【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に?at NEWSPLUS
【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に? - 暇つぶし2ch1:樽悶 ★
19/09/11 22:54:59.87 Gcf6FvOK9.net
曹操高陵と大分県日田市
URLリンク(www.asahicom.jp)
 “華麗さでは随一”と多くの考古学者が太鼓判をおす古(いにしえ)の鏡がある。「金銀錯嵌珠龍文(さくがんしゅりゅうもん)鉄鏡」。大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、装飾の巧みさから1964年に重要文化財に指定された。由来を含め多くの謎が残るこの鏡が、三国志の英雄・曹操の墓から出土した鏡とほぼ同じ型式である可能性が高まっている。「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に―。研究者らは首をかしげる。
 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が学界に紹介されたのは63年。青銅器研究に大きな足跡を残した考古学者・梅原末治(1893~1983)が美術研究誌「国華」で取り上げた。
 国華によると、直径21・3センチ、厚み2・5ミリ。表面には金で龍文が、銀で爪などが象嵌され、所々に赤や緑の貴石をはめ込む。中央に子孫の繁栄を祈る「長宜子孫」の4字(子は欠落)が金象嵌で刻まれている。
 古美術商から購入し、表面を覆うさびを削ったところ、これらの装飾が確認されたと報告。「中国本土でも(略)稀(まれ)なこの鏡」と評した。
 日田での出土品だと古美術商から聞いた梅原は、出土地とおぼしき場所を調査。出土時に立ち会った人の話も聞き、33年の鉄道工事の際に出土したものと推定した。
 梅原は出土地の地名から、この遺跡を「ダンワラ古墳」と名づけたものの、埋葬施設の詳細は不明。さらに、一緒に出土したとされる馬具は6世紀以降のごく一般的なもので、超一級の鉄鏡の持ち主にはそぐわない。「本当にダンワラ古墳と呼ばれる場所から出土した鏡か」と疑問を呈する研究者も少なくなかった。
 それから半世紀余。新たな知見が明らかになったのは先月初めだ。東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連して開かれた学術交流団座談会でのことだった。
 「X線で調べたところ、象嵌の…
(残り:1178文字/全文:1934文字)
朝日新聞デジタル 2019年9月8日08時00分
URLリンク(www.asahi.com)

2:名無しさん@1周年
19/09/11 22:55:44.55 UwKEfn5s0.net
>>1
どうせ盗んだんだろ

3:名無しさん@1周年
19/09/11 22:56:13.61 KctTf1bP0.net
チョッパリの倭寇がウリから盗んだニダ

4:名無しさん@1周年
19/09/11 22:56:45.81 T0oe4Z6L0.net
近畿に輸送中だった

5:名無しさん@1周年
19/09/11 22:56:49.63 xpmaHHOW0.net
埋めちゃった?博士が

6:名無しさん@1周年
19/09/11 22:57:07.43 1GLgiy6s0.net
卑弥呼の実家だから。仕事は畿内

7:名無しさん@1周年
19/09/11 22:59:07.25 827AC+8K0.net
まーた、ゴッドハンドか

8:名無しさん@1周年
19/09/11 22:59:24.99 pPbcmKt/0.net
曹操は一応は王の身分だぞ

9:名無しさん@1周年
19/09/11 22:59:47.49 V++PBHab0.net
>>2-3
ゲスの勘繰りとはよく言ったものだ

10:名無しさん@1周年
19/09/11 22:59:53.22 On1LM4720.net
邪魔大王国

11:名無しさん@1周年
19/09/11 23:01:11.40 DZKCAO4V0.net
中国人観光客に紛れ込んだ工作員の仕業、九州は中国の土地運動の始まり

12:名無しさん@1周年
19/09/11 23:01:49.26 hfa8keuN0.net
はい、近畿の負け

13:名無しさん@1周年
19/09/11 23:03:36.78 7q9U07Vs0.net
なぜ九州に?って
九州ですよ?
盗んできたと考えるのが普通

14:名無しさん@1周年
19/09/11 23:03:37.46 P0wfU+Ud0.net
>>8
曹操じゃなく二代目が皇帝を自称したんじゃなかった?

15:名無しさん@1周年
19/09/11 23:03:41.66 0MBQhZJO0.net
人がつくれるものなら、べつにどこにあったっておかしくはないだろ

16:名無しさん@1周年
19/09/11 23:03:59.31 LZA09sMB0.net
神武天皇は九州から来ましたって建国神話でも謳われているのに
近畿説支持する奴ってなんなの

17:名無しさん@1周年
19/09/11 23:04:19.62 XUdn59YZ0.net
そんな大事なもの何で大事にしてないんだろうね

18:名無しさん@1周年
19/09/11 23:04:27.08 ApVcIIS20.net
つまり曹操は日本列島の人間の子孫

19:名無しさん@1周年
19/09/11 23:04:29.19 P0wfU+Ud0.net
>>1
魏と交流があったからじゃないの?

20:名無しさん@1周年
19/09/11 23:05:08.51 Z3Z5umkK0.net
>>1



21:中国大陸を九州が支配していた証拠



22:名無しさん@1周年
19/09/11 23:06:09.86 /22q6dds0.net
( `ハ´)中華の一部だったアル

23:名無しさん@1周年
19/09/11 23:07:23.43 KK4BdaZ00.net
>>15
昔は素材的にも技術的にもそんなになんでも作れない
これも世界に数点レベルの貴重品なんじゃないの

24:名無しさん@1周年
19/09/11 23:07:39.73 cmMvgMHd0.net
朝日だと古墳の話もうさんく感じる。
もう末期だw

25:名無しさん@1周年
19/09/11 23:08:25.39 d24J8bwc0.net
>>14
曹操は王までで子の曹丕が皇帝になったよ。

26:名無しさん@1周年
19/09/11 23:08:50.63 J1teWQnZ0.net
966 名無しさん@1周年[] 2019/09/11(水) 18:07:23.54 ID:0NUJ3J9F0
>>301
何ヘラっと嘘ついてんだよ
古物商はなんも知らんで売った
買った方の先生が昔大分の学校に飾られていた盗難された遺物を覚えてて買い戻したんだよ
発掘された時の資料もあってほぼ間違いないじゃろって大分に戻ってきたんよ

27:名無しさん@1周年
19/09/11 23:09:32.03 d24J8bwc0.net
曹丕も自称じゃなくて献帝から正式に禅譲されて皇帝になった

28:名無しさん@1周年
19/09/11 23:09:33.83 c2kMHul80.net
>>1
> 日田での出土品だと古美術商から聞いた梅原は、
この時点で、信用できん話や

29:名無しさん@1周年
19/09/11 23:10:04.48 l44ohFdh0.net
>>23
もう末期に付き合うのは3度目なんだわw

30:名無しさん@1周年
19/09/11 23:10:16.75 7jUYaSlm0.net
伊都があって山門があるのになにいってんだと
元々九州の邪馬台、山門から奈良の大和に落ち着いた
二元化しようとしてるから戦後の歴史学者なんて高卒ボンクラレベルにしか扱われてないわけで

31:名無しさん@1周年
19/09/11 23:10:29.13 aUQlvEJW0.net
近畿でも九州でもどっちでもエエ
出土品に興味あるわ 親魏倭王の金印でてこないかなあ

32:名無しさん@1周年
19/09/11 23:10:39.71 LX+iHNH60.net
ヒント

倭寇

33:名無しさん@1周年
19/09/11 23:12:56.40 SN5N6cWs0.net
魏志 の 倭人伝 に何か辛みが・・・

34:名無しさん@1周年
19/09/11 23:13:51.71 0MBQhZJO0.net
>>18
たぶんiPhone所有してつヤツはAppleの子孫でAndroid所有してるヤツはGoogleの子孫

35:名無しさん@1周年
19/09/11 23:14:06.23 otwRIMox0.net
卑弥呼がいた時代は神功皇后が治めていた時代なんだろ(日本書紀)
なぜ天皇を差し置いて女王を名乗る?

36:名無しさん@1周年
19/09/11 23:14:28.02 lJrKwe+O0.net
曹操となると卑弥呼の頃より古い鏡だな。
九州でそんなものが見つかるのは面白いけど、これは九州説を否定する発見だと言われるでしょう

37:名無しさん@1周年
19/09/11 23:15:26.12 +9EuGu/O0.net
宇佐神宮に卑弥呼の証拠があるのに

38:名無しさん@1周年
19/09/11 23:18:28.40 ahTC7s+V0.net
>>1
神の手かなあ…。懲りねーなw

39:名無しさん@1周年
19/09/11 23:18:31.99 93DMPcYc0.net
>>29
邪馬台は単なる当て字だからな
九州もやま○の国の一部と考えれば畿内に移動したとか無理筋の仮説を提唱しなくても古墳時代の始まりから大和王権の時代にまで歴史は繋がる

40:名無しさん@1周年
19/09/11 23:18:32.99 0qtUXC890.net
邪馬台国(卑弥呼)は九州でしょう
畿内説は関西の学者の希望論、証拠が少なすぎる
金印が発見された志賀島、平原遺跡の伊都国
魏に付いた邪馬台国の女王である卑弥呼に贈った鏡である可能性が大きいのでは

41:名無しさん@1周年
19/09/11 23:19:04.49 FURddyDz0.net
運送員
死亡につき、埋葬しました
どこに持ってくのか?不明だったし
身元もわかりませんでした

42:名無しさん@1周年
19/09/11 23:19:25.47 OK96Pdx40.net
>>25
>日田での出土品だと古美術商から聞いた梅原は、出土地とおぼしき場所を調査。
記事にはこう書かれているがどっちが正しい?

43:名無しさん@1周年
19/09/11 23:19:42.00 0trbtonC0.net
九州に邪馬台国があったからに他ならない

44:名無しさん@1周年
19/09/11 23:21:18.77 aUQlvEJW0.net
外からの情報で固まった説が揺さぶられるのは おもろいな

45:名無しさん@1周年
19/09/11 23:21:27.60 1ncDs65V0.net
>>42
で結論が出ましたな

46:名無しさん@1周年
19/09/11 23:22:00.32 ep5g3zU/0.net
魏が滅べば壊すべき物でしかないのをありがたがるのは倭人だけだった

47:名無しさん@1周年
19/09/11 23:22:25.77 WnXLswO50.net
曹操に日本から送った物なんだよ。
日本製だから日本に同じ物が有ってもおかしくはない。

48:名無しさん@1周年
19/09/11 23:23:09.53 ltwYQvCz0.net
というか、金印が見つかってる時点で既にびっくりなわけだしなあ

49:名無しさん@1周年
19/09/11 23:25:12.12 UygdVZgb0.net
邪馬台国の九州説が有利に
最高級の鏡や金印なんて簡単にもらえない
近畿連中はあおざめているだろうな

50:名無しさん@1周年
19/09/11 23:26:21.03 J1teWQnZ0.net
>>27
>>41
盗掘って言っても墓荒らしじゃなくて、
いったん発掘されて展示されていた博物館的な場所から盗まれているらしいから(レスの受け売りなのでソース探さないとだが)、
それがそうなら古物商から取り返したぞってことでは?

