【大阪】「邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力…」 百舌鳥・古市古墳群をテーマにした特別講演会に300人★2at NEWSPLUS
【大阪】「邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力…」 百舌鳥・古市古墳群をテーマにした特別講演会に300人★2 - 暇つぶし2ch521:名無しさん@1周年
19/08/19 06:28:43.68 4LI5JEdW0.net
農民と漁民ばかりクローズアップされてるけど、
日本にはもう一つの勢力として山岳民族があるんだけどな。

522:名無しさん@1周年
19/08/19 06:34:12.27 4UO7PFss0.net
>>490
津守氏は尾張氏の同族だから海人族だよ
津守氏・尾張氏・海部氏・伊福部氏・掃部氏
URLリンク(amanokuni.blue.coocan.jp)
>基本的に天火明命を祖とする海人族である。
>天火明命の曾孫、天忍人命から出たのが尾張氏で、天忍男命から出たのが住吉神を奉斎する津守氏である。
>また、尾張氏から別れたのが、籠神社の社家・海部氏と掃部氏である。
>天火明命は倭氏の遠祖、振魂命の子、天前玉命と同一人物とする系図があり、そうなると、高倉下命と倭氏の宇豆毘古は従兄弟同士ということになる。
>また、振魂命は綿津見豊玉彦命の子であり、穂高見命の弟であるから、阿曇氏と同系統ということにもなる。
この系図の一番右の振魂命の系統ってことね
URLリンク(img-cdn.jg.jugem.jp)

523:名無しさん@1周年
19/08/19 06:45:35.91 4UO7PFss0.net
>>494
邪馬台国時代の安曇はおそらく伊都国が拠点だよ
安曇氏の本拠地とされる志賀島は人が住むには狭すぎるし、例の漢委奴国王の金印発見であちこち掘り返したが大規模な遺跡は見つからなかった
志賀島は安曇氏のマツリの中心地であって、人が居住していたのは西側の伊都国だろう
南の奴国をイメージしがちだが、志賀島~糸島東岸の距離は志賀島~博多湾岸とほとんど等距離ですぐ近く
安曇の祖とされる安曇磯良の別名は磯武良(いそたけら)であり、五十猛と同一人物と思われる、イソタケルとはイソ(伊都)の王だろう
魏志倭人伝では奴国は人口こそ多いものの特に変わった特徴は無い
弥生時代から西日本各地の沿岸部に勢力を持っていた安曇の特別性を考えると、女王国北部の国々を監視していた伊都国のほうが役割としてもぴったりくる
3世紀までには既に近江にまで安曇が来ていたという事実から考えて、一大率が監視した女王国北部の国々とは本州や四国瀬戸内側の飛び地だろう
地続きなら女王国が直接管理すればいいことだから、海を隔てた場所の管理を伊都の安曇海人に委託したと見る
おそらくはゴホウラ貝輪や有鉤銅釧を身に着けた安曇たちが伊都国から現地に派遣されてこれを監視してたのが一大率システム
貝輪分布
URLリンク(www.gondo.com)
銅釧分布
URLリンク(www.city.ichihara.chiba.jp)

524:名無しさん@1周年
19/08/19 07:07:48.30 EVjt6h2r0.net
>>523
そもそも志賀島や糸島市の北は海だぜ?
本州、四国は九州の東だ。

525:名無しさん@1周年
19/08/19 07:07:51.00 ymN6uz4D0.net
自分たちの話だけ通して気に入らないからえぬじーはないでしょ

526:名無しさん@1周年
19/08/19 07:12:29.65 Fu77LZT40.net
あんまり呪術を強調しなくても。最近、祈祷とごっちゃになってないか?

