19/07/16 17:56:21.27 7wz/cOvD0.net
>>1
麻生鉱業
1932年7月25日には朝鮮人による労働争議が起き、これは筑豊全体に広がる大規模なものであった。
この背景としては以下のようなものが挙げられる。
長時間労働で危険な仕事にもかかわらず他の炭鉱より安い賃金(他の炭鉱の二分の一ほどの給与)
さらに朝鮮人労働者は給料が2割カットされていた。
食事や住居等最悪の生活環境。
日常茶飯事の暴力。
朝鮮人労働者の休日が無いこと。
場所によっては無給で働かされていたこと。
などが原因となった。この争議には全国水平社も朝鮮人側を支援。
対する炭鉱側は警察や暴力団員、特高を動員して争議は行われ、9月3日には現職復帰109人、解雇191人をもってこの争議は終了した[3]。