51:名無しさん@1周年
19/09/11 23:26:46.80 ltwYQvCz0.net
そういえば、近畿説だと金印についてはどう説明してるんだっけ?

52:名無しさん@1周年
19/09/11 23:26:48.33 I3GCCgny0.net
九州説大勝利! 近畿説ばーか、ばーかw

53:名無しさん@1周年
19/09/11 23:26:48.65 lJrKwe+O0.net
>>39
伊都国=委都国=倭都国
だが、伊都国だけは有り得ないんだよ。
すでに邪馬台国に征服された様子が倭人伝に書かれているから

54:名無しさん@1周年
19/09/11 23:28:34.58 aUQlvEJW0.net
学者のあたふた おもろい

55:名無しさん@1周年
19/09/11 23:28:41.67 FURddyDz0.net
金印とワンセットで送られ
途中、野盗、もしくは反対勢力に襲われ、
どっちも本来の贈答先の手には届かなかった可能性も出てきたな

56:名無しさん@1周年
19/09/11 23:29:46.24 zHZX8scN0.net
渡来人からかっぱらったんだろうな
クソジャップが大陸や韓半島の皇帝と渡り合えるわけない、エテ公の酋長だろw

57:名無しさん@1周年
19/09/11 23:30:20.96 0qtUXC890.net
>>46
当時の日本にあれだけの技術は無かった
世界に数点しか残っていない

58:名無しさん@1周年
19/09/11 23:31:03.93 2E4V8Lnf0.net
>>14
禅譲って知らない?
少なくとも自称はしていない

59:名無しさん@1周年
19/09/11 23:31:28.28 FURddyDz0.net
>>55
皇帝の贈答品だぞ

60:名無しさん@1周年
19/09/11 23:32:16.97 ltwYQvCz0.net
>>54
いや時代がずれてるだろ
九州の金印は漢の時代のものだから、セットで送るのは無理

61:名無しさん@1周年
19/09/11 23:32:49.99 udBNdYSe0.net
持つにふさわしいから持っていた、
のだろう
歴史ロマン

62:名無しさん@1周年
19/09/11 23:35:33.20 N0pb/kFB0.net
金印は大した事ない説
金印が出たからそこが卑弥呼みたいに言われるが
実は土産物レベルだった金印

63:名無しさん@1周年
19/09/11 23:35:56.43 fkyszE2Z0.net
高木彬光は邪馬台国は宇佐神宮のある大分説を取っていたけど、本当かもしれんな(´・ω・`)

64:名無しさん@1周年
19/09/11 23:37:57.10 IRQdsIn90.net
>>25
>買った方の先生が昔大分の学校に飾られていた盗難された遺物を覚えてて
疑問1
出土したときは錆びた鉄のかたまりだったのだが、普通そんなものを飾るか?
疑問2
京都大学の学者が昔、大分の小学校なんかを訪問したのか?
疑問3
大分の小学校で昔見たものを本当に覚えていたのか?
嘘くさいし作り話だろう

65:名無しさん@1周年
19/09/11 23:38:11.19 ltwYQvCz0.net
>>61
金印のインパクトは、中国の正史に書かれていたものが本当に存在することでな…
逆にいうと、史料で確認できないものなら豪華絢爛な出土品が出てきてもそこまで大きな話にはならない

66:名無しさん@1周年
19/09/11 23:38:32.33 93DMPcYc0.net
>>50
金印は正式な迎えの使者で有ることの証明になるもので玄関口である島にあってもなんらかおかしくない
後生大事に中央の宝物庫にしまってたと思う方がアホ

67:名無しさん@1周年
19/09/11 23:42:44.18 FURddyDz0.net
>>59
曹操の鏡が、いつ作られたかは不明
王権の象徴としての伝来品かもしれない

68:名無しさん@1周年
19/09/11 23:44:11.22 gg8OsF4E0.net
>>34
皇族の娘は「女王」(天皇、直系皇族だと内親王)

69:名無しさん@1周年
19/09/11 23:44:18.53 e2OYy4w20.net
日田市内の地名
天ヶ瀬、耶馬渓、夜明、、、、
地図みりゃわかるガチ

70:名無しさん@1周年
19/09/11 23:47:02.17 Y+F9fhju0.net
結局文献史料が魏志倭人伝以上のものが出てこない以上、あらゆる状況証拠も推論に過ぎず、邪馬台国論争も永遠に決着することはない

71:名無しさん@1周年
19/09/11 23:47:33.06 gg8OsF4E0.net
>>46
大分県ってのは由来としてオカシイという話。
近代になってから大分県出土を装ったという可能性もゼロじゃない。

72:名無しさん@1周年
19/09/11 23:50:08.46 uhvndNXA0.net
シュ儒国・裸国・黒歯国が小笠原~マリアナ~とか考えられない
奄美~沖縄~台湾~フィリピン方面と考える方が自然
やっぱ邪馬台国は九州だよ

73:名無しさん@1周年
19/09/11 23:53:14.94 eJ0BEA030.net
ハァ、もうダメ。
奈良の創作が台無しだよ!

74:名無しさん@1周年
19/09/11 23:54:50.35 3qpuiP8i0.net
卑弥呼は孝安天皇の兄の嫁とわかっている。
何が九州。

75:名無しさん@1周年
19/09/11 23:56:20.15 cfEID4aY0.net
曹操の墓から出土した方は錆を落とせないもんかね

76:名無しさん@1周年
19/09/11 23:58:49.06 KUU6KdI50.net
>>2
曹操の墓は早い時期に盗掘にあっているから、盗まれた可能生もあるかも
4-5世紀になって東漢氏が持ち込んだかも

77:名無しさん@1周年
19/09/12 00:04:04.00 PEoqv+ar0.net
>>73
欠史八代の天皇なのに確定出来るとかゴイスーw

78:名無しさん@1周年
19/09/12 00:04:47.68 P6K/ZfX60.net
どう見ても邪馬台国は九州でしょう
韓国は考古学じゃなくて願望をクリエイトするなんてよく言われてるけど
日本も韓国を笑えないぞ

79:名無しさん@1周年
19/09/12 00:05:23.37 tbIZCMm30.net
魏志に書かれてるのは邪馬臺(たい)国じゃなくて
邪馬壹(いち)国である

80:名無しさん@1周年
19/09/12 00:06:27.66 P9LqVttKO.net
>>62
金印も曹操の鏡も九州から出土してるんだよなあ

81:名無しさん@1周年
19/09/12 00:07:01.94 7sD7dc2k0.net
九州出身の奴が近畿で成功して邪馬台国になったんだろ
もうこれで終わりよ

82:名無しさん@1周年
19/09/12 00:08:11.76 LncXbAwl0.net
あまりに貴重品すぎて経緯が想像できないねw

83:名無しさん@1周年
19/09/12 00:08:18.78 Y+RA5Pp80.net
>>77
九州説の面倒な点は、邪馬台国の時期にもう機内にはけっこう大きな国ができてるっぽいことなんだよな
なんでそっちを無視して九州の地方政権王朝を相手にしてたのかがよくわからなくなる

84:名無しさん@1周年
19/09/12 00:13:03.28 3uM3U39a0.net
邪馬台国の難升米が明帝からいただいたのかも知れん。
邪馬台国は九州のどこかにある

85:名無しさん@1周年
19/09/12 00:13:33.35 //NvZa6L0.net
倭国って実は大国扱いされてた説あるよな
金印にしても皇帝に次ぐような高い地位じゃないと貰えないものだし倭国に対する悪口も少なくて周辺国ほどは見下されてない
徐福の伝説とか関係あんのかもしれんが

86:名無しさん@1周年
19/09/12 00:18:32.43 XqWGP+tY0.net
>>73
夫の弟が天皇なのに自分は他の国の女王であったと?
どういう状況なのか教えてほしい

87:名無しさん@1周年
19/09/12 00:18:43.31 sV9QvVjL0.net
邪馬台国は曹叡の頃なので、曹操だとちょっと古すぎるんだよね。
九州にあったのは倭(奴)国。その首都は伊(委)都国。
それを邪馬台国が滅ぼし魏との交易権を握ったのが倭人伝の頃。

88:名無しさん@1周年
19/09/12 00:20:12.60 3uM3U39a0.net
もしかしたら正治元年(240年)、帯方郡太守の弓遵が派遣した建中校尉の梯雋が卑弥呼に献上した鏡がそれかな。

89:名無しさん@1周年
19/09/12 00:21:57.45 Y+RA5Pp80.net
>>84
金印は中華内部の諸侯とか周辺大国の王はけっこうもらってる
金印をもらう国は強豪国と認識されてたのは間違いないけど、皇帝に次ぐというほどレアなものではない
半島の朝鮮王とか中央アジアの匈奴王や大月氏王なんかももらってる

90:名無しさん@1周年
19/09/12 00:22:14.68 ny1bisLp0.net
邪馬台国の現代読みを大和にこじつけしたのがバレバレ

91:名無しさん@1周年
19/09/12 00:23:03.52 E0l1Qoo40.net
>>63
 「X線で調べたところ、象嵌の…
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残り:1178文字/全文:1934文字
ここに書いてあるかも?

92:名無しさん@1周年
19/09/12 00:26:26.91 BIePsB9P0.net
URLリンク(www.netpia.jp)

う、美しい....

