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- 暇つぶし2ch2:膝ぐらいまで水位が上がっている。激流に流されないよう男性数人が上流で流れをガードし、残りの人たちが互いの体をつかみ、下流側に楕円(だえん)形になっていた。  取り残された人数について出動時に「何人かいる」とだけ聞いていた副隊長の大澤恵一さん(55)=現・同消防署南町分署=はその数に驚く。子ども6人を含む18人。これまで一度に救助したのは多くて2、3人で、さらに激流という状況に不安を覚えた。  対岸にロープを渡し、ボートで取り残された人をピストン輸送するという救出プランで、大澤さんと内田さんが対岸に回ることになった。玄倉川橋まで戻って対岸に渡ると、あとは足場を探しながら上流方向へ崖を移動していった。石灰岩でもろく、雨で滑った。内田さんは「危ない場所もあったが、急がないと、と必死だった」と振り返る。  この間、残った隊員は歩いて川を渡れるかを試した。武尾さんが先を持つロープを体に巻いた中津川さんが、川に足を踏み入れ数歩進んだ。水流ですぐに靴の下の砂がさらわれ、足が沈んでいく。さらに体全体が水中に沈み、流された。  武尾さんに引き上げられた中津川さんは「自力で川を渡るのは無理だった。ボートだったとしても難しかったかもしれない」と当時の水流の強さを思い出す。  大澤さんらは約1時間半かけて現場の対岸に着いた。救命索(ロープ)が付いた先端部を飛ばす発射銃を放ったが、1発目は立ち木に引っ掛け失敗。方向を変え2発目は成功した。太さ3ミリの救命索に救助で使う12ミリのロープを2本結びつけて対岸から引っ張った。  水流が強く、固く握り締めた手から救命索が持って行かれてしまう。大澤さんが救命索を後ろの立ち木に巻いて抑え、内田さんが少しずつ引いていった。水面を対岸へ動いていく3本のロープの結び目が、強い水流で激しく回転していた。  あと少しで内田さんの手が結び目に届くところだった。そこで救命索が切れた。激しく回転していたため、ねじり切れたのだ。  そのすぐ後、中州に取り残されていた一団が崩れるようにゆっくりと流されていった。 ◆玄倉川水難事故 1999年8月14日、山北町玄倉の玄倉川の中州で前日からキャンプをしていた子ども6人を含む行楽客18人が大雨やダム放流による増水で取り残され、救助活動中に流された。5人は救助されたが、13人が死亡した。 神奈川新聞社 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190814-00000005-kana-l14 ★1 2019/08/14(水) 09:23:27.36 http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565750937/




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