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朝鮮戦争の勃発までの詳細年表
韓国の李承晩が、日本へ侵攻するために全韓国軍を韓国南部に移動させた。
その空きを突いて北朝鮮が南進したのが朝鮮戦争の始まり
1945年10月:南朝鮮に大韓民国臨時政府、臨時大統領に李承晩が就任。
1946年9月:李承晩による反米運動が全土で盛んになる。進駐米軍は早く出て行けと撤退を要求。
1948年8月:大韓民国の建国。李承晩大統領は米国から1949年6月までに米軍完全撤退を勝ち取る。
1948年8月:李承晩大統領、「対馬島返還を日本に要求」 軍事武力行使を示し日本に叩き付ける。
1948年9月:反米運動の中で追い出されるように米軍撤退作業開始~10ヶ月間で完全撤収。
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。軍事侵攻をも表明。
1949年2月:韓国軍は一斉に対馬から40kmの釜山港に集結開始(南部へ韓国軍大移動)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。韓国にいたアメリカ陸軍第24軍が対馬上陸の訓練で、
日本侵攻の演習と知り、釜山の軍事演習にマッカーサーとトルーマン大統領が激怒。
1949年4月:上記理由で、激怒した米英が国連安保理で韓国の国連加盟容認から一転して、韓国加盟を否決。
1949年5月:上記理由で、マッカーサーが韓国李政権への軍事物資援助を全て停止。
1949年6月:アメリカ第24軍本体が本国に撤退 韓国には国連監視団500名のみ残し引き上げ。
韓国は防衛上の後ろ盾を失う。
1950年1月:米国務長官が“アチソンライン”を示し米軍は韓国に関与しない、韓国を切り捨てると宣言。
1950年1月:名ばかりの米韓軍事援助相互協定を調印。韓国側は軍事支援強化を求めるが米国は拒否。
理由は韓国の北進を防ぎ、韓国の日本への侵攻防止、ソ連との約束で韓国に兵器を拒否した。
1950年6月:再び、李承晩が"対馬島と北九州"への軍事侵攻に韓国全軍を南部へ移動指示、釜山港に集結開始。
1950年6月10日:北朝鮮大機動演習を開始。全師団が南国境地帯で演習移動しているが、米国は韓国に知らせず。
1950年6月17日:韓国軍が釜山にぞくぞく集結。全軍が釜山港に集結。対馬と北九州侵攻準備で北国境はスカスカ。
1950年6月:スターリンが米国に何度も問い合わせ。米軍はソ連と交戦はしない。朝鮮半島は米国の守備範囲でない。
米軍は存在しない。アチソン国務長官が正式外交ルートで「朝鮮半島は米国の守備範囲でない」と声明を出す。
1950年6月22日:国境がスカスカとなり北朝鮮軍最高司令官金日成が全面的南進作戦命令を発する。