93:名無しさん@1周年
19/09/12 00:27:15.19 E0l1Qoo40.net
筑紫の磐井が大分を目指して山の中に逃げたよな
こいつが持ってたのでは

94:名無しさん@1周年
19/09/12 00:30:16.76 8gbp14P10.net
女王国は九州で決まりました

95:名無しさん@1周年
19/09/12 00:30:42.00 qtHMMAcr0.net
倭国の王とか遠い蛮国相手に魏が適当に言ってるだけかと思ったら魏王の墓に入れるような高貴な鏡を本当に贈ってたとか胸アツだわ
魏が倭国を呉や北平の裏にある味方にしておきたい大勢力として認知してたって意味にもなるよな
そもそも何回も海渡って使者行き来させてる時点で俺らが思ってるよりずっと進んでたんだろうな倭国
卑弥呼様かっけーあと壱与様かわいい

96:名無しさん@1周年
19/09/12 00:31:56.25 QiSKB0yP0.net
やまと=山+戸
戸とは、集落入り口の木戸のこと。きど(木戸)→かど(門)
戸で集落・クニを差すようになった。
やまと(山戸)の反対が、みなと(水+戸)=水辺、つまり港のクニ。

97:名無しさん@1周年
19/09/12 00:32:26.06 E0l1Qoo40.net
>一緒に出土したとされる馬具は6世紀以降のごく一般的なもので、超一級の鉄鏡の持ち主にはそぐわない。
磐井の乱も6世紀だ
すまんな大分県民。余計なことに気づいてしまって

98:名無しさん@1周年
19/09/12 00:33:08.66 XqWGP+tY0.net
大陸との往来は命がけの船しか移動手段がない時代
地の利がある九州が表玄関である事は容易に想像がつく
1つは伊都国、1つは狗奴国(肥後)、その中間に邪馬台国
勢力争い激しい邪馬台国末期に九州や出雲、尾張などの勢力が畿内に移動し
ヤマト政権樹立したと考えるのが自分的に1番納得感がある

99:名無しさん@1周年
19/09/12 00:33:40.80 3uM3U39a0.net
>>92
なるほど!
非常に興味深い

100:名無しさん@1周年
19/09/12 00:34:49.45 9G9Cuspj0.net
曹操と並び皇帝となってたのは劉備やろ?
劉備の末裔が日本に逃れてきてたんか?

101:名無しさん@1周年
19/09/12 00:34:50.82 //NvZa6L0.net
>>88
書き方あれだからあれだけど弱小国だと貰えないのは事実なわけで
でも倭国の場合はその中の一国でしかない邪馬台国や委奴国か奴国か知らんが貰えるほどの大国だった
古代史について書いたものを読んでるとちょくちょく倭国がクソ雑魚扱いなことがあって違和感ある

102:名無しさん@1周年
19/09/12 00:35:11.02 E0l1Qoo40.net
大分の土地勘ないけど、
磐井が戦った場所(どこか知らん)から大分の山の中に入ったら日田がある?

103:名無しさん@1周年
19/09/12 00:35:36.74 x2NSN+cc0.net
>>68
耶馬溪の名前は後からなんだが

104:名無しさん@1周年
19/09/12 00:35:54.45 poFzGX7w0.net
>>94
ただ、正史の記述量から考えるとそこまで重要視されてたわけでもないようで、
それが日本の古代に関する記録が少ない原因にもなってるんだよな
邪馬台国くらいの時期に白村江レベルで中華王朝に殴りこみかけていれば
「ないこれあいつヤバい。しっかり記録取らないと」となって、もっと古代の姿が明らかになっていただろうに

105:名無しさん@1周年
19/09/12 00:38:17.05 +mN26/o3O.net
地図を見ると日田って福岡・熊本・長崎・大分・佐賀・小倉・下関・久留米・日向・宇佐
などなど九州の名だたる都市のちょうど中心にあるんだな。
ここを抑えたら九州を支配できるって感じはするね。

106:名無しさん@1周年
19/09/12 00:39:11.05 4Xiy1LYa0.net
出土が稀なら大して流行らなかった鏡なんじゃね。

107:名無しさん@1周年
19/09/12 00:39:36.63 QiSKB0yP0.net
>>93
日田が邪馬台国起こりの地。そこから筑紫平野を支配し富を蓄え、
博多・奴国の港を手に入れ、漢への朝貢(奴国に朝貢させた)と
鉄輸入独占で列島の覇権国に。
女王国の時代は、倭国大乱に負け、覇権を奈良に譲った姿。
覇権禁止=男王(=剣を持つ王)禁止=女王「共立」だ。
最盛期は、邪馬台の政治軍事経済の中心は、大宰府だった筈。
卑弥呼が大宰府に居たか、古都日田に戻ってたかは、知らん。

108:名無しさん@1周年
19/09/12 00:40:07.91 xQLg1Vg80.net
卑弥呼 壱与 邪馬台国
いずれも日本の史蹟には一切言及がない。中国の魏志と後世のまとめにしか存在しない名前

109:名無しさん@1周年
19/09/12 00:40:52.69 3uM3U39a0.net
司馬炎の泰始の初め、幽州太守張華の求めに対しトヨは遣使し訳を重ねて入貢した。
その時、張華の邪馬台国への手土産が金銀錯嵌珠龍文鉄鏡だった思い出

110:名無しさん@1周年
19/09/12 00:40:59.65 1pshVwwX0.net
>>88
他の王の金印は四文字だけど、志賀島は五文字だし、書体がなんか違う。

111:名無しさん@1周年
19/09/12 00:41:27.57 F0KLHK1n0.net
卑弥呼の年代に筑紫で活躍してたのは神功皇后で孫が仁徳天皇
卑弥呼の墓は巨大だったそうだから、実在するなら見つかり易いでしょうに
巫女が子供産むのか解らないけど、引退したりするよね?

112:名無しさん@1周年
19/09/12 00:41:50.38 CXVnwk+F0.net
卑弥呼は韓国人ニダ

113:名無しさん@1周年
19/09/12 00:42:30.33 hFmNPuT20.net
>>84 遠方の国ほど金員をもらっている
逆に近所の挑戦は貰ってない
遠方の国が長江に来ることは権威を示すことになるので
丁重な扱いをしたそうだ

114:名無しさん@1周年
19/09/12 00:44:39.44 8u7sWdwc0.net
諸葛亮ほどの知恵者なら
倭国の存在は知ってただろう
漢中と倭国で魏を挟み撃ちに出来たのに
天下四分の計という発想は無かったのか

115:名無しさん@1周年
19/09/12 00:45:28.56 pYE01cvp0.net
九州は通り道なんだから見つかっても不思議じゃない。

116:名無しさん@1周年
19/09/12 00:45:34.57 E0l1Qoo40.net
地図見たら福岡と日田は隣接してるのか
>>102
元々は山国だったからヤマという部分はそう

117:名無しさん@1周年
19/09/12 00:45:56.33 ndbzdR1p0.net
もう間を取って群馬でいいじゃん

118:名無しさん@1周年
19/09/12 00:48:33.41 IlNVmKzr0.net
金印もゴッドハンドなんだろ
いまさら認められないだろうが

119:名無しさん@1周年
19/09/12 00:48:49.86 3uM3U39a0.net
>>113
倭に興味あったのは司馬懿に滅ぼされた燕王 公孫淵だと思う。
公孫淵は孫権と通じていたみたいだけれど

120:名無しさん@1周年
19/09/12 00:52:05.41 qtHMMAcr0.net
>>103
陳寿ってたぶん差別主義者だろ
皇帝様が超高貴な鏡贈った相手に墨彫った野蛮人扱いとか完全に冷静さ失ってるだろw
こいつのせいで日本の太古が過小評価されてるわ
あと張政って帰った後とか倭国に対してなんか言ってないのかね?普通なんか言うだろ?
絶対話端折ってんじゃん陳寿w

121:名無しさん@1周年
19/09/12 00:54:38.90 uA/DYTov0.net
>>12 39 50
「漢の委の奴の国王」
   わ な
↑3段細切れ読み  根本的にまちがい!!  イトまたはイドと読みます
金印は当然、政庁におかれた
皇帝の金印が地方の首長に下賜されるわけがない
印文のルールとは、二段国名が取られていたこと
現代中国人は漢委奴国王をどう読むか?
仏教大学の黄當時教授は、2014年の10月に開催された
「第8回金印シンポジウム志賀島」において、
「金印の韻文は『漢の委奴の国王』と2段に読むしかない」
『3段読みは』致命的ともいえる欠陥を抱えている。固執は不毛である」
と述べ、また委奴国という漢字を見せられて、「ヤマト」「ワノナ」
と読む中国人はいないと断定している。
↑畿内厨!!! 失笑

122:名無しさん@1周年
19/09/12 00:55:42.74 poFzGX7w0.net
>>113
蜀の使者が到着した5秒後にはチクりの使者が魏に向かう展開しか見えない
魏に朝貢してた邪馬台国を寝返らせるとなると相当の見返りを提示する必要があるが、そこまでして参戦させたとしても
半島で暴れるくらいしかできないと思うぞ

123:名無しさん@1周年
19/09/12 01:01:05.97 F0KLHK1n0.net
卑弥呼も邪馬台国も現時点では架空だしな、もっと見つかるといいね
小学校の頃、先生が金印とかが畑で出るとか嘘くさーって言ってたしさ

124:名無しさん@1周年
19/09/12 01:01:25.06 xQLg1Vg80.net
>>84
1文字国名な
文化的なものなんだろうが、正統な国として使われる基準

125:名無しさん@1周年
19/09/12 01:02:24.95 VFQroe720.net
>>120
何でそれで畿内が負けになるの?
九州説には、ときどきこういう突拍子もない考え方するやつが出てくる

126:名無しさん@1周年
19/09/12 01:02:30.73 3uM3U39a0.net
当時朝鮮半島の中部ぐらいにいた朝鮮人の祖先の一つである穢族が反乱ばかり起こして楽浪郡や帯方郡は苦労してた
魏や燕は邪馬台国を大事にしてたのはよくわかるな

127:名無しさん@1周年
19/09/12 01:05:05.58 pqStQhHf0.net
曹操も死後武帝を諡号されてるから皇帝とも言えるよね。

128:名無しさん@1周年
19/09/12 01:07:13.84 N1QdYqge0.net
>>100
倭国の一部に過ぎない委奴国か奴国が金印を貰うくらいだからな
朝鮮の首長は銅印なのに
後の琉球王は銀印

129:名無しさん@1周年
19/09/12 01:09:01.38 uA/DYTov0.net
>>124
魏志倭人伝によれば、女王国の南には狗奴国があり、女王と敵対していたという
つまり女王国の所在地は邪馬臺国連合の南端付近であると分かる
卑弥呼は魏から親魏倭王と認められたのだから、その敵対国である狗奴国は
魏との交流を持っていないと考えられる
ゆえに、邪馬臺国がどこであったかは出土品の分布を見れば一目瞭然
九州で出土した副葬品の分布地図
URLリンク(www.netpia.jp)
金銀細工や硬玉やガラス製の勾玉など、大陸産のものが
佐賀、福岡、熊本にかけて大量に出土していることが分かる
そしてそれは熊本県八代市あたりでぷっつりと途切れている
ここが邪馬臺国と狗奴国の勢力境界線である@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

130:名無しさん@1周年
19/09/12 01:10:55.37 3uM3U39a0.net
陳寿の三国志は真実をついて素晴らしい史書だな
魏志高句麗伝を読めばよくわかる。
其人性凶急喜寇鈔(人々の性格は凶悪、短気で、略奪を好む)
うーむ見事だ

131:名無しさん@1周年
19/09/12 01:16:28.49 3uM3U39a0.net
倭人伝はこう
不盜竊、少諍訟 (窃盗をせず、訴訟は少ない)
古代から綿々戸つづく日本人のは民族性を見事に表しているな

