤ!

446:名無しさん@1周年
19/09/12 12:28:16.69 U61Zodh10.net
曹操は魏公であって帝位についたのは曹丕

447:名無しさん@1周年
19/09/12 12:28:35.11 C02ENO240.net
>>6
神功皇后を見る限り実家は周防国(秦王国)だな
まあ筑紫も支配していただろうけど

448:名無しさん@1周年
19/09/12 12:28:40.87 utqS7pK9O.net
結構宇佐周辺は有力だねえ、日田には耶馬渓とか山国とかあんだなあ

449:名無しさん@1周年
19/09/12 12:28:58.05 VamXK84t0.net
>>423
伊都国や一支国は奴国の支配下ではないからだよ

450:名無しさん@1周年
19/09/12 12:29:36.81 kb3x8VGr0.net
当時の配達員が面倒臭くて埋めちゃったんだよ(名推理)

451:名無しさん@1周年
19/09/12 12:30:39.47 OVgezUPN0.net
盗掘はされているけど
二重にしてて奥に隠した本体はあらされてないという意見もある

452:名無しさん@1周年
19/09/12 12:31:07.51 VamXK84t0.net
>>423
>57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
>金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
>北部九州一帯を統治する倭奴国
邪馬台国の時代には奴国は没落してた
という事だろ
それから
金印や鏡は皇帝の臣下の国に下賜されるものだぞ

453:名無しさん@1周年
19/09/12 12:31:35.40 1yC9KkT10.net
>>429
つまり
- 海を渡る1000余里- の「一大国」は
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
北部九州一帯を統治する倭奴国の支配下の壱岐では無い

- 東南に500里ー の「伊都国」は
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
北部九州一帯を統治する倭奴国の支配下の糸島では無い

454:名無しさん@1周年
19/09/12 12:32:19.34 VamXK84t0.net
>>433
そう
EU連合のドイツやフランス等の関係と同じ

455:名無しさん@1周年
19/09/12 12:35:40.48 /GLoIZqw0.net
>>430
うちの先輩が畿内派なんだけど、連続性の問題で金印は志賀島�


456:ゥら出てますけどって言ったら、、、、 畿内の方に持っていく予定だったけど持っていく人がめんどくさくなって途中で捨てたんだろう。だってwww 畿内派ってなぜかこんな人が多いだよね、マジで。



457:名無しさん@1周年
19/09/12 12:35:54.92 9uCtkQV70.net
魏の初代皇帝は曹丕・・・
高校の期末テストで曹操と書いて間違えたの思い出したわ

458:名無しさん@1周年
19/09/12 12:36:17.65 1yC9KkT10.net
>>432
邪馬台国の時代には奴国は没落してた
>57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
>金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
>北部九州一帯を統治する倭奴国
は没落してた??
とんでもありません
帯方郡の公孫氏とグズグスの関係で、
魏も手出しが出来ないほどの全盛期です

459:名無しさん@1周年
19/09/12 12:36:29.43 SS1x8gq70.net
ケムに巻き始めたな

460:名無しさん@1周年
19/09/12 12:37:02.69 4hkvXG0/0.net
>>65
1世紀の畿内に王なんていねぇよw
これだから畿内説カルトは

461:名無しさん@1周年
19/09/12 12:38:31.09 VamXK84t0.net
>>437
全盛期なら倭国伝でも倭人伝でもなく
奴国伝でないとおかしいので間違い

462:名無しさん@1周年
19/09/12 12:39:19.24 utqS7pK9O.net
宋史新唐書でも秦の末裔ちょうねんの王年代紀を調書した上記載したんだから、32、23?年代までは筑紫だろう、ただ仲哀死が卑弥呼だと思うよ。神功は宇佐で船木に軍船を作らせとるからここも基地であったことは確か。

463:名無しさん@1周年
19/09/12 12:39:36.86 OVgezUPN0.net
原文略
景初二年(238)六月、倭の女王は、大夫の難升米等を派遣して帯方郡に至り、
天子にお目通りして献上品をささげたいと求めた。
太守の劉夏は官吏を派遣し、難升米等を引率して送らせ、都(洛陽)に至った。
その年の十二月、詔書が倭の女王に報いて、こう言う。
制詔、親魏倭王卑弥呼。
帯方太守、劉夏が使者を派遣し、汝の大夫、難升米と次使、都市牛利を送り、
汝の献上した男の生口四人、女の生口六人、班布二匹二丈をささげて到着した。
汝の住んでいる所は遠いという表現を越えている。
すなわち使者を派遣し、貢ぎ献じるのは汝の忠孝のあらわれである。
私は汝をはなはだいとおしく思う。
今、汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し(与え)、
装封して帯方太守に付すことで仮(かり)に授けておく。
汝は種族の者を安んじ落ち着かせるそのことで、(私に)孝順を為すよう勉めよ。
汝の使者、難升米と牛利は遠くから渡ってきて道中苦労している。
今、難升米を以って率善中郎将と為し、牛利は率善校尉と為す。
銀印青綬を仮し(与え)、引見してねぎらい、下賜品を与えて帰途につかせる。
今、絳地交龍錦五匹、絳地?粟?十張、?絳五十匹、紺青五十匹を以って、
汝が献じた貢ぎの見返りとして与える。
また、特に汝に紺地句文錦三匹、細班華?五張、白絹五十匹、金八両、←←←
五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を下賜し、
皆、装封して難升米と牛利に付す。
帰り着いたなら記録して受け取り、ことごとく、汝の国中の人に示し、
我が国が汝をいとおしんでいることを周知すればよろしい。
そのために鄭重に汝の好物を下賜するのである。