527:名無しさん@1周年
19/08/19 07:20:39.02 4LI5JEdW0.net
>>499
海人とかあまり詳しくないけど、
住吉はひょっとすると弥生後期後半以後日向と畿内の交易を担当してた海人となんかもしれんな。

528:名無しさん@1周年
19/08/19 07:23:26.67 /j+s/CYi0.net
九州説論者が信奉する「九州王朝説」は、
学説の体をなさない「地球平面説」並みのカルト思想だからね。
ちょっと調べただけでも妄想の酷さに驚愕する。
邪馬台国を何が何でも九州にするため、彼らはそんなカルト思想まで生み出してしまった。
このスレや日本史板での彼らの異常性は、そう言うカルト思想から来ている。

529:名無しさん@1周年
19/08/19 07:25:52.29 4LI5JEdW0.net
>>527 の続き
拠点は安芸とか吉備とか案外瀬戸内だったりして。

530:名無しさん@1周年
19/08/19 07:28:26.43 EVjt6h2r0.net
>>527
イザナギが禊をして生まれた住吉三神って元は宮崎市内に元宮があるんよな。
禊の場所も宮崎の住吉神社のそば。
阿曇氏も元は南洋系海人族で、隼人の一派と捉えたほうが良い。

531:名無しさん@1周年
19/08/19 07:29:56.26 stlH0YiO0.net
これが甥の父親の妹の旦那とかだったら余計やっかいだなあ
死んだ方の妻子は生き残ってる方を恨みに恨むだろうね

532:名無しさん@1周年
19/08/19 07:36:21.52 4LI5JEdW0.net
>>530
海人とって縄文系な気がするから、弥生人が九州北部に住み着き始めたとき、
海人の主体も徐々に陸の縄文系に着いてって南下して行ったんかもしれんかな。
でも九州北部の豊富な米を求めて南海産物と交換しに来てるうちに
いろんな海運も担当するようになったかな。

533:名無しさん@1周年
19/08/19 07:38:11.42 pz9fwLCQ0.net
>>528
4世紀の遺物を必死に3世紀に仕立て上げてる
畿内説もカルトだな

534:名無しさん@1周年
19/08/19 07:42:03.60 3P0YfnPl0.net
日韓問題と邪馬台国大阪修羅国問題
どっちが先に解決するんだろうか?

535:名無しさん@1周年
19/08/19 07:44:14.54 4LI5JEdW0.net
>>533
でも、畿内やその周辺地域が銅鐸文化を放棄した直後大きく変動し始めたんじゃないかと思うから、
3世紀前半から文化の変化が見え始めるのは理にかなってるよう思うけどな、
ただ思うのは、戦争してる暇はなかっただろうということかな。