132:名無しさん@1周年
19/09/12 01:17:11.65 uA/DYTov0.net
>>129
2000年前から、共通している そこがすごい魏志倭人伝
地名の7割が一致している  そこがすごい魏志倭人伝

133:名無しさん@1周年
19/09/12 01:17:21.24 nWCpRGqy0.net
普通に考えれば、魏が卑弥呼に贈った「汝好物」の「銅鏡百枚」の候補だよな
いくら皇帝用の最高級品とは言ってもしょせん鏡、戦略物資でもなんでもないから
鏡好きの忠実な家来にくれてやる、ってのはむしろありそうな話

134:名無しさん@1周年
19/09/12 01:21:03.48 uA/DYTov0.net
<<<<1
封印された邪馬台国 沈黙する女王の鏡―いま大分・日田に蘇る卑弥呼の悲劇 (プレイブックス) 新書 ? 2000/11
関 裕二 (著)
千数百年の時空を越えて、一枚の鏡が目を覚ます。
しかも、これまでみたことも聞いたこともない金・銀・石英・瑪瑙で装飾された、
みごとな鉄鏡だ。それが大分県日田市出土の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡で、
卑弥呼の時代に日本にもたらされた後漢王家の至宝であった疑いが強い。
それにしても、なぜ「邪馬台国論争」はこの鏡を避けてきたのだろう。
だれも口を閉ざして語ろうとしないのは腑に落ちない。
そして国立博物館に封印されてしまったのはなぜか。
こうして、迷宮入り事件の最終章がはじまったのだ。
↑おれは、久留米の祇園山が卑弥呼の墓だと思ってるが、宇佐説もバカにできない

135:名無しさん@1周年
19/09/12 01:22:13.28 VFQroe720.net
>>128
論点ずらしは、漢委奴国王の金印の読み方どうたらは、無意味だってことでいいか?

136:名無しさん@1周年
19/09/12 01:23:14.79 3uM3U39a0.net
>>131
卑弥呼や難升米は漢字による表音文字だから魏志倭人伝に書かれている国名もそうかもしれないね。

137:名無しさん@1周年
19/09/12 01:26:36.50 uA/DYTov0.net
>>135
「《古事記の巻頭についている太安万侶の序文にあるように、古事記は稗田阿礼の誦す
とねりる先紀旧辞を安万侶が編集したことは周知の通りである。時ニ舎人アリ、姓ハ稗田、名ハ阿礼、
な年コレ二十八、人ト為リ聡明とあるが、当時の姓は地名からきているのが多いから稗田は阿礼
あまのかかぐやまの出身地名である。現在、奈良県の天香久山に近い稗田がそうだとされて、
その指標も建てられているが、これも豊前の稗田の地名が東に移されたもので、部族の移動を語る。
仲津郡になかとみじんぎおみは倭名抄中臣郷がある。中臣氏は、古代に神祇をつかさどった。
中臣は仲津臣で、仲津とナカツヒメ(仲媛)とは、関連があるかもしれない。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、
弥馬獲支(みまかくき)、奴佳?(なかてい)があり、推計7万余戸。
 奴佳鞮
ぬかて
なかとみ
中臣郷
中臣鎌足
中臣郷 奴佳?(なかてい)
中臣郷 奴佳?(なかてい)

138:名無しさん@1周年
19/09/12 01:27:28.19 uA/DYTov0.net
>>134
箸墓は積石塚
箸墓の構造が一部明らかになった。
40年以上前に宮内庁が後円部の頂上付近を調査していた。それが今年の九月に発表されたのだ。
それによると頂部には分厚く石が轢かれ、積石塚のようであったらしい。
箸墓が倭人伝に記された倭国の墓ではなく、卑弥呼の墓でもなく、とうぜん畿内が邪馬台国の所在地ではない証拠である。
倭人伝には「土を盛りて冢となす」とあり、「石を積て封となす」と書かれた高句麗の墓によく似ている。
積石塚は、紀元前から高句麗の支配地域に有り、高句麗の墓制であると考えられている。
その高句麗式墓制が日本列島に5世紀になって急に全国に作られるようになった。
箸墓も五世紀に築造されたと考えるのが正しいだろう。

139:名無しさん@1周年
19/09/12 01:29:19.60 3uM3U39a0.net
>>136
なるほど奴佳鞮が中臣になるのか
倭人伝にはないけど那珂が中臣の中かなと思っていた

140:名無しさん@1周年
19/09/12 01:31:34.90 +mN26/o3O.net
>>132
1には銅ではなく鉄鏡と書いてる。

141:名無しさん@1周年
19/09/12 01:36:07.98 F0KLHK1n0.net
出土品の一覧はペルシャ製じゃんね
正倉院にもいっぱいあるし、普通に輸入されてたしさ

142:名無しさん@1周年
19/09/12 01:37:10.63 0YsjhZXt0.net
狗奴国スレでは畿内説の人はこれに手も足も出なかったけど、こちらではどうかな?
> 86 :名無しさん@1周年 :2019/09/06(金) 23:46:57.


143:90 ID:953HWZUu0 > >>1 > 最近日本史板で見た内容とおおむね一致してるな > > 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07 > >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して > 総合的に考えた結果こうなった > https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg > https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg



144:名無しさん@1周年
19/09/12 01:38:18.69 0YsjhZXt0.net
>>141の続き
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> URLリンク(inoues.net)
> URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と

> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ

145:名無しさん@1周年
19/09/12 01:38:20.31 //NvZa6L0.net
>>129
ただ高句麗人と今の中国人や朝鮮人はあまり関係ないんだけどな
むしろ高句麗語は当時の日本語に近かった説あるし
古代史について考えるときによくやる間違いが、今と同じ場所に同じ民族の祖先がいたと無意識に思い込んじゃうこと
日本は歴史時代以降は渡来人と現在の在日朝鮮人が来たぐらいしか移動がないけど古代の大陸の民族は入れ替わりまくりだよ
日本列島は人口が少なかった当時は略奪するほど飢えることが少なく、むしろ協力しないと生き残れない自然環境だから古代から穏和だったんだと思う

146:名無しさん@1周年
19/09/12 01:39:27.40 0YsjhZXt0.net
>>141,142の続き
> 308 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 07:29:57.35 ID:nfEZxMc70
> 伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
> 海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
> URLリンク(ac.jpn.org)
>
> また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
> URLリンク(inoues.net)
>
> 有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
> 製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
> 狗奴国との国境は菊池川だろう
>
> 鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの

147:名無しさん@1周年
19/09/12 01:40:35.25 3uM3U39a0.net
畿内が狗奴国ってのもありだな
なにせあの邪馬台国を追い詰めたのだから

148:名無しさん@1周年
19/09/12 01:40:49.47 nWCpRGqy0.net
>>139
ほんまや、失礼w
当時、鉄鏡と銅鏡ってどういう使い分けしてたんやろ。日常用と儀礼用、とかはありそうだけど

149:名無しさん@1周年
19/09/12 01:42:46.32 3uM3U39a0.net
>>143
扶余族が南下して朝鮮半島南部にいた倭人を畿内に追いやったのだろう

150:名無しさん@1周年
19/09/12 01:43:14.77 0YsjhZXt0.net
>>144関連
URLリンク(special.sankei.com)
免田式土器の分布イメージ図。作成した松田度氏は、邪馬台国と抗争した狗奴国の勢力を反映していると推察する(松田氏提供)
URLリンク(special.sankei.com)
 畿内説が優勢とされる邪馬台国の所在地論争で、九州説の立場を取る大和(奈良県)ゆかりの考古学者ら3人が8月、
謎の王国「狗奴国(くなこく)」の実態に迫る学会発表を行った。
魏志倭人伝によると、狗奴国は女王・卑弥呼が君臨した国々の南に位置し、卑弥呼とは抗争状態にあったとされる。
考古学者らはその勢力圏の中心が熊本県内にあったとし、狗奴国の位置から卑弥呼の邪馬台国は福岡県域にあったと主張している。

151:名無しさん@1周年
19/09/12 01:44:38.49 uA/DYTov0.net
>>141
南には男王卑弥弓呼が治める狗奴国があり女王国と不和で戦争状態にあった
↑明快じゃん 薩摩か熊本だよ
男王卑弥弓呼 ←菊池につながるから熊本かな?
狗奴国 ← 犬の遠吠えしてたり、犬の子孫だというバンコ神話が残ってたり犬との親和性高いから薩摩隼人?
↑いずれにせよ、この2国の北部、(女王国は)九州北部しかありえない
狗奴国が邪馬台国に勝利してヤマトに合流したのかもしれない
魏志倭人伝にも、邪馬台国との戦いの結果がかかれていない
隼人が大量に京都周辺に移住してる(させられた)
大隈隼人とか

152:名無しさん@1周年
19/09/12 01:45:17.59 0YsjhZXt0.net
>>141関連
重要と思われるポイント
> 806 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:37:57.84 ID:PRbsOSjX0
> >>793
> >畿内説ってのは中国語読めない人たちが漢文を曲解してるだけのつまらないお話
> それな
> 畿内のアホどもが散々縋りついていた水行十日、陸行一月の記述も暴かれちゃったしw
> もう畿内説は詰んでる
>
> > 73 :日本@名無史さん :2019/08/22(木) 23:45:04.55
> > 邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
> > 水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
> > これを押さえておかないと正解には辿り着かない
> >
> > 【用例】
> > 通鑑釋文辯誤卷六
> > URLリンク(www.kanripo.org)
> > >沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
> > 江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
> > 江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
> >
> > 【嘉興府志】
> > URLリンク(wenku.baidu.com)
> > >{嘉善縣誌}達省城二


153:百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡 > > 嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど > > やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう > > また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし



154:名無しさん@1周年
19/09/12 01:46:34.97 3uM3U39a0.net
後漢書では狗奴国女王国より東、海を渡ること千余里、狗奴国に至るとある。
狗奴国は岡山から畿内ぐらいまで

155:名無しさん@1周年
19/09/12 01:59:12.00 uA/DYTov0.net
>>151
広域説ってやつ??  ないない あり得ん 畿内説の学者ら  みんな馬鹿ばかり 根拠が薄い
森岡秀人氏は私の尊敬する考古学者でした。弥生後期の土器年代は佐原真氏と共に編年された優れた業績として今でも有効です。
 しかし芦屋市の教育委員会の職員の立場もあり邪馬台国畿内説であることは当然予測されるので積極的に氏の論文を検索しようとは思いませんでした。
たまたま小学館発行の「古代史の論点4」を開いたら氏の「年代論と邪馬台国論争」と言う論考があり一読いたしましたがその杜撰と
言うか厚かましいと言うか呆れてしまいました。
 氏ほどの考古学者が知らない訳はありません。知ってて言うなら嘘ツキと言われても仕方ないでしょう。
 
 氏に限らず邪馬台国畿内説の方は狗奴国東海説とセットで論を立てます。特定の方しか認めていない事実を互いに持たれあって
邪馬台国は畿内なのだから狗奴国は東海だ、狗奴国が東海なのだから邪馬台国畿内しかないと言った論理です。
 驚いたことに氏はこれ以外の事実については全く触れていないのです。
 邪馬台国問題を土器だけで結論付けた方は氏ただ一人です。森岡さん少しまともに邪馬台国に取り組んでください。
貴方氏本当はよく知っているのです。優れた考古学者なのだから纏向に邪馬台国がないことは一番よく知っている筈です。

156:名無しさん@1周年
19/09/12 02:01:45.90 E0l1Qoo40.net
>>137
>それが今年の九月に発表されたのだ。
今月?