魏から金八両をもらってるのでこれが卑弥呼の墓にあるんじゃないかと

464:名無しさん@1周年
19/09/12 12:39:43.75 SS1x8gq70.net
狗邪韓国と対海国はどうなったのかね

465:名無しさん@1周年
19/09/12 12:39:50.82 1yC9KkT10.net
>>434



466:K死に言い訳しているが 57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、 金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する 北部九州一帯を統治する倭奴国 が 自分の変わりに新たな倭王になろうとする邪馬台国の使者に なぜ、どうぞどうぞと糸島や、壱岐を使わせるわけが無いのだよ 使わせたら、自分が倭王ではなくなってしまう可能性があるから 自分の変わりに新たな倭王になろうとする邪馬台国の使者には 糸島や、壱岐を、【絶対に使わせない】



467:名無しさん@1周年
19/09/12 12:41:54.29 VamXK84t0.net
>>444
>57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
>金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
>北部九州一帯を統治する倭奴国
この3行が大好きみたいだけど
あまり洗練されてないんだよな
コピペするほどじゃないと思うわ

468:名無しさん@1周年
19/09/12 12:42:54.55 1yC9KkT10.net
>>440
>>434
必死に言い訳しているが
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
北部九州一帯を統治する倭奴国

自分の変わりに新たな倭王になろうとする邪馬台国の使者に
どうぞどうぞと糸島や、壱岐を使わせるわけが無いのだよ
使わせたら、自分が倭王ではなくなってしまう可能性があるから
自分の変わりに新たな倭王になろうとする邪馬台国の使者には
糸島や、壱岐を、【絶対に使わせない】
つまり
- 海を渡る1000余里- の「一大国」は
北部九州一帯を統治する倭奴国の支配下の壱岐では無い
- 東南に500里ー の「伊都国」も
北部九州一帯を統治する倭奴国の支配下の糸島では無い
【邪馬台国は九州には存在できない】

469:名無しさん@1周年
19/09/12 12:43:28.39 OVgezUPN0.net
>また、特に汝に紺地句文錦三匹、細班華?五張、白絹五十匹、金八両、
>五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を下賜し、
(略)
>そのために鄭重に汝の好物を下賜するのである。
>汝の好物を下賜 とあるから
紺地句文錦三匹、細班華?五張、白絹五十匹、金八両、
五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤
これらは倭国側から求めたものと思われるクレクレ
白絹五十匹 銅鏡百枚

470:名無しさん@1周年
19/09/12 12:44:01.61 VamXK84t0.net
>>444
>糸島や、壱岐を、【絶対に使わせない】
だとしたら、大陸が日本列島の人間を交流するには奴国と必ず関係を持たないといけないのに
奴国の記述が少なすぎる
なのでやっぱり、
アプローチの方法を変えてもお前の言ってる通りにはならないことが判明したわけだ
そろそろコピペばかりの無能の相手はやめとこうかな

471:名無しさん@1周年
19/09/12 12:44:36.83 DuAamUn90.net
曹操が日本に渡って卑弥呼になったんだよ

472:名無しさん@1周年
19/09/12 12:45:41.50 +mN26/o3O.net
>>372
Googleマップを航空写真にして見ると日田がそんなに山深いとも思えないんだな。
東側は険しい山だけど西側は平地が開けている。
その平地の中央には筑後川が流れてるからかなりと所まで船で行けそう。

473:名無しさん@1周年
19/09/12 12:46:35.85 /GLoIZqw0.net
これから日田さんが卑弥呼を活用してどう町興しをして行くのかが興味深いな~♪
日田は何か名産があるのかな?調べてみよう。

474:名無しさん@1周年
19/09/12 12:46:51.21 2eeW81h10.net
金印もらうから王になるんじゃなくて力関係が逆転してるから金印をもらうんやろ

475:名無しさん@1周年
19/09/12 12:47:34.48 NCGq0cXX0.net
金印は確かな歴史の物証としても、魏志倭人伝はそうじゃない可能性のが高いけどな
三国志は陳寿の世界観に大きく依存してるが、司馬遼太郎みたいなフィクション作家に近い

476:名無しさん@1周年
19/09/12 12:48:37.40 o5oNev+c0.net
>>435
紀元前後は北部九州が中心だってことは機内派云々関係なく常識だと思うんだけど・・・

477:名無しさん@1周年
19/09/12 12:49:15.87 hsUUjST90.net
魏は「卑弥呼の生真面目さ」を評価して金印を授けたんだよな。
それを「金印に値する強大な勢力だった」からと曲解してるのが畿内説。
頭の中で作り上げた根拠不明のシナリオにしたがって説を組み立てていくのが畿内説のやり方だ。

478:名無しさん@1周年
19/09/12 12:50:40.04 hsUUjST90.net
>>454
当時の倭国が統一国家だったとでも思ってるのか?
典型的畿内説だなw

