19/09/07 09:47:41.96 cCVEMGVS0.net
>>253
この一連の資料はきわめて重要なものである。
南方地域への慰安婦の派遣が現地軍の司令部より
台湾軍司令部に「土人」と指定して派遣をもとめ
ているということは、同じように現地軍司令部より朝鮮軍司令部に朝鮮人女性を慰安婦として派遣
するように要請がなされたことを容易に想像させる。
この点で重要なのは、米軍資料の中にあるビルマのミッチーナーでの慰安所経営者及び慰安婦
の尋問にもとづく報告である。
日本人捕虜尋問報告第49号(5巻、203-209頁、これをAとよぶ)
は慰安婦20名の尋問報告であり、
SEATIC尋問時報第2号(そのやや省略した引用が同、
151-153頁にある、これをBとよぶ)は慰安所経営者夫婦の尋問報告である7)。
これらによると、
1942年(昭和17年)5月に日本軍が占領したビルマにおける「慰安サーヴィス」のための女性を募
集するために、
軍の依頼を受けた業者が朝鮮にや
ってきた(A)。
しかし、この業者は独立して女性を募集したのでなく、
京城の陸軍司令部が業者にビルマへ慰安婦を連れていくことを打診したの
に応じたものである(B)。
当然にビルマ方面軍ないし南方軍総司令部からの直接の正式要請が朝鮮軍司令部に対してあったと考えるのが、
さきの
台湾軍への要請と考え合わせて自然である。
だか
ら、この業者もふくめて、朝鮮軍司令部、おそらく台湾と同じく憲兵司令部が
業者を選定したと考えられる。
最終的に朝鮮から出発した朝鮮人女性
は703名であったので、
ビルマ方面軍から700名以上規模の派遣要請があったと見るのが自然であ
る。