157:名無しさん@1周年
19/09/12 02:06:39.46 E0l1Qoo40.net
>>137
>積石塚は、紀元前から高句麗の支配地域に有り、高句麗の墓制であると考えられている。
>その高句麗式墓制が日本列島に5世紀になって急に全国に作られるようになった。
箸墓が高句麗の影響だとしたら、
>>143
>むしろ高句麗語は当時の日本語に近かった説あるし
これも含めて、あれだ、神武東征神話が高句麗の神話に似てるんだよね…

158:名無しさん@1周年
19/09/12 02:08:30.90 F0KLHK1n0.net
とにかく卑弥呼の墓は巨大で、その頃を境にして急に巨大な古墳が大和に現れたから
普通に大和朝廷の前身を、邪馬台国と考えるのが自然だけど
天孫族は海から熊野を通って畿内に入ってるし、前身が九州でも変じゃないだろうけども
卑弥呼の墓は邪馬台国にあるはずなんだよね

159:名無しさん@1周年
19/09/12 02:08:47.31 0YsjhZXt0.net
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
URLリンク(inoues.net)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
証明終わり

160:名無しさん@1周年
19/09/12 02:09:44.55 3uM3U39a0.net
>>152
免田式土器を狗奴国にしちゃったのが畿内説の小林行雄とは如何なものか

161:名無しさん@1周年
19/09/12 02:09:48.95 1zTUwsIY0.net
司馬維がクーデター失敗したときに、自分が逃げる場所として、意図的に方角を違えて魏志倭人伝に記述式した説
これを前提とすると、司馬の乗っ取りは計画的に曹叡在任中から暖めていたもの、ということになる

162:名無しさん@1周年
19/09/12 02:15:13.32 poFzGX7w0.net
しかし、漢委奴国王の金印が日本に残ってたってことは、印をもらった国は滅びちゃったのかね?
国が残っていれば、漢が滅びたあとは後継国に朝貢したくなるわけで、古い印を返却して現行王朝の印をもらおうとするだろうし

163:名無しさん@1周年
19/09/12 02:15:32.05 E0l1Qoo40.net
>>155
自分は巨大な古墳がある場所は、他所者がトップに立った地域と感じる
デカい古墳を作らせて地元民の経済力を削ぐ
倭国大乱のトヨ以降に中国への朝貢が途絶えているのは、各地でトップ層が入れ替わり、
朝貢どころではないが、地元民を抑え込むためには巨大古墳を作らせる
どうかなこれ

164:名無しさん@1周年
19/09/12 02:18:13.39 0K7YcHC50.net
>>144,148
そういう複数の考古学資料がだいたい同じ分布になってるのを見ると>>141は大凡あってるんだろうな

165:名無しさん@1周年
19/09/12 02:19:01.56 F0KLHK1n0.net
>>160
卑弥呼の墓が大きいそうですが、余所者なの?

166:名無しさん@1周年
19/09/12 02:21:14.81 P9LqVttKO.net
>>82
逆なんじゃね?
当時は九州のほうが発展してて、畿内こそ地方政権だったんじゃないの?

167:名無しさん@1周年
19/09/12 02:21:39.66 3uM3U39a0.net
>>159
後漢に使者を送った伊都国もしくは奴国ほぼ滅びちゃってるように思う。
倭人伝で伊都国奴国の王は存在感がない。
一大卒ばかりが目立つ

168:名無しさん@1周年
19/09/12 02:22:10.56 uA/DYTov0.net
>>160 地元民の経済力を削ぐ
いい線いってるよ
あれだけ畿内一帯から出てくる銅鐸が全く魏志倭人伝の邪馬台国や倭国の国々に関しての記述に出て来ない
それどころか記紀にさえ出て来ない
断言するけど、人間狩りが得意な九州勢力(のちの大和朝廷)が
先住民(銅鐸族?)を使役してつくったのが あの壮大な古墳群だよ
だから銅鐸発掘地と巨大古墳は微妙に近い場所にある
彼らは濠の中に住まわされてた
古墳の外周の濠を掘り返すと
かわらけ、生活雑器がでてくる
たしか箸墓の濠からも出てきてたはず
↑九州勢力=邪馬台国ではない

169:名無しさん@1周年
19/09/12 02:22:23.13 8pAJ5plD0.net
>>162
別に巨大なんて記述はないよ
魏書東夷伝は韓伝と倭人伝だけは短里で書かれているから径百歩は大したことない(1里=300歩)

170:名無しさん@1周年
19/09/12 02:25:00.55 uA/DYTov0.net
>>160
あるいはかなりの地方に高地性集落があらわれる。
弥生中期。あらわれかたも1回ではないのです。
同じ集落をまた修復して使ったりしていますが、しかし古墳が
できるようになるとそういうものはほとんどなくなっていく。
なくなるばかりか、ここがまたおもしろいのですが、
かつての高地性集落のあったうえに、あるいはすぐ付近に、その地方でもっとも古い前方後円墳が
突如として築かれる場合がある。
いまのところこの謎はちょっと解けない。
考古学者・森浩一「考古学の模索」1978 学生社
銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 単行本 ? 2010/12/27 臼田 篤伸 (著)
巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの <


171:br> 労働力とされた 巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった 古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。



172:名無しさん@1周年
19/09/12 02:25:34.27 hNrOGV1W0.net
>>156
東遷が起きたのは四世紀か
空白の四世紀とか呼ばれてる時代だね

173:名無しさん@1周年
19/09/12 02:25:40.14 UDypZ6MT0.net
邪馬台国は日田だったのか
そういえば箸墓は5世紀だから邪馬台国の訳がない

174:名無しさん@1周年
19/09/12 02:28:22.07 Iom21owy0.net
>>116
秦の国の奥にある(上)毛国だろ

175:名無しさん@1周年
19/09/12 02:28:22.35 0SOwJjcJ0.net
>>150
向こうのスレでは>>141ばかり話題になってたけど、本当に大事なのはこっちだよね
そこを押さえているかどうかで全く経路が変わってしまう

176:名無しさん@1周年
19/09/12 02:28:57.01 6QfkP8+80.net
>>16
俺は建国神話を知らなかったよ

177:名無しさん@1周年
19/09/12 02:32:38.88 F0KLHK1n0.net
>>166
あー言えば、こー言うみたいな

178:名無しさん@1周年
19/09/12 02:32:44.68 3uM3U39a0.net
久しぶりにロマンに浸れて楽しかった。
あとは弟子ちゃん サボちゃんに任せた!

179:名無しさん@1周年
19/09/12 02:32:50.57 uA/DYTov0.net
>>16 172
仁徳天皇は16代
神武天皇は初代
第225回活動記録 神武天皇陵の謎 菊池山哉(さんさい:大正-昭和の郷土史家)
はその著書のなかで、洞村(被差別部落)の区長宅で多くの老人たちから聞いた
洞村内部の話を次のように伝えている。
洞村は神武天皇陵拡張のため平野へ移転し、今は
街路整然といしている。もとは畝傍山の東北の尾の上で ...
yamatai.cside.com/katudou/kiroku225.htm - 13k - キャッシュ - 関連ページ
↑うちらの先祖は九州から神武にくっついてここに来たという伝承をつたえる

180:名無しさん@1周年
19/09/12 02:39:27.67 VSQC9qFI0.net
邪馬台国=奈良説を主張し続けてる桜井市どうすんのこれ

181:名無しさん@1周年
19/09/12 02:40:14.94 kq1hCYu30.net
>>141
祇園山古墳って日本で唯一大規模な副葬が見つかってるんだっけ
奴婢を百人も殉葬したという卑弥呼の墓は普通に考えればそこってことになるよね

182:名無しさん@1周年
19/09/12 02:41:19.74 kq1hCYu30.net
>>177
×:大規模な副葬
○:大規模な殉葬

183:名無しさん@1周年
19/09/12 02:46:06.92 q6TMBHKy0.net
>>128
古代はピアス、刺青、肉食バリバリだよな。
刺青嫌うのは中国文化が起源だろう

184:名無しさん@1周年
19/09/12 02:48:42.15 rQuaDyYs0.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

185:名無しさん@1周年
19/09/12 03:01:50.41 F0KLHK1n0.net
殉葬があったならそこかもね
日本は埴輪だし

186:名無しさん@1周年
19/09/12 03:05:30.41 9y6OiazU0.net
なぜ九州にって邪馬台国が九州にあったからだよ
何をいまさら

187:名無しさん@1周年
19/09/12 03:05:55.58 6Xk0v3G50.net
神話が正しくて九州が当時栄えてたんだろ大和朝廷がどこにてきたかとは別にして
菊池あたりに古墳多すぎだし

188:名無しさん@1周年
19/09/12 03:08:09.90 A6Ir9yzm0.net
>>177
なんだそんなのがあるのか
卑弥呼に決まりだな
ぜんぜん知らなかったぞ

189:名無しさん@1周年
19/09/12 03:09:08.18 A6Ir9yzm0.net
九州って言葉は、天下って意味だし

190:名無しさん@1周年
19/09/12 03:19:11.83 coMYKCgF0.net
>>165
鉄器が銅鐸を駆逐したということか

191:名無しさん@1周年
19/09/12 03:30:45.09 irFtYhmQ0.net
どう考えても魏普と関係が深かったのは北九州�


192:セな



193:名無しさん@1周年
19/09/12 03:31:05.00 coMYKCgF0.net
>>1>>133のことなのか?
知ってる人は本にしてるんだな、こんなん全く知らなかった
つか国立博物館って??