479:名無しさん@1周年
19/09/12 12:51:50.29 4hkvXG0/0.net
>>86
畿内には鉄器も碌になかったのにどうやって九州倭国を滅ぼしたのか

480:名無しさん@1周年
19/09/12 12:51:55.50 OVgezUPN0.net
白絹五十匹
おしゃれさん卑弥呼 絹でテカテカ
銅鏡百枚
卑弥呼の鬼道(米くれたらお祈りしてあげる)を
各地に普及させるための鏡 納税制度の確立

481:名無しさん@1周年
19/09/12 12:52:44.43 /GLoIZqw0.net
>>450
ほんまや、福岡からも近い。やきそば、うなぎ、やまめ、梨、名物はこの辺だね。
金の日田まぶしとか、曹操のやきそばとか、ひみこ梨とか、色々いけるんじゃないw

482:名無しさん@1周年
19/09/12 12:52:52.78 NCGq0cXX0.net
日本式の統一国家ってのは江戸時代にしても盟主に


483:過ぎないんだよな。 本当の意味での統一国家とか想像を超える



484:名無しさん@1周年
19/09/12 12:54:08.94 1yC9KkT10.net
>>448
必死に言い訳しているが
糸島や、壱岐を、【使わずに】
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する
北部九州一帯を統治する倭奴国と【関係を持たずに】
日本列島の人間が大陸と交流すれば良いだけだろバーーカ m9(^Д^)プギャー
日本列島の人間が大陸と交流するのに、なんで
北部九州一帯を統治する倭奴国と【必ず関係を持ち】
糸島や、壱岐を、【必ず使わなければならねーんだよ】
帯方郡ー韓国
- 海を渡る1000余里- 対馬國
- 海を渡る1000余里- 一大国(見島)
- 海を渡る1000余里- 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)

- 東南に500里ー 伊都国(出雲)
- 東南に100里ー 奴国(因幡)
- 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
- 南に水行20日ー 投馬国(近江)
ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良)

485:名無しさん@1周年
19/09/12 12:56:58.47 gTJUqNm20.net
しかし、漢の時代には倭王に任じられるほどの奴国が、
三国時代になると邪馬台国が台頭してきて、その他大勢扱いになっちゃうんだよな
邪馬台国の外交手腕が優れていたのかもしれないけど、よく滅びずに共存できたもんだ

486:名無しさん@1周年
19/09/12 12:57:06.45 o5oNev+c0.net
>>457
鉄器がろくにない地域だったから宮を築くのに都合がよかったんだろ

487:名無しさん@1周年
19/09/12 12:57:14.00 OVgezUPN0.net
日光を反射させる鏡と絹で卑弥呼キラキラ

部分日食が起こる

卑弥呼殺される

祟らないように奉る

アマテラス神誕生

488:名無しさん@1周年
19/09/12 12:57:42.89 1yC9KkT10.net
帯方郡ー韓国
- 海を渡る1000余里-対馬國
- 海を渡る1000余里- 一大国(見島)
宗像氏の祖は出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)その娘達が宗像三女神とよばれる田心(タゴリ)姫、市杵島姫、多岐津姫
- 海を渡る1000余里- 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
アマテラスから奈良の高天原を追放された素戔嗚尊が新羅曽尸茂梨に渡り、日本に戻って来る際の上陸地点という伝承が残る、古くから大陸と出雲を行き来する港湾国
- 東南に500里ー 伊都国(出雲)
王は出雲主王
長官「爾支(にき)」は出雲に派遣されれたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」
- 東南に100里ー 奴国(因幡)
伊都国(出雲)の奴国、大国主の最初の妃「八上比売」の国
- 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
長官「多模(たも)」は、天火明命の流れをくむ、摂津国住吉郡の豪族の田蓑宿禰
- 南に水行20日ー 投馬国(近江)
長官「彌彌(ミミ)」は、スサノオの長男の「天忍穗耳尊」
ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良)

489:名無しさん@1周年
19/09/12 12:57:42.98 drS6wKSk0.net
九州だから出るのは当たり前であって、奈良から出たらおかしいなと考えるのが普通だぞ

490:名無しさん@1周年
19/09/12 12:58:39.69 V4+uHax60.net
ID:1yC9KkT10
こういう人が意地になって、歴史を捻じ曲げるんだろうな

491:名無しさん@1周年
19/09/12 12:59:49.30 VamXK84t0.net
>>461
大陸へ渡るルートは決まってるんだよ
呼子から壱岐対馬を経由して朝鮮半島へ向かうんだよ
出雲ルートは季節風に頼らないと往復できないので頭の悪い空論だぞ
冬の日本海を舐めすぎている

それから
>- 海を渡る1000余里- 対馬國
対馬から1000里の出発地って具体的にどこだ?w
知らんけど
見島は対馬から1000里なのか?
自分に都合がよければ1000里なんてどうでもいいと思ってるんじゃないか?
詭弁そのものだな

492:名無しさん@1周年
19/09/12 13:00:49.08 ++nwmM7C0.net
>>457
滅ぼしてないよ
前方後円墳体制に北部九州も参加したんだよ
奴国が真っ先に加わり、他の九州勢も追随した

493:名無しさん@1周年
19/09/12 13:01:53.15 o5oNev+c0.net
>>467
コピペ連投したり罵倒繰りかえす奴はおなじみの基地外だから相手してはいけないw

