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妓生には売春は含まれていない。伝統的に妓生は外国からの使者や貴賓を歓待するために漢詩、音楽や文学など教養を持つ存在であった。
黄真伊はその代表的な例であろう。妓生は美と芸だけではなく、性的魅力がであった。多くの日本人は「妓生観光」のように妓生=娼婦と
思うのはなぜであろうか。もちろん芸者が女性の性的な魅力を重んじたのは事実である。妓生制度が確立された李王朝時代では、
性的統制の厳しい時代に春画においても間接的な表現が多い。
朝鮮時代に宮中と民間の歌舞を担当した妓生は掌楽院の教坊において学習をしたが、日本植民地期になると植民地政府は公衆衛生上の理由などで
朝鮮内の妓生と遊女に対し統制取り締まり、売春業を統制して監督し始めた。1913年、茶洞妓生組合に転換されて最初の券番が設立された。
そして妓籍を持った券番妓生となった。ソウルでは漢城券番、大東券番、漢南券番、朝鮮券番, 平壌では箕城券番などが有名であった。
妓生は妓生学校で楽器と歌舞を学び、歌曲、時調、琴、洋琴、長鼓、立唱、坐唱、呈才, 僧舞、剣舞、三味線、書画、算術、日本語、習字、
絵を習って、専門芸能人として養成され、公演芸術家でもあり、観光広報モデルであり、伝統的服装や新しい流行スタイルを作り出す
ファッションリーダーでもあった。
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