194:名無しさん@1周年
19/09/12 03:31:43.88 E0l1Qoo40.net
祇園山古墳の南の方に岩戸山古墳があるけど、岩戸山という山はない?
何でそう呼ばれている?
>>177
>祇園山古墳
なるほど。磐井はここに陣を敷いたのか、、、
時代が違っても地理は大体同じだから、卑弥呼の時代も陣を敷くのに適した場所だったはず

195:名無しさん@1周年
19/09/12 03:45:53.22 1zTUwsIY0.net
>>156
大和の支配下にはいったってことなんじゃない?
大和の支配下に入る=税という形でそれぞれの地域の特産品を都である奈良に運ぶ
北九州の鉄器の出土年数が確かなら、その特産品を大和に納めるようになった、ということなのでは?
九州=熊襲、が大和に負けて勢力下に入った時期がその頃、というだけの話にも思える
関東・東北=蝦夷、が坂上田村麻呂による東征を受けるのはもう少し後

196:名無しさん@1周年
19/09/12 03:47:23.90 8u7sWdwc0.net
>>137
5世紀頃の古墳の石室の寸法は高麗尺使ってるからね
埋葬者とは限らないが
高麗人の職人など関わりが深い

197:名無しさん@1周年
19/09/12 04:13:18.47 CPAfaQUW0.net
>>190
鉄器だけならそれでもどうにか説明がつくかもしれないけど、大和朝廷のメンバーを見ると主従は逆みたいなんだよね
九州出自の氏族が連姓=天皇の譜代の配下とされて、畿内などの地域豪族は臣姓=外様の共立者になってる
なにより倭国造の一族が九州の氏族というのがポイントだと思う
畿内政権が元々地元の勢力なら、大和地方の為政者をよそ者の九州人には任せないでしょ

> 300 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 17:41:24.27 ID:yjDSp0sY0
> >>282
> そうかも知れないけど、個人的には違うと思ってる
> 畿内の土着勢力は滅ぼされたと言うよりは九州から来た支配者(のちの皇室)を共立する形で臣従したと思う
> そしてそれが現れているのが氏姓制度だと思う
> 姓(カバネ)の中で特に有力だったのは臣(オミ)と連(ムラジ)だけど、この両者には外様と譜代の違いがある
>
> URLリンク(kotobank.jp)氏-34455
> >日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
> >臣姓豪族は皇別すなわち天皇の後裔(こうえい)と称するのが一般であり、連姓豪族は神別すなわち神代の昔から皇祖の神々に奉仕した
> >神の後裔と称しているが、これは江戸時代における外様(とざま)大名と譜代(ふだい)大名との違いにも比せられる。
> >すなわち、臣姓豪族は天皇家と連合して大和政権を構成した有力豪族、連姓豪族は大和政権の盟主としての天皇家の地位、
> >実力の向上に伴って頭角を現した家政機関のおもだった役人あがりであり、その家政機関が拡大改組されて大和政権の中枢機関となったのである。
>
> 神代の昔から皇祖に仕えた、つまり神武東征に付き従った元々の皇室の臣下が連の姓を与えられている
> たとえば北部九州が本拠地の安曇氏が連姓、これは皇室が九州起源であることの根拠となるわけ
> 逆に臣姓となった豪族の中に畿内の土着勢力がいると思う
>
> 名目上の地位は臣の方が高いことになっている、それは共立以前は皇室と並ぶ立場の王だったから
> でも、天皇がより頼みとしたのは昔からの家臣である連
> 上記引用で比されている江戸時代�


198:ナも、外様の加賀藩なんかはどの譜代大名よりも石高は高かったけれど、 > 高位の幕閣には譜代大名しかなれなかったわけで将軍が本当に頼みとしたのは譜代大名だった



199:名無しさん@1周年
19/09/12 04:13:44.45 CPAfaQUW0.net
>>192のつづき
> 342 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 18:29:00.83 ID:yjDSp0sY0
> >>321
> >>300のとおり、オオミワはもともと筑後山門にあった地名
>
> 大倭氏の祖である宇豆毘古は尾張氏と同族で、安曇氏と同祖氏族になる
> だから尾張氏も連姓だし、倭氏で出世した人も連姓になった
> URLリンク(img-cdn.jg.jugem.jp)
>
> URLリンク(ja.wikipedia.org)倭国造
> >倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。
> >天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。
> >一般に綿積豊玉彦の孫とされ、神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる、海人族の一族。

200:名無しさん@1周年
19/09/12 04:18:19.82 1zTUwsIY0.net
>>192
ふーん、ほんじゃ熊襲ってどこの地方のことになるの?
大和=東海・近畿あたり
熊襲=九州
蝦夷=東北
みたいなイメージだったんだけど
それに九州て阿蘇山噴火で絶滅してなかったか?

201:名無しさん@1周年
19/09/12 04:20:37.83 IeujsFwq0.net
>>1 >>2 >>100
パンスト朝鮮顔を整形しまくった ネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がわきまくってるしな。

日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら凶悪レイプ性犯罪を繰り返し
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
チョンポップの人気偽装を繰り返してるのもこいつら在日朝鮮人・帰化人。
在日朝鮮人はスパイそのもの
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。

●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
URLリンク(karutosouka2.tripod.com)
.

202:名無しさん@1周年
19/09/12 04:23:37.02 EE0xYznP0.net
ぎしわじんでん普通に読んだらやまたいこくは大分あたりやろなぁと思うだろ普通に

203:名無しさん@1周年
19/09/12 04:24:02.24 y/dLMIxx0.net
『泥棒家族』って、よくタイトルに市民団体からイチャモン入れられなかったな
今度は『泥棒部落』を上映してくれよ

204:名無しさん@1周年
19/09/12 04:27:30.32 1yC9KkT10.net
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた証拠であり
九州に邪馬台国はなかった証拠でもあるね

205:名無しさん@1周年
19/09/12 04:28:55.18 1zTUwsIY0.net
>>196
うん、最後の方角だけが妙に解せないから>>158
司馬維がクーデター失敗したときに、自分が逃げる場所として、意図的に方角を違えて魏志倭人伝に記述式した説
これを前提とすると、司馬の乗っ取りは計画的に曹叡在任中から暖めていたもの、ということになる
と推理したんだが
死せる孔明、生ける仲達を走らす
死せる仲達、現代日本人を惑わせる
歴史ロマンだよ

206:名無しさん@1周年
19/09/12 04:30:02.74 P9LqVttKO.net
>>137
古代日本は、4~5世紀あたりに高句麗の勢力に侵略されたのかね?

207:名無しさん@1周年
19/09/12 04:34:45.01 1yC9KkT10.net
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時
九州は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だった証拠



208:ね 九州に邪馬台国はなかったことが確定した



209:名無しさん@1周年
19/09/12 04:34:59.75 0/FMSx1V0.net
>>1
象嵌
記事の説明を追加
象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌本来の意味は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味で金工象嵌、木工象嵌、陶象嵌等がある。その中の金工象嵌は、シリアのダマスカスで生まれ、シルクロード経由で飛鳥時代に日本に伝わったとされる。

210:名無しさん@1周年
19/09/12 04:35:51.18 1yC9KkT10.net
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時
九州にあったのは、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だった
証拠
だね
九州に邪馬台国はなかったことが確定した

211:名無しさん@1周年
19/09/12 04:38:34.02 0/FMSx1V0.net
卑弥呼なのかな。
奈良時代にササン朝ペルシアの王族が日本に来たって話があるから、そっちかもしれない。

212:名無しさん@1周年
19/09/12 04:50:14.87 V4+uHax60.net
>>200
なわけあるかいw

213:名無しさん@1周年
19/09/12 05:08:49.34 3k8HDoWq0.net
日田どんこと豊後大蔵氏は阿智王劉照の末裔と言われてる
てことは霊帝の血筋なんだよな
いろいろつながってる

214:名無しさん@1周年
19/09/12 05:10:43.72 0/FMSx1V0.net
URLリンク(michi01.com)
日本書紀
 六五四年(孝徳天皇の白雉五年)夏四月、吐火羅國の男二人女二人、舎衛の女一人、風に被ひて日向に流れ来たりき。
 六五七年(斉明天皇の三年)秋七月、都貨邏國の男二人、女四人、筑紫に漂ひ泊てき。言さく、「臣等、はじめ海見の嶋に漂ひ泊れり」とまをしき。すなはちはゆまを以ちて召しき。
辛丑の日、須彌山の像を飛鳥の寺の西に作り、また盂蘭盆の會を設けき。暮、覩貨邏人を饗へたまひき。或る本にいはく、堕羅人なりといへり。
 六五九年(斉明五年)三月、丁亥の日、吐火羅人、妻の舎衛婦人と共に来り。
 六六〇年(斉明六年)七月、また覩貨邏の人乾豆波斯達阿、本土に帰らむとし、送使を求ひ請して、「願はくは後に大国に、朝らむ。所以に妻を留めて表とす」と曰ひき。すなはち数十人と西の海つ路に入りき。
 六七六年(天武天皇の四年)春正月、丙午の朔、大學寮の諸學生、陰陽寮、外藥寮、及び舎衛の女、堕羅の女、百済の王善光、新羅の仕丁等、藥と珍異等物を捧げて進りき。
大夏
URLリンク(ja.wikipedia.org)

215:名無しさん@1周年
19/09/12 06:19:40.54 2jveHjBh0.net
中国共産党は
魏志倭人伝を根拠にして
1800年ほど前には現在の日本列島は
中国領土になっており、以後1800年ほど日本を名乗る連中が
不法占拠していて、これに伴う罰として
日本人を必ず絶滅しなければならない
としている
邪馬台国や卑弥呼の話は、日本では
中国共産党がこの主張をしはじめた頃の呼応して
急に出てきた話になっている

216:名無しさん@1周年
19/09/12 06:34:55.46 SI8o9MNQ0.net
 
魏志倭人伝に出てくる日本の国々はほぼすべて九州なのに、
中国地方にあった出雲や吉備をすっ飛ばして邪馬台国だけ畿内なんて
記載としておかしいやろ

217:名無しさん@1周年
19/09/12 06


218::40:50.75 ID:FyyLs0kF0.net



219:名無しさん@1周年
19/09/12 06:40:59.00 bLDKWwZv0.net
>>209
使者は九州までしか行ってないからな
九州の馬鹿はほとんどこれ

220:名無しさん@1周年
19/09/12 06:43:53.06 MBkzoeNo0.net
>>101
筑後川を遡って行くと日田だよ

221:名無しさん@1周年
19/09/12 06:44:46.71 +dwqJ83p0.net
邪馬台国が九州にあったのか

222:名無しさん@1周年
19/09/12 06:52:58.31 1JukmJSx0.net
>>209
邪馬台国の北(畿内説だと西)の国は全部記録されてるはずだからねえ。

223:オラ悟空
19/09/12 06:54:38.90 FIs1L8JN0.net
大分県日田の日高の工事現場から出土だっけ?
梅なんちゃらってやつが少し胡散臭いやつだったからずっと黙殺されてた鉄の鏡