494:名無しさん@1周年
19/09/12 13:03:05.85 o5oNev+c0.net
>>469
前方後方墳の同時発生=連合の証というのは定説だな
北部九州と畿内は早いうちからなんらかの関係があったんだろう

495:名無しさん@1周年
19/09/12 13:03:39.40 583KgZaK0.net
卑弥呼の時代は2世紀~3世紀前半であり、3世紀末には女王制が消滅しています。
奈良にはそれに合致する遺跡は無く、史書には無い独自の歴史を歩んでいたと考えられる。
<奈良の歴史>
~2世紀末 唐古・鍵最盛期
3世紀後半~4世紀半ば 纏向最盛期
4世紀末~↓ヤマト政権の種ご到着↓
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
URLリンク(www.sankei.com)
~ 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の ~
建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
~ 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

496:名無しさん@1周年
19/09/12 13:04:29.53 1yC9KkT10.net
>>466
っつーか、
九州一帯が
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
金印も、皇帝が持ってるレベルの鏡も所有する倭奴国だった
から、こんな鏡が出るのは当たり前であって
240年に「親魏倭王」になってから、40年かそこらで消滅した邪馬台国から出たらおかしい
・・と考えるのが普通だよね

497:名無しさん@1周年
19/09/12 13:04:43.53 4hkvXG0/0.net
>>127
金印もらえるのはその部族の首長やで

498:名無しさん@1周年
19/09/12 13:05:50.57 583KgZaK0.net
>>471
北部九州と畿内は疎遠だったというのは今や常識だが。
[纏向遺跡]
銅鏡、刀剣類、勾玉な、鉄製品などが出土していないなど年代を決定する
決定的な出土物は乏しく、ここに邪馬台国であったと決定的なことは言えない。
日本全国で作られたと見なされる遺物が出土しているが、中でも大和国に隣接し、
古代から交流が盛んで関係が深かった伊勢国で造られた物と、伊勢湾を挟んで
東側に位置する尾張国で造られた物が多い。
また、搬入品のほか、ヤマトで製作されたものの各地の特色を持つとされる
土器が多く、祭祀関連遺構ではその比率が高くなる
(多い地点では出土土器全体の3割を占める)。
また、これら外来系の土器・遺物は九州から関東にかけて、および日本海側を
含むものの、九州由来もしくは朝鮮由来の土器は非常に少なく、この遺跡が
大陸との交易は乏しかったと推定される。

499:名無しさん@1周年
19/09/12 13:06:49.01 iIE6vjR00.net
>>403
曹操は布団に房をつけるのもやめたってくらい質素なんだぞ
親魏倭王ってのも
曹真がインドとよしみを結ぶのに対抗したものらしいし

500:名無しさん@1周年
19/09/12 13:07:30.21 1yC9KkT10.net
>>468
そうしないと邪馬台国は九州ではなくなってしまうから


501:必死だな(笑) 残念ながら倭国からは、30カ国近くが【別々の独自ルートで】大陸に朝貢していました



502:名無しさん@1周年
19/09/12 13:09:11.68 ZWf5TrjK0.net
>>467
そいつと近畿パー連呼のやつは見つけたら即NG

503:名無しさん@1周年
19/09/12 13:09:30.39 4hkvXG0/0.net
>>463
4世紀になったら北部九州の副葬品文化と
同時に鉄器もなだれ込んできたけど

504:名無しさん@1周年
19/09/12 13:09:48.40 1yC9KkT10.net
>>466
っつーか、
九州一帯が
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
後漢からの金印も所有する倭奴国だった
から、こんな鏡が出るのは当たり前であって
240年に「親魏倭王」になってから、40年かそこらで消滅した邪馬台国から、こんな鏡が出たらおかしい
・・と考えるのが普通だよね

505:名無しさん@1周年
19/09/12 13:10:52.47 o5oNev+c0.net
>>475
纏向遺跡群のホケノ山古墳やら桜井茶臼山古墳、黒塚古墳とか初期の古墳からゴロゴロ銅鏡出てるのはわざと無視してるん?
息をはくように嘘をついちゃダメだろ

506:名無しさん@1周年
19/09/12 13:12:47.14 583KgZaK0.net
畿内説の学者は5ch畿内説を否定しています。
[箸墓古墳]
白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい。」
と述べるのに対し、石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、また、箸墓を寿陵と考える寺沢薫
は壹与の墓説やミマキイリヒコ(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。

507:名無しさん@1周年
19/09/12 13:15:12.46 NCGq0cXX0.net
三国志関連は鬼門、演技みたいな完全フィクションと正史扱いのノンフィクション風フィクションの逸話が入り乱れてるし
愛読者が多い。曹丕皇帝つっても統一国家じゃねえし・・というか魏はその前に滅ぶし

508:名無しさん@1周年
19/09/12 13:15:40.66 1yC9KkT10.net
>>466
っつーか、
九州一帯が
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
後漢からの金印も所有する倭奴国だった
から、こんな鏡が出るのは当たり前であって
240年に「親魏倭王」になってから、40年かそこらで消滅した邪馬台国から、こんな鏡が出たらおかしい
・・と考えるのが普通だよね
240年に卑弥呼が「親魏倭王」になって、たった7年間で卑弥呼が死んじゃって、あとはグズグズで瓦解している邪馬台国が
こんな鏡を持ってるわけがない(笑)

