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◆戦後直後に頻発した朝鮮人による日本人婦女子レイプ
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、
略奪、暴行をほしいままにした。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 >p一九〇~十九三
(昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の、三国人の男たちだった。
彼らは不適な薄ら笑いで女の手足を押え付け、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
(汚ねえ・・・・>
うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>p一九四
(昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を、 根底から覆す不祥事さえ持ちあがった。すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである>p二一四
田岡氏の著書に出てくる「三国人」とは殆んどが朝鮮人。
(朝鮮人同盟からの果たし状だ>P二一二
(やはり三国人との抗争事件で丹波篠山へ、朝鮮人征伐にでかけた>P二二六