224:名無しさん@1周年
19/09/12 06:55:27.16 5yYp5Egl0.net
そもそも大した鏡でも無いんだろ。支那より日本の歴史のが古いから、シュメール人とかエジプトなんかで鏡の製造法が出来て
それが海経由で日本に入ってただろうし。日本は太陽、太陽の光を反射する鏡が三種の神器に入ってるし
基本的に支那は属国ってて意味だろ。

225:名無しさん@1周年
19/09/12 06:56:34.39 wc5M9r5i0.net
>>211
伊都国までしか行ってないならそこから先はすべて伝聞
距離も戸数もまったくデタラメかもしれない。
邪馬台国をとんでもなく遠くで大都市のようにウソをいって
自分たちがいかに大きな国かをアピールしたんだろう

226:名無しさん@1周年
19/09/12 06:57:46.24 j4QzvbIP0.net
>>20
チョンみたいなこと言い出すなよ九州のカッぺ
恥を知れ

227:オラ悟空
19/09/12 06:58:14.20 FIs1L8JN0.net
阿蘇に行きその風景をみれば
ヤマタイの意味がわかる
山の台地に囲まれた自然の常識
狗奴は南阿蘇
古代都市国家は
広大なきちんと整備
区画された田んぼが基本だぜ
国造神社もある阿蘇を山から眺めればよくわかる
いきなり畿内にあるわけねえだろ

228:名無しさん@1周年
19/09/12 06:58:20.53 fZ0yEdeH0.net
トヨタの工場に手りゅう弾を投げ込む住民の熱さを考えれば、邪馬台国の九州説はほぼ確定。

229:オラ悟空
19/09/12 07:00:07.39 FIs1L8JN0.net
大分県日田はむかしむかしからヒタ
日田の盆地に水が張り
それが引いたからヒタだとさ
馬鹿すぎて受ける 
卑弥呼の田
卑田
卑弥呼が生まれた土地

230:名無しさん@1周年
19/09/12 07:00:47.24 +aFoBDZO0.net
>>1
曹操って遺言で自分が死んでも喪に服すな自分の葬儀は簡素なものにしろって言ってたから牝ジャップの鏡も簡素な品なんだろうよ

231:名無しさん@1周年
19/09/12 07:02:09.86 iiWrPkKf0.net
>>211
お前が馬鹿
クズ
カス
無能

232:オラ悟空
19/09/12 07:02:18.78 FIs1L8JN0.net
卑弥呼
日を観る巫女
火を観る巫女
火を使って預言したシャーマン
火が簡単につくれる、
火山の存在が必須だぜ
阿蘇の火をみて予知

233:名無しさん@1周年
19/09/12 07:03:40.91 5NbmbPrf0.net
九州の地下アイドルがメジャーデビューで畿内に行ったんだろ

234:名無しさん@1周年
19/09/12 07:05:46.96 1JukmJSx0.net
ちなみに「日向」という地名(旧国名以外)は日田市に多く残っているとか。
その「日向」は「ひむか」つまり「卑弥呼」が居た場所を指している。

235:名無しさん@1周年
19/09/12 07:05:54.43 5NbmbPrf0.net
>>224
火なんて旧石器時代から簡単に点けてたんだけど

236:名無しさん@1周年
19/09/12 07:06:19.98 +aFoBDZO0.net
卑弥呼
あ�


237:ワねく卑しいと呼ぶ 倭猿の酋長になんと相応しい名かwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



238:オラ悟空
19/09/12 07:06:33.10 FIs1L8JN0.net
日田の隣の福岡朝倉も卑弥呼の里と主張
そりゃそうだ
特殊な能力があった卑弥呼が外に出て
勢力を作った土地
阿蘇なみのきちんと整備区画された土地
そこから抗争で阿蘇へ
四方を山に囲まれた日田と同じ阿蘇へ

239:オラ悟空
19/09/12 07:07:26.01 FIs1L8JN0.net
豊前豊後は地続きなのに
肥前肥後は離れてるなあ

240:名無しさん@1周年
19/09/12 07:09:22.06 1JukmJSx0.net
実際は卑弥呼のいた日田市から「天孫降臨」して「(葦原の)中津(国)」へと移動したので
そこが「豊(トヨ)国」と呼ばれるようになったわけだ。そうして卑弥呼の墓もその近く(宇佐)に
作られたと。
いや、やっぱりこの話は良く出来てるなあ

241:オラ悟空
19/09/12 07:10:51.90 FIs1L8JN0.net
大分はむかしからオオイタ
この世あの世をつなぐシャーマン
イタコ、イタの巫女
むかしむかしから
いまだに硫黄臭が全体にただよう別府は別の府
むかしの人間からすりゃ地獄の入り口
むこうは死国

242:オラ悟空
19/09/12 07:13:07.59 FIs1L8JN0.net
大分県国東半島
国東はクニサキ、つまりクニの東の端
鹿児島じゃなくなぜか宮崎に日南
われわれと方向感覚が違う
リンクさせりゃクニ
国見の知名も当たり前

243:名無しさん@1周年
19/09/12 07:13:22.95 5yYp5Egl0.net
日の巫女。神社に仕える巫女
特別な存在じゃ無いだろ… 豪族や地方の集落がそこら辺にも有りましたよ程度
日本の歴史は2600年は超えてる世界一歴史のある国だぞ。支那とか何度滅んでるんだよ

244:オラ悟空
19/09/12 07:16:11.37 FIs1L8JN0.net
阿蘇噴火、避難
福岡側には別の族がいるから大分側へ
別の府はこわいからひたすら北上
宇佐で紛争
敵の慰霊に神社
下関から中国へ

245:名無しさん@1周年
19/09/12 07:16:31.59 1JukmJSx0.net
>>233
「日南」は単に「日向」の南だからそう名付けられた

246:オラ悟空
19/09/12 07:17:33.14 FIs1L8JN0.net
出雲で紛争
貴重だったはずの鉄が
武器や大量生産に遭遇
もってきたものを大量に破棄

247:名無しさん@1周年
19/09/12 07:18:05.43 uEdCnjFR0.net
>>35
どっちかというと、漢倭奴国王絡みかもしれないな
後の戦乱で奴国が制圧されて、旧王家の至宝は流出
最終的には出所も忘れられ、所有者は馬の骨に

248:オラ悟空
19/09/12 07:19:18.85 FIs1L8JN0.net
天草ー阿蘇ー宮崎高千穂にリンクする
淡路ー畿内ー三重伊勢
ヤマタイの正式な継承者
特殊な能力をもった卑弥呼の継承者

249:名無しさん@1周年
19/09/12 07:20:11.47 RuLUapNo0.net
義経が大陸に渡り曹操になったから

250:オラ悟空
19/09/12 07:21:37.41 FIs1L8JN0.net
大分中津には耶馬溪がある
耶馬が通った渓谷
阿蘇
耶蘇教
邪馬台
耶馬溪

251:名無しさん@1周年
19/09/12 07:22:53.95 8a8rRosb0.net
出土ってよく聞くけどそんな最高級品がなんで土に埋まってるの?
長屋王邸とかも、噴火で街が埋まったとかならわかるけど

252:オラ悟空
19/09/12 07:23:08.89 FIs1L8JN0.net
大分県日田には
ちいさな目立たない会所山神社がある
会所山と書いてヨソヤマ
この世とあの世が会う所はヨソ
卑弥呼関連かもな

253:オラ悟空
19/09/12 07:25:12.59 FIs1L8JN0.net
大分県日田の月出山岳
月出山とかいてカントウ
関東地方じゃねえぞ
東側の関

254:オラ悟空
19/09/12 07:26:13.15 FIs1L8JN0.net
一尺八寸山と書いてミオウ山もあるな
日田には

255:オラ悟空
19/09/12 07:27:0


256:4.52 ID:FIs1L8JN0.net



257:名無しさん@1周年
19/09/12 07:27:22.99 +LI/aztn0.net
何をいまさら
そもそも金印が発見されたのが大分県だろ

258:名無しさん@1周年
19/09/12 07:33:24.55 bFx2Uw5u0.net
>>217
隋書では奈良まで行ってここが魏志倭人伝の邪馬台国ですと書いてあるからな
九州なんか最初からウンコ

259:名無しさん@1周年
19/09/12 07:34:53.00 /Zbsu3Sy0.net
狗奴国 も全部九州

260:名無しさん@1周年
19/09/12 07:36:50.94 TAtThnsa0.net
>>1
鏡なら卑弥呼が魏と交流していた景初三年や正始元年の魏の年号が入ってる
三角縁神獣鏡が畿内で見つかっている
終了

261:名無しさん@1周年
19/09/12 07:40:48.24 qDvR1lBp0.net
いま国の場所が確定してるのはどこ?
マツラ国と金印発掘されたクナ国くらい?

262:名無しさん@1周年
19/09/12 07:41:23.68 qDvR1lBp0.net
>>249
マツラ国も九州。今でも地名や川の名前として残る

263:名無しさん@1周年
19/09/12 07:50:15.26 cMSizauv0.net
戦前戦中に中国の骨董が多く日本人よって買われたからな
出土はニセ情報で、中国見上げだと思うよ

264:名無しさん@1周年
19/09/12 07:59:59.96 EdUB7zN60.net
魏に朝貢した記録があるのだから
その時貰ったのでは?

265:名無しさん@1周年
19/09/12 08:02:45.07 tw5Mfb0q0.net
>>192
>なにより倭国造の一族が九州の氏族というのがポイントだと思う
>畿内政権が元々地元の勢力なら、大和地方の為政者をよそ者の九州人には任せないでしょ
なるほど道理だのう
やはり邪馬台国は九州にあって魏志倭人伝ののちに畿内に遷都したのか

266:名無しさん@1周年
19/09/12 08:03:25.52 /GLoIZqw0.net
おいおい、これスゲーわ。邪馬台国は九州で決定的じゃん。三国志を知ってる小学生でもわかる話。

267:名無しさん@1周年
19/09/12 08:03:28.50 EdUB7zN60.net
日本の鏡は出所不明なのか?
では盗掘品流れを疑った方が早いな

268:名無しさん@1周年
19/09/12 08:09:38.12 /GLoIZqw0.net
くぐったら益々凄いわ。曹操と酷似した鏡かよ! 中国の学者からアピールがあったんだと!
こりゃ決まりだな。邪馬台国は九州で間違いないわ。

269:名無しさん@1周年
19/09/12 08:14:17.96 XqWGP+tY0.net
>>250
今回のはそんな数百枚見つかった鏡ではなく、
大陸でも皇帝クラスしか持てないという金銀装飾を施した鏡で世界にも数枚しか残っていないもの
それより付着物や使用されている鉱物などの科学的分析である程度辿れると思うのだが

270:名無しさん@1周年
19/09/12 08:32:45.53 8gbp14P10.net
>>72
奈良のラノベを信じるなよw

271:名無しさん@1周年
19/09/12 08:35:11.51 8gbp14P10.net
ヒムカもトヨも大分の地名

272:名無しさん@1周年
19/09/12 08:37:57.13 ezUpTL3y0.net
すべての古墳を発掘していいよ
と皇族が言えば解決しそう

273:名無しさん@1周年
19/09/12 09:01:20.91 mOf0rC3J0.net
すげー
キングダムに卑弥呼登場!