509:名無しさん@1周年
19/09/12 13:17:55.62 Y+RA5Pp80.net
>>483
それいったら史記でも項羽の個人戦闘力とか盛りすぎだしな
あいつドラゴンボールの初期悟空くらいならタイマンが成立しそうな強さだぞ

510:名無しさん@1周年
19/09/12 13:19:17.61 583KgZaK0.net
>>481
それ纏向ちゃうやろw
また多くの遺跡は同じ場所に弥生時代のものと
古墳時代のものが見つかることが多いので、
纒向遺跡で3世紀の遺物が出土したからといって、
箸墓古墳自体が3世紀のものとは断定できない
ことに注意する必要がある。
石塚古墳の周濠からは吉備系の祭祀遺物である
弧文円板(こもんえんばん)が出土している。
ピークの過ぎた4世紀末には埴輪が出土する。
「しかし3世紀前半の遺構は多くなく、遺跡の最盛期は
3世紀終わり頃から4世紀初めにかけてである。
2011年に大型建物跡の約5メートル東側から別の
大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が
3世紀後半以降の可能性がある。」

511:名無しさん@1周年
19/09/12 13:19:21.78 1yC9KkT10.net
>>466
っつーか、
九州一帯が
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
後漢からの金印も所有する倭奴国だった
から、こんな鏡が出るのは当たり前であって
240年に「親魏倭王」になってから、40年かそこらで消滅した邪馬台国から、こんな鏡が出たらおかしい
・・と考えるのが普通だよね
240年に「親魏倭王」になって、
たった7年間で卑弥呼が死んじゃって、
あとはグズグズで瓦解している邪馬台国が
こんな鏡を持ってるわけがない(笑)

512:名無しさん@1周年
19/09/12 13:22:23.77 xUpSrfgU0.net
>>1
秦氏(ペルシャ人)が魏を通過する際にもたらした物じゃないかね。

513:名無しさん@1周年
19/09/12 13:23:49.19 ++nwmM7C0.net
>>479
3世紀に北部九州は前方後円墳体制に飲み込まれる
そもそも前方後円墳は、全国各地の葬制をてんこ盛りにしたものであって、
その一つの要素として、副葬文化を北部九州から吸収しただけのこと
鉄器は3世紀中頃から畿内優勢

514:名無しさん@1周年
19/09/12 13:24:25.34 NCGq0cXX0.net
>>485
三国志正史の魏の名将たちは項羽レベルばっかよ
泣いて馬謖を切るというが、相手張郃だしな、100回戦って100負ける相手

515:名無しさん@1周年
19/09/12 13:24:29.24 awkqV4


516:Yg0.net



517:名無しさん@1周年
19/09/12 13:28:41.69 1yC9KkT10.net
九州一帯が
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
後漢からの金印も所有する倭奴国だった
から、こんな鏡が出るのは当たり前であって
240年に「親魏倭王」になってから、40年かそこらで消滅した邪馬台国から、こんな鏡が出たらおかしい
・・と考えるのが普通だよね
240年に「親魏倭王」になって、
たった7年間で卑弥呼が死んじゃって、
あとはグズグズで瓦解している邪馬台国が
こんな鏡を持ってるわけがない(笑)
つまり、こんな鏡が出ちゃったことにより、邪馬台国が九州にあった可能性は、ますます低くなっちゃったんだ

518:名無しさん@1周年
19/09/12 13:30:14.25 ++nwmM7C0.net
>>486
ホケノは纒向遺跡の中
黒塚は数百メートル離れてるだけ
桜井茶臼山は3キロほどの距離

519:名無しさん@1周年
19/09/12 13:31:53.77 ewgPxxnO0.net
日田は邪馬台国でなかったとしても九州を支配するのに最高の場所だよ
筑後川を使えば海との行き来は簡単だし海産物や交易品の搬入も簡単
筑後川流域は行ったことあれば解るけど稲作には最高の場所
しかも佐賀平野も近く穀物の安定供給も可能
地図で見たら分るけど九州全域にも移動しやすく
山に囲まれているので攻められ難いつまり守りも完璧
九州を卑弥呼が平定して本拠地を置くなら最適な場所でもある
今はダムになってるけど川のまんまなら良かったと思う
あと個人的に簗場を川の中に作ってアユを食べてた頃は好きで良く食べに行ったけど
川の中に食堂が無くなって寂しくなったので行かなくなった
元にもどして欲しい

520:名無しさん@1周年
19/09/12 13:31:59.71 6Ef4/5dr0.net
古代史最大のエポックは国譲りだろう
国の主が変わったんだよ。とすると葦原中国とは畿内のことで
そこにはエミシもいた。まつろわぬ民は辺縁に散りズーズー弁が残った
堂々と邪馬台国の後裔と名乗れないのか、滅んだのかのどちらかだろう

521:名無しさん@1周年
19/09/12 13:32:41.84 o5oNev+c0.net
>>493
唐古・鍵遺跡も至近距離だし、桜井のあたりで一体何があったのかすごく気になる

522:名無しさん@1周年
19/09/12 13:33:06.87 1yC9KkT10.net
九州一帯が
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し、
後漢からの金印も所有する倭奴国だった
から、こんな鏡が出るのは当たり前であって
240年に「親魏倭王」になってから、40年かそこらで消滅した邪馬台国から、こんな鏡が出たらおかしい
・・と考えるのが普通
240年に「親魏倭王」になって、
たった7年間で卑弥呼が死んじゃって、
あとはグズグズで瓦解している邪馬台国が
こんな鏡を持ってるわけがない(笑)
つまり、こんな鏡が出ちゃったことにより、邪馬台国が九州にあった可能性は、ますます低くなっちゃった
九州説、やっちまったね

523:名無しさん@1周年
19/09/12 13:34:01.07 p/EgNl1q0.net
>>2
トンスル飲みすぎたか?

524:名無しさん@1周年
19/09/12 13:36:38.77 DvZb80PF0.net
>>339
中国の盗品
盗人が倉庫に適当に管理
錆だらけになった
盗人は価値を知ってるから高値で日本人に売った

525:名無しさん@1周年
19/09/12 13:37:38.87 I5gosQdG0.net
邪馬台国が大和にあったとしたら、その頃には飛鳥時代に続く中央政体が日本に存在したって事になる
そりゃ御用学者は必死に大和説を推すわな
神武天皇の橿原宮も、何らかの施設が2700年前に今の橿原神宮の場所に有ったらしい事までは肯定的じゃ無いけど
春秋戦国時代の中国で周の全盛期時代に、日本に王制が有ったなんて認めたくない事実だからな
実際、倭人が周の成王に薬草を献上した記録もある。この倭人は中国の南方民族だとされて日本人とは無関係とされているけど
さすがに三千年前に日本人が中国にたどり着き、内陸部まで旅をするなんて想像力とは無縁らしい

526:名無しさん@1周年
19/09/12 13:38:38.36 DvZb80PF0.net
>>350
だからこの>>1の記事の続きは、本当の発掘場所と言われているところを調査したところ曹操の鏡とは全くレベルがそぐわない遺跡だったのでここで発掘されたものではないだろうという結論

527:名無しさん@1周年
19/09/12 13:44:32.95 VamXK84t0.net
>>499
だったらもっと高く売れる方法はあるだろ
京都大学の教授風情が自費で買える程度のはした金でよかったの?
そして盗人と日田の渡辺氏は仲


528:間だったと言い張るの?



529:名無しさん@1周年
19/09/12 13:46:18.27 /GLoIZqw0.net
末裔がいたかもしれんな。末裔が大事に持ってて死後一緒に埋められた可能性もあるな。なんだとよw

530:名無しさん@1周年
19/09/12 13:47:07.63 VamXK84t0.net
>>501
没落貴族の墓
という事で済むと思うんだがなぁ

531:名無しさん@1周年
19/09/12 13:47:18.15 1yC9KkT10.net
>>500
初代天皇の神武は
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し
九州一帯を統治する
後漢からの金印も所有する「倭奴国」
日本の記紀では「海神国」

三十二代目の国王である「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の
第4皇子
九州から奈良に東征しないと自分の領土が持てなかった
のさ

532:名無しさん@1周年
19/09/12 13:47:18.70 4+bu/6Ag0.net
>>462
長どうしの婚姻関係で共存するみたいなんが、日本列島での風習やったんちゃうかな。
邪馬台国の時代でも奴国はリーダー的存在だった可能性が高いとは思うけどな。
ただ、さすがに他の諸国がそれに不満を持ってたんで、
邪馬台国に傀儡王立てて建前上倭国のリーダーにしてたんじゃないだろうかと
現時点では推測してる。

533:名無しさん@1周年
19/09/12 13:47:43.70 6LFm3cl+0.net
本当に近畿説を信じる古代学者なんていないよ
大人の事情で事実を曲げようとしているだけ

534:名無しさん@1周年
19/09/12 13:49:24.46 rY997DzN0.net
近畿説だったが今までの自分が恥ずかしい

535:名無しさん@1周年
19/09/12 13:51:33.32 ewgPxxnO0.net
まほろちゃんの事も忘れないで!
URLリンク(www.nicovideo.jp)

536:名無しさん@1周年
19/09/12 13:51:35.21 DvZb80PF0.net
>>504
一緒に埋められていた物が全く価値の低い物
このレベルの鏡持ってるなら他にも何か一緒に埋めるだろ
それとも本当にそれ一枚しかないほど落ちぶれてたら鏡を売るか誰かに寄贈するだろうね

537:名無しさん@1周年
19/09/12 13:51:36.87 k7nLj0MX0.net
模倣したから

538:名無しさん@1周年
19/09/12 13:51:36.94 1yC9KkT10.net
>>500
初代天皇の神武は
後漢から金印を授かって
57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨し
九州一帯を統治する
中国の史書では「倭奴国」
日本の記紀では「海神国」

三十二代目の国王である「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の
【第4皇子】
九州から奈良の邪馬台国に東征しないと、自分の領土が持てなかった
のさ

539:名無しさん@1周年
19/09/12 13:52:13.05 hJ/2rr3e0.net
キチガイ犯罪者チョソニンはいつの時代でもコソ泥してるニダヨ。

540:名無しさん@1周年
19/09/12 13:52:25.56 ny1bisLp0.net
要するに天皇家以前に和国の支配者がいたのにそれを無理矢理天皇家の先祖とする陰謀から始まったわけ

541:名無しさん@1周年
19/09/12 13:52:40.50 NT5SqQgK0.net
関さん理論が立証されたのか?神武と崇神は別人だった!