536:名無しさん@1周年
19/08/19 08:04:08.72 4UO7PFss0.net
>>532
海人の行動範囲ってめちゃくちゃ広いから地域で細かく分けることにあまり意味は無いのかもね
福岡の小呂島に南海系のビロウが生えているけど崖の上に生えてて種が海流で運ばれたりしたわけではないらしい
南から北部九州に進出した海人が植えたのだろう
そしてそのビロウが皇室の祭祀に大きく関わっている
URLリンク(zenyamaren.org)
>なぜ、ビロウが手掛かりになるのかというと、このビロウという植物の古代天皇制から現在の天皇家にいたる祭祀上の特殊な位置づけがあるからです。
>まず第一に、古代天皇制においてビロウは「最も神聖な植物」とされたということです。
>皇族の中でも特に高貴なものに許された乗りものに、ビロウ毛の牛車というものがあります。屋根材をビロウの葉で覆っているものだそうです。
>なぜこのような牛車が高貴なものしか許されなかったのか?
>おそらくそれは、天皇の即位式である大嘗祭に由来しているのではないだろうかと思われます。大嘗祭においては、天皇として即位する
>儀式のため百子帳という小屋を建て、そこが天皇になるための禊の場となるのだそうです。
>この百子帳の屋根材は、なんと今でもビロウの葉でなくてはならないのです。
>ビロウ毛の牛車とは、おそらくこの百子帳を日常にアレンジしたものであろうと思われます。
>ならば、その使用は天皇にごく近い血筋をもったものしか許されなかったことは、想像に難くありません。
>
>第二に、ビロウは古代から続く信仰のシンボルでもあった可能性があるということです。
>折口信夫によると、ビロウの葉は風を起こす呪具であり、扇の元となったといいます。風は航海や海戦にとって、命を左右する自然現象です。
>古代において、呪術と科学は同じですから、ビロウの葉はシャーマンにとって風をあやつることができる(とみせることができる)、
>重要なアイテムだったのです。
>また、吉野祐子によるとビロウの葉は扇の原型でもあるが、幹は男根の象徴であり、蛇信仰のシンボルでもあったといいます。
>実にビロウは、日本の風土と信仰に深く根ざす植物でもあるのです。
>そもそも、ビロウ祭祀を行っていたのは、南方から流入した系統の民族であり、沖縄・南西諸島のには必ずビロウが自生しています。
>宮崎県の天孫降臨伝説が残る青島は、まさに北半球最大のビロウ自生地であり、青島神社の元宮は縄文時代からの遺物が発掘されます。
>古代天皇制に南方の習俗・祭祀が取り入れられているのは、古墳時代の遺物からもゴホウラガイの腕輪などからも推測されますが、
>山幸彦・海幸彦伝説の起源を考える上でもとても興味深いのです。
>
>さて、このようなビロウが沖ノ島や小呂島に自生しているのは、どんな意味があるのでしょうか?沖ノ島は4世紀から9世紀までつづいた
>天皇家による古代祭祀が行われた場所として、当然祭祀目的で持ち込まれたことが推測できます。
>なぜなら、沖ノ島のビロウは海岸からは遠い崖の上に自生しているので、とうてい海流による自然分布とは考えられえないからです。
>このことは、総合地球環境学研究所の秋道尚彌名誉教授が沖ノ島世界遺産関連の論文の中で指摘しています。

537:名無しさん@1周年
19/08/19 08:05:13.71 4UO7PFss0.net
>>524
女王国以北だから女王国よりも北という意味なので問題ない
方角が北とは書かれてない

538:名無しさん@1周年
19/08/19 08:33:22.91 fzlOcoIX0.net
>>532
元々、紀元前十世紀に南方海人族が日本に稲作を持ち込んで、北九州佐賀の菜畑遺跡で稲作が始まってるわけだから
南方海人族は紀元前十世紀には九州全域には広まってる訳だよね。
稲作は西暦三世紀には本州北端まで広まってるし、北部の半島からの移民は縄文時代人の社会からしたら異物の侵入。
この衝突が倭国大乱という形になり、北九州は北部半島移民に切り取られ邪馬台国が作られたと考えられる。
南の狗奴国との戦争というのは、土着勢力と北九州移民勢力の争いと捉えられる。

539:名無しさん@1周年
19/08/19 08:41:40.40 4LI5JEdW0.net
>>536
九州南海出身の海人は大きく分けて2つに分類されるんかもしれんかな。
九州西岸を往来して九州北部と深い関係になった海人と、
九州東岸で天皇家の祖先と深い関係になり畿内までついて来た海人みたいな。

540:名無しさん@1周年
19/08/19 08:51:30.66 4LI5JEdW0.net
>>538
唐津だと南方ではなく朝鮮半島西岸を南下してきた北方民族が
山東半島から渡ってきた水稲を対馬・壱岐経由で持ち込んだと推測してしまうけどな。
ひとまずその稲が西日本に広まったが、
その後呉越から来た渡来民が持ち込んだ水稲の方が栽培に適していて、
九州北部を支配し、西日本が2つの勢力に分かれることになった可能性を現時点では想像してるかな。

541:名無しさん@13周年
19/08/19 09:07:47.14 f/Z5eJ4N6
クソつまらないスレだなw 神話なんかいくら突っついても歴史なんかわからね
ーよw 歴史は「ブラタモリ」に学べ。地形、地質、土木工事から考えるのが王
道だぜwww


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