274:名無しさん@1周年
19/09/12 09:04:23.03 XuiSE0E80.net
>>259
魏の書類とかに残ってそうだけどな
そのレベルなら

275:名無しさん@1周年
19/09/12 09:05:12.19 U25JsyHL0.net
でも、古美術商が大分の鉄道工事現場から出土したと言ってるだけでしょ?それを考古学者が買ったと。
しかも出土地を調べてもごく一般的な馬具とかが出ただけだったっていう
そんな凄い鏡を持つような人が埋葬されてるような古墳とは思えないっていう

276:名無しさん@1周年
19/09/12 09:11:07.89 ryeLLyeT0.net
>>230
古代は有明海の海路で繋がってた。
今は筑後干拓で分断されてる。

277:名無しさん@1周年
19/09/12 09:16:59.81 PzOCUe8A0.net
>>265
美術的あるいは中国銅鏡研究上の価値はあっても、考古学的(歴史学的)な史料としては扱えないからね
どこから出たなどの伝聞


278:は、最近中国で売られていた三角縁神獣鏡と同様に何の意味もないな



279:名無しさん@1周年
19/09/12 09:17:10.85 LE3+Y9y30.net
>>259
国内ではこれしか出ていないという貴重な物なのにね。
出土場所も付着物からある程度絞れる、にも賛成。

280:名無しさん@1周年
19/09/12 09:22:08.59 DvZb80PF0.net
>>1
つまり、邪馬台国は九州にあった

281:名無しさん@1周年
19/09/12 09:22:51.00 /GLoIZqw0.net
畿内お得意のご都合ゴッドハンドと違って、
元々出てた鏡だろう。後からアクションを起こしたのは中国じゃん。
これは決定的だよ。邪馬台国確定だろう。

282:名無しさん@1周年
19/09/12 09:24:23.36 6Ef4/5dr0.net
畿内説論者は徒労でしたな。お疲れ。青春を返せってかw

283:名無しさん@1周年
19/09/12 09:25:24.82 yArPjOZs0.net
卑弥呼なら俺の横で寝てるよ

284:名無しさん@1周年
19/09/12 09:25:38.85 DvZb80PF0.net
>>65
金印に使った形跡がないから、もらった人間が後生大事にしまっていたと考えるのが自然

285:名無しさん@1周年
19/09/12 09:26:56.43 /GLoIZqw0.net
>>272
かなりの熟女好きだね。80歳ぐらいかな

286:名無しさん@1周年
19/09/12 09:28:26.24 hsUUjST90.net
旧石器時代捏造事件を思い出せ。
畿内説とは、
魏志倭人伝の南は方角を間違えて記述されている
という仮説の上に積み上げられた想像群の総称です。
これを史実と主張する行為が歴史捏造事件だと言われても仕方のないことだ。
論理的事実は「畿内説は空想」だということです。

287:名無しさん@1周年
19/09/12 09:30:18.51 LE3+Y9y30.net
>>87
鏡の種類に触れてはないがテイキョウが鏡を持ってきたと倭人伝に書いてあるのか。
皇帝から100枚の銅鏡は後のチョウセイの時だっけ?
チョウセイが来たのは卑弥呼死去の前後だけど、
倭人伝は卑弥呼死後に内戦で犠牲者多数、トヨが王位について治ったで完結してる。
それ以降も中国人は邪馬台国に行ってて本国に報告しているの確実だね。

288:名無しさん@1周年
19/09/12 09:30:33.60 ++nwmM7C0.net
ネット見ると、出土したとされるときの状況についてガセネタが広まってるし
購入経緯についても、ガセネタっぽいのがが書かれてる
>>25なんかがそれ

289:名無しさん@1周年
19/09/12 09:31:55.70 /GLoIZqw0.net
邪馬台国畿内説は完全に崩壊したね。
ただし、大和朝廷なのはたしかなんだからそっちの研究で頑張ってよ。
さて、日田1択なのか流れついたのかを考察すべきだね。

290:名無しさん@1周年
19/09/12 09:39:43.00 LE3+Y9y30.net
>>237
荒神谷遺跡の鉄拳や銅鐸の大量出土を
出雲の国譲りは史実(要するに武装解除した)でまさにその場所だった、とする本も見たことあるな。

291:名無しさん@1周年
19/09/12 09:40:12.15 F0KLHK1n0.net
邪馬台国とかよく解らないから聞いてきたけど
倭人伝の記述通り旅すると、琉球か台湾だってさ
福建の真東で、更に東に国があったって言うなら「台湾」だなだってさ
ググってみたら卑南族とかの古墳があった、卑南族の巫女「卑弥呼」でいいんじゃない
刺青はアイヌが有名だし、大義の縄文人なんじゃまいか?

292:名無しさん@1周年
19/09/12 09:41:10.45 1yC9KkT10.net
>>278
いんや、崩壊したのは九州説

金印と鏡という動かぬ証拠により
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時、九州にあったのは、
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だったことが確定した

293:名無しさん@1周年
19/09/12 09:41:45.00 qUyAQxcu0.net
これは学者がすごいモノだと気付いて古物商から買ったものだが
由来がはっきりしないうちの適当な情報からいろいろぶち上げてしまって
よくよく調べてみると盗掘三昧の中国から普通に持ち�


294:桙ワれたものだと分かったけど 話が大きくなってしまいそのことを言い出せないまま亡くなられたという話です



295:名無しさん@1周年
19/09/12 09:42:08.57 DvZb80PF0.net
科学的な物的証拠がここまで揃っているんだから「邪馬台国」は九州にあったと結論着けていいだろう
ただし、何らかの理由で九州から遙か遠い畿内に権力が委譲され奈良の地方豪族から「天皇」が生まれた
その九州から畿内への権力委譲を象徴的に架空の人物を使い「神武東征」と歴史書には残した訳だ

296:名無しさん@1周年
19/09/12 09:43:51.23 DvZb80PF0.net
>>282
金印も鏡も出土が曖昧なのがまずいよな

297:名無しさん@1周年
19/09/12 09:44:55.82 8gbp14P10.net
>>271
畿内説が葬式準備でしょうなあ(笑)

298:名無しさん@1周年
19/09/12 09:46:23.18 4+bu/6Ag0.net
狗奴国との戦争に加担した見返りにもらったか、
大事な物を隠し保管しとくための邪馬台国の隠れ里的な存在だったかちゃう?

299:名無しさん@1周年
19/09/12 09:47:28.11 gTJUqNm20.net
>>263
卑弥呼何年生きてるん?

300:名無しさん@1周年
19/09/12 09:47:54.07 ++nwmM7C0.net
出土状況が怪しいというか、まったく確認が取れてないからな
1933年、ダンワラ古墳で何かが出た
1960年、古美術商から鉄鏡を購入した
2つを同一のものと判断する根拠がないというか、専門家は否定的
発掘に携わった関係者が、当時ダンワラ古墳で出土したモノを須恵器に入れたと述べている
これは鉄鏡と大きさが異なるということで、高島さんもダンワラ出土に否定的
実際どこで出土したかはまったく不明ということだろう

301:名無しさん@1周年
19/09/12 09:49:23.70 /GLoIZqw0.net
>>281
今までお疲れ様でした。畿内学かなんかしらんけど、あっちに行けw

302:名無しさん@1周年
19/09/12 09:49:29.70 DvZb80PF0.net
卑弥呼の邪馬台国が九州だとして、金印や皇帝の鏡など沢山出てきて栄華を誇るハズの九州ではなく、
3世紀の古墳時代には一転して巨大古墳が畿内から出てくる
日本の先進地域は九州であったが、田舎の畿内に飲み込まれたんだろうな
畿内の方が人口が多いとかで

303:名無しさん@1周年
19/09/12 09:50:17.99 1yC9KkT10.net
金印と鏡という動かぬ証拠により
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時に、九州にあったのは、
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だったことが確定した
邪馬台国は九州には無かったんだねぇ

304:名無しさん@1周年
19/09/12 09:50:51.26 4+bu/6Ag0.net
>>283
邪馬台国と冠が付くと税金を使う大義名分ができるとかあるから、
白熱した論争を続けて欲しいんやろ。
九州は地方税をもっと地元の大学につぎ込んで、いろいろ調べるべきやな。

305:名無しさん@1周年
19/09/12 09:51:07.71 gTJUqNm20.net
邪馬台国の場所については親魏倭王の金印が出土すれば一発なんだが、
魏の滅亡後に晋に朝貢した記録があるから、普通に考えれば返却しちゃってるだろうしな…

306:名無しさん@1周年
19/09/12 09:52:42.04 4+bu/6Ag0.net
>>288
鏡に付着してた土を調べたとかいう話じゃなかったっけ?

307:名無しさん@1周年
19/09/12 09:53:34.69 ++nwmM7C0.net
そういえば、旧日本軍が戦争中、中国から強奪してきたという推測も前にどこかで見た
さすがそれはないだろう
錆を落とす前は、ただの鉄のかたまり
お宝だなんてわからなかったのだから、鉄のかたまりを持ち帰るとはとても思えない

308:名無しさん@1周年
19/09/12 09:55:44.75 WFFVOSTt0.net
未だに近畿説を唱えてる人って

309:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:02.67 o5oNev+c0.net
マジレスすると、三国時代にはかなり多くの人が日本に逃げてきてるから位の高い人間が九州の山中に逃げてきてても不思議ではない
糸島だけでなく宇佐と並び豊前で重視された香春神社も渡来系氏族が祭神だし、魏に滅ぼされた公孫氏は一族の神社が畿内に残ってる

310:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:05.76 hsUUjST90.net
ここ数十


311:年、畿内説を提唱する学者達は纒向遺跡を根拠とし、何かとお袈裟に持ち上げてきたが、 現時点においても科学的に認めることが出来るのは 「3世紀の九州と畿内は疎遠だった」 という事実だけ。 畿内説は公金横領が目的じゃないのか?などと罵られるのも当然だ。



312:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:25.35 dP7mVARH0.net
見ず知らずの女性にいきなり卑弥呼様ァァって土下座してひれ伏すのたのしすぎワロタ

313:名無しさん@1周年
19/09/12 09:56:38.01 LE3+Y9y30.net
>>82
大陸側から見たら倭国ほぼイコール九州とその周辺って感覚だけど
弥生後期各地に国ができてたのは定説だよね。


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