542:名無しさん@1周年
19/09/12 13:53:18.49 EpdEXAwL0.net
魏志倭人伝のころ、大和の母体は九州だった。
その後、東に移って畿内へ

543:名無しさん@1周年
19/09/12 13:53:53.76 DvZb80PF0.net
>>502
完全に錆びさせて見た目ゴミになったから安くなったんだろう
盗人ってのは日本に来る前の中国人

544:名無しさん@1周年
19/09/12 13:55:27.90 1yC9KkT10.net
>>514
いんや
初代天皇神武の祖は
素戔烏尊の長男で
天照大神尊が養子にしている
から
奈良の天照大神尊は天皇家の祖先だよ

545:名無しさん@1周年
19/09/12 13:57:01.31 1yC9KkT10.net
日本の記紀では
九州は、綿津見大神(神武の曽祖父)が造った「海神国」(倭奴国)
出雲は、素戔烏尊が造った「葦原中国」
奈良は、天照大神尊が造った「大和国」(邪馬台)
初代天皇神武の祖は
素戔烏尊の長男で
天照大神尊が養子にしている
から
奈良の天照大神尊は天皇家の祖先

546:名無しさん@1周年
19/09/12 13:58:06.28 1p43tPb00.net
最近は岡山が有力なんだよな?

547:名無しさん@1周年
19/09/12 13:58:10.24 DvZb80PF0.net
>>516
九州と畿内って随分離れてるよね
それに昔の人が慣れた栄えてる土地を放棄していきなり見ず知らずの地�


548:綠拒ーがいるであろう地域に丸ごと移るとか考えにくい 普通に元々畿内にあった新興勢力の田舎の人たちが昔から海外と交流があった先進地域九州の威光を借りたくて、 神武東征って物語を作っただけでは



549:名無しさん@1周年
19/09/12 13:59:02.86 LE3+Y9y30.net
>>369
九州の地理を確認したら日田から高千穂なら阿蘇山経由になるよね。
熊本から来た、日田から来たいずれも矛盾しない。
まあ現在の高千穂は昔はそう呼ばれてなかったそうだが。

550:名無しさん@1周年
19/09/12 13:59:25.23 1yC9KkT10.net
>>521
神武にとっては
出雲も、奈良も、遠い親戚 >>519

551:名無しさん@1周年
19/09/12 13:59:40.13 yF7ZM3vX0.net
何で魏の太祖武帝である曹操の墓に、他国の異民族にあげるプレゼントレベルの物を一緒に入れるるんだよwww

552:名無しさん@1周年
19/09/12 14:01:40.23 1yC9KkT10.net
>>521
産まれも育ちも九州の
綿津見大神(神武の曽祖父)が造った「海神国」(倭奴国)

神武にとっては
出雲も、奈良も、遠い親戚 >>519

553:名無しさん@1周年
19/09/12 14:02:08.89 583KgZaK0.net
>>493
お前の想像基準で決めるなw

554:名無しさん@1周年
19/09/12 14:02:10.86 /GLoIZqw0.net
曹操の鏡と一緒に葬られてたのは卑弥呼一族の末裔だろう。これは面白くなってきた。日田熱いわ!

555:名無しさん@1周年
19/09/12 14:06:46.43 1yC9KkT10.net
>>521
産まれも育ちも九州の
綿津見大神(神武の曽祖父)が造った「海神国」(倭奴国)

神武にとっては
出雲は、神武の爺ちゃんの山幸彦を、出雲から追い出した遠い親戚
奈良は、神武の祖の素戔烏尊を、奈良から追い出した遠い親戚
>>519

556:名無しさん@1周年
19/09/12 14:08:03.44 OVgezUPN0.net
曹操の死 220年
卑弥呼が魏に朝貢 239年
19年経ったデザインが古いあまりものが銅鏡百枚にまぎれてて
模様や漢字の意味がわからない倭人は
直径や厚さや研磨具合をみてランク決めてたと思うよ
そして偶然大分に曹操の墓やつと同じものが配布された
>直径21・3センチ、厚み2・5ミリ
これが大分のランクってこと

557:名無しさん@1周年
19/09/12 14:08:15.04 DvZb80PF0.net
>>528
そういう小説はいいですから
聖書鵜呑みにしてる原理主義者か

558:名無しさん@1周年
19/09/12 14:08:40.03 yF7ZM3vX0.net
>>527
人身供養は無いだろ、始皇帝以降であるこの時代は
使者に連れて行かれた数人の倭人の奴隷の末裔は気になるが

559:名無しさん@1周年
19/09/12 14:10:46.94 583KgZaK0.net
>>521
>昔から海外と交流があった先進地域九州の威光を借りたくて、神武東征って物語を作った
大和の歴史がすべて口伝だったのに対し、地方豪族たちの歴史は中国の史書に残されていた。
だから天武は歴史を文書で残すべく日本書紀の編纂を命じた。
稗田阿礼に吹き込んだ内容は、歴史コンプレックスを持っていた天武の口伝だろうな。

