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「杜子春」芥川龍之介
それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。
さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼を
やつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、
鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色けしきさへも見せないのです。大金持
になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、
何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも
忘れて、転まろぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、
はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……