560:名無しさん@1周年
19/09/12 14:10:50.10 ny1bisLp0.net
>>518
作り話の中に生きてろw

561:名無しさん@1周年
19/09/12 14:12:29.44 +mN26/o3O.net
>>527
まあでも古墳や遺跡がないんだな。出土品も鏡一枚では心もとない。

562:名無しさん@1周年
19/09/12 14:15:19.01 OVgezUPN0.net
糸島市平原遺跡の直径40cmが最大
>直径21・3センチはまあまあ大きいから
倭国の重要地域としてみられてたんじゃね大分
ただトップではないので大分県日田市は邪馬台国ではない

563:名無しさん@1周年
19/09/12 14:15:25.97 1yC9KkT10.net
>>521
産まれも育ちも九州の
綿津見大神(神武の曽祖父)が造った「海神国」(倭奴国)

神武にとっては
出雲は、神武の爺ちゃんの山幸彦を、出雲から追い出した遠い親戚
奈良は、神武の祖の素戔烏尊を、奈良から追い出した遠い親戚
そして
神武は【第4皇子】で、そのまま「海神国(倭奴国)」にいたら、国王にはなれない

564:名無しさん@1周年
19/09/12 14:15:27.00 dJfDdf2X0.net
>>468
卑弥呼の時代から100年くらいたった神功皇后の時代、タニワ(丹後)の海人が
水主100人を引き連れて神功皇后に付き従ったという伝承がある。
ツヌガ(敦賀)にいた仲哀天皇を九州へ送っていった集団もいる。

565:名無しさん@1周年
19/09/12 14:15:48.86 ZWf5TrjK0.net
畿内説のこのコピペ厨
九州説の近畿パー連呼して罵倒する�


566:竄ツ 安曇どうたらの自演野郎 この3人には構わないでNGした方がいい



567:名無しさん@1周年
19/09/12 14:16:35.08 qHIl0qWt0.net
>>79
金印は島から出たでしょ?
九州本土から出てれば確定だったかもだけど、
通過点か難破か盗品のどれかだったんじゃない?

568:名無しさん@1周年
19/09/12 14:16:45.35 DvZb80PF0.net
その鏡一枚がすごいんだけど、掘り出したと言われる場所から何も出てこず全く鏡にそぐわない場所だから本当の出土はここではないだろうと学者には推定されている
ここまで出土が明確でなければ学術的価値も疑われる
おそらくモノは本物だろうけど中国からの盗品が流れ着いた可能性すらある

569:名無しさん@1周年
19/09/12 14:17:13.44 EpdEXAwL0.net
>>521
それも面白いね
ただ、九州→畿内は100年かければ遠いとは思わない

570:名無しさん@1周年
19/09/12 14:18:45.53 4+bu/6Ag0.net
>>494
ダムって言葉で気が付いたけど、進撃の巨人の作者の故郷か。
ダムから60m級の巨人の頭見えてんのやろ?

571:名無しさん@1周年
19/09/12 14:18:48.50 DvZb80PF0.net
>>539
金印の本当の出土場所は不明
誰が掘り出したも明確じゃない

572:名無しさん@1周年
19/09/12 14:19:14.70 UXFlfJ0o0.net
これが末裔だとして、まだいるよね。まだ他にあるよね。熱いわw
はい、これ来た!

573:名無しさん@1周年
19/09/12 14:20:08.14 1yC9KkT10.net
>>530 >>533
1145年まで正史が無い朝鮮人らしい書き込みですね

574:名無しさん@1周年
19/09/12 14:21:28.65 DvZb80PF0.net
>>541
九州が火山がひどくて放棄した、とか具体的な天変地異が無い限り古代の人が遷都をするとは思いにくい
普通に古代都市は川や海の近くで自然発生的に栄えた場所なんで移動させたら不便でたまらない

575:名無しさん@1周年
19/09/12 14:22:09.31 4+bu/6Ag0.net
>>495
出雲以外の地域の事には口出しせぇへん約束しただけ違ったっけ?

576:名無しさん@1周年
19/09/12 14:22:41.01 o5oNev+c0.net
>>521
実際の神武東征神話も少人数で出発して吉備に何年も滞在した話だから、実際には地元豪族との婚姻などを伴った連合の話ではないかな。確かに高地性集落や戦乱の痕跡はあるけど、大軍勢で攻め上がって根絶やしにしたとかそういう話ではない

577:名無しさん@1周年
19/09/12 14:24:23.77 2hNPP/wL0.net
新規でつくるのうまくいかないし面倒だから手近なの粘土型とって
しばらくパチもん作り倒していて
八王の乱で荒れて逃げる時に持ち運びできる手頃な財産として
あちこち散らばったけど鏡有り難がるのって日本くらいで
管理が面倒なわりに二十年くらいで長持ちしないし大人数でも使えない無くても別に困らんって
金属材料や壺にいかけられたりで他では人気なかった
九州では重いしふべんで仕方ないけどその分大陸に近かったので
上流階級でぶら下げる持ち歩くってファッションアイテムとして一定の人気があった
持ってれば大陸異国と交渉できる交流があったってって割り符的な役割